先代が生み出した銘酒「獺祭」の成功体験にとらわれず、「旭酒造」は“より美味しい日本酒”を造り続ける

2015年4月、安倍晋三前首相が招かれたホワイトハウスでの公式晩餐会で、バラク・オバマ元アメリカ大統領が乾杯のお酒に選んだもの。それが安倍前首相の地元・山口県から取り寄せた「獺祭」でした。

「獺祭」は、酒米の王様と呼ばれる山田錦だけで醸した純米大吟醸酒。この最高品質の日本酒を手掛けるのが、山口県・岩国市の酒造会社「旭酒造」です。同社の現社長は4代目の桜井一宏さん。2016年、父であり現会長の博志さんから会社を承継しました。

実のところ桜井さんは、東京の大学に進学後、一度は他業種の会社へ就職しています。家業へ戻るきっかけとなったのは、社会に出てから飲んだ実家の酒が「美味い」と感じたから。「この酒を世に出していく意味がある」と実感したからだったと言います。

かつて、日本酒は自分にとって「酔わせるため」の道具だった

桜井さんが大学生だったのは20年以上も前のこと。そのころ、友人知人と飲むお酒に日本酒が登場することは、ほぼありませんでした。飲み会などでは生ビールやサワーが主。日本酒は熱燗や冷やくらいしか選択肢はありません。今のように種類はなく、“味わって飲む”という時代でもなかったのです。

桜井さん「サークルの飲み会などで、先輩に呼ばれていくと日本酒がある。そのたびに『次は自分が一気飲みをさせられるのかな?』『今日は無事に帰れるのかな』と思ったものでした(笑)。当時の日本酒は一緒に味わいを楽しむものではなく酔い酔わせるもの。場を素早く盛り上げるための道具と言える存在だったのです。そのような印象が強かったからか、実家から送られてきたお酒もリスペクトする存在ではありませんでした」

学生時代の体験は日本酒に抱くイメージを徐々にネガティブなものにしてしまい、家業への意識も希薄になっていったと言います。そして卒業後は群馬県に本社がある、酒造とは無関係の大手メーカーに就職しました。

桜井さん「入社して1年ほどは本社で研修生活。しかしちょうど東京・六本木にヘッドオフィスが設けられました。若手も数名連れていこうとなり、私はそのなかの1人に。住まいを職場の近くに移し、日々の食事もその辺で済ますようになりました。

そしてあるとき、居酒屋に入った際に『獺祭』を見つけ、飲んでみたんです。他にも多くの日本酒を揃えるお店で、いろいろ飲んでみようと。すると、やはり『獺祭』が美味いわけです。この酒は本気で作っている。お客さんにとって意味や価値がある酒だ。そう感じた、初めての瞬間でした」

歳は20代中頃。当時の「旭酒造」は普通酒「旭富士」から「獺祭」に軸足を移し、そのクオリティの追求にさらなる情熱を注いでいるタイミングでした。

社長は、ならせてもらうものではなく、なっていくもの

新卒で入社した会社で7年を過ごし、2005年に「旭酒造」へ。今でこそ同社は200名超の従業員を抱える酒蔵ですが、桜井さんの入社時は従業員十名足らずの家族的な経営環境にありました。

桜井さん「その頃の『獺祭』は知る人ぞ知る酒。多くの人が知るお酒ではなかったのです。しかし“美味い酒”を追求している自負はある。その美味い酒をより多くの人に届けたいという思いから、先代は何度も経営改革を行っていきました。私の入社時は先行投資をさらに増やし、会社が伸びていくタイミングだったと言えます」

「獺祭」を誕生させた先代の発想力は、酒米を77%という極限まで磨いた銘酒「純米大吟醸 磨き二割三分」を誕生させます。米と米麹だけで作る純米大吟醸酒は米の50%以上を磨いてできますが、1粒の77%を磨くことは「当たり前」にとらわれずに思考し、日本最高峰の米の磨き歩合を徹底追求して実現したものです。

日本酒造りの常識を覆す「純米大吟醸 磨き二割三分」を生み出した先代は、廃業の危機にあった「旭酒造」を継ぎ、大手酒造メーカーにまで成長させた人。まさに立志伝中の人であり、「よく、お前は会社のいちばん厳しい時代を知らないからな、と言われます」と、桜井さんは振り返ります。

桜井さん「私が社長になる前から多かった先代の言葉が、『とにかくワシは好き勝手やる。お前の考えを全否定することもあるだろう。しかしそれは気にせず、悔しいと思ったものは社長になったら変えていけ』というもの。今も印象深く残っています。社長はならせてもらうのではなく、なっていくもの。そのあたりの教えは、先代の言葉や姿勢から学びました」

社長就任後も「自分の経験と考え方からすると、それはやめた方がいいと思う」と忠告されることがあるようです。しかし最後に判断するのは社長の桜井さん。まずはやってみる。ダメならやめればいい。偉大な先代が実践してきたフットワークの軽やかさも「旭酒造」の伝統であり、判断を下す際の材料にしているのだと教えてくれました。

リーダーとして向き合う、越えるべき課題

家族的経営から200名超のスタッフを抱える規模に成長した「旭酒造」を継いだ桜井さん。同社のリーダーとして、越えるべきいくつかの課題と向き合っています。1つが組織づくり。より体制を盤石なものにすることです。

桜井さん「会社が成長する過程で生まれた歪というものは、やはりあります。どうしても組織が大きくなると同じ思いを共有しにくくなるのです。会社の規模が小さな時代のメンバーは、『旭酒造』の酒が伸びるかどうかわからない状況で会社に入ってきました。入社した後で会社そのものや手掛ける酒に惚れていき、自然な形で理念を自身に染み込ませていくことができたのです。規模が小さいから、そうしやすい環境にあったのだと思います。

