「悪口会議」でスタッフとの絆を構築。エンジニアだった娘が町工場を立て直し、テレビドラマのモデルに!

ダイヤ精機株式会社は、東京都大田区で職人を軸とした精密金属加工を営んでいる会社です。創業は東京オリンピックがあった1964年。主に自動車メーカー、部品メーカーの生産ライン用の治具や自動車部品用のゲージの設計、制作をしています。

ダイヤ精機株式会社の諏訪貴子社長は、2004年5月に先代社長であるお父様から事業を引継いで社長になりました。諏訪さんは働く女性のロールモデルを提示する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」大賞を受賞したり、「マチ工場のオンナ」というNHKのテレビドラマのモデルとなったり、影響力の大きい女性経営者として注目を集める存在にもなっています。今回はそんな諏訪さんに事業承継についてのお話を伺いました。

夫と一緒に渡米する予定が、父の余命宣告で急遽後継者に

諏訪さん「若いころは家業については、自動車の部品を作っているのかな?としか思っていなかったです」

小さい頃は、家業について特に関心がなかったという諏訪さん。高校卒業後は父の勧めで工学部の大学に入学して、卒業後は自動車部品メーカーのエンジニアとして就職しました。大学やエンジニアとしての経験は、社長になっても活かされていると語ります。

諏訪さん「承継した後に気付いたのは、鉄を使った製品を作るのは思ったよりも難しいこと。ただ難しいからこそ鉄磨き屋としてのプライド、誇りが持てる仕事だと感じています」

家業を継ぐ気がなかった諏訪さんが事