今はおかげさまで会社が成長し、知名度もある。すると、大きい会社だからという志望動機で入社するメンバーもいる。私は彼らと、すでに社や『獺祭』の想いを理解しているメンバーたちとが、同じ方向を向いて走っていけるようにしたい。それが現在の弊社が抱えている大きな課題です」

理想は同じ方向を向きながら誰もがある程度自由に実験や試行錯誤ができ、自分の考えや、成功と失敗の体験を会社にフィードバックできる体制。そのうえで業績が伸びていく状況だと言います。その理想を叶えるための一手が、2020年にスタートした「クラフト獺祭」。入社3〜6年目の若手社員が2人1組のペアになり、各々のペアが思う「これぞ獺祭」という日本酒を造るプロジェクトです。

桜井さん「『獺祭』は山田錦の純米大吟醸に特化したら業績がものすごく伸びたという強烈な成功体験です。大きな成功を収めているからこそ、“レシピ”を踏襲すればいいといった発想、姿勢に陥る若手社員がときおり見られます。そのような社員に対しても『クラフト獺祭』は、美味しい日本酒を造るうえで大切な挑戦意欲を刺激してくれるのです」

「『獺祭』とは何か?」をパートナーと深く思考し、分業化された形ではなく製造過程の全てに携われる本プロジェクト。さらには失敗も許される状況は、若手が「旭酒造」の一員として成長する大きな機会になっています。

海外での存在感をもっと上げていく

もう1つの課題は海外での存在感を強めていくことです。

桜井さん「海外でも日本酒好きな人には知られている状況で会社を引き継ぎました。入社してすぐにニューヨークへ赴任したこともあり、海外での実績を伸ばすことが私の大きな仕事だと思っています。

現在はようやく世界中のいろいろなアルコールメーカーが『獺祭』を知ってくれ、ライバルと捉えてもらえるステージに到達しました。今は日本酒だけでなく、ウイスキー、シャンパン、ワインなどすべての美味しいお酒との異種格闘技戦。ここからさらに存在感を上げて、日本に興味がなくても美味しいものが好きというような人には普通に知られているお酒にしていきたいと思っています」

桜井さんによれば、海外における日本酒は「まだ東洋のポッと出のアルコールというイメージ」なのだそうです。伸び代は大きく、日本酒自体が今以上にリスペクトされる存在になれば、市場はもっと開拓されるはずだと思っています。そのために大事なことは業界みんなでどうこうではなく、1メーカーとして美味しいお酒を造り、知ってもらう努力を続けていくこと。自分たちが戦っていくことで、結果として日本酒自体の存在感が上がっていく。それが正しい形だと、桜井さんは考えています。

桜井さん「実は海外に赴任した当初、日本酒は外国人に理解されないと考えていました。いわば輸出反対のスタンスだったんです。しかし美味しいものを造れば伝わる、好きになってもらえるのだということを知りました。これは私にとって大切な原体験。いいお酒は国境も文化も言語も超える力がある。これが私の核なのです。だから怖気付かずに世界へ出て行こう、国境や文化を超えるものを造って行こうと、自身と社員を鼓舞しています」

お酒は嗜好品。言葉がなくても楽しめる嗜好品は、あらゆる境を越えられる。音楽や美術といった芸術と同様な力がお酒にも宿っていると、桜井さんは考えています。

美味い酒こそが正義

桜井社長が学生だったころ、日本酒は大学生にとって馴染みの浅いお酒でした。しかし今、「旭酒造」を目指す若い人が増えています。彼らの志望動機は「獺祭」が好きだというもの。よほどの日本酒好きでなければ、選択は熱燗・冷や・ワンカップほどしかなかった頃と比べ、日本酒は、「獺祭」は、大学生に身近なお酒になっています。時代は変わったのです。

変わったのは「旭酒造」を目指す顔ぶれも同様です。近年は海外からの入社希望者が増えており、現在営業部にはフランス人1名と中国人1名が勤務。銀座の直営店の店長は上海出身の女性が務めています。そして今年は製造に中国出身と香港出身の新入社員が入社しました。

桜井さん「彼らは異国の会社に可能性を感じて入ってきてくれる。とても嬉しいことですし、非常に会社を取り巻く状況が変わってきたなと感じます。彼らのおかげで私たちは海外から見た『獺祭』という新しい声を聞くことができますし、これでまた進化しやすくなったと思います」

どれだけ進化しても変わらないものもあります。それは「旭酒造」の理念。

桜井さん「お酒は美味しくあるべきです。なぜなら、お客さんの幸せに寄り添うものだからです。『獺祭』との時間は楽しくあってほしいし、お客さんには幸せになってほしい。人生の貴重な1ページにしてほしいと思います。

そのために私たちは毎日、朝9時半からそのときに絞ったお酒を試飲します。これは“社員みんなで”というようなものではなく、製造と経営メンバーのみの真剣勝負。1年に3000回仕込みますので、多いときには10以上の試飲用カップが並びます。口に含み、味の良し悪しについてスタッフ同士で意見を交わし、そのお酒を造ったときのデータを確認する。いわばPDCAを3000回繰り返し、より美味しい『獺祭』を追求しています」

桜井さんを筆頭に、「旭酒造」が何より大切にしているのは、自分たちの思う美味しい日本酒を作りたいという気持ち。軸が自分たちにあるため、やるべきことは明確でブレることがありません。そして改善の余地もしがいもある。試行錯誤を楽しみながら、桜井さんたちは今日も美味しい日本酒造りに向き合っています。

文:小山内隆

 

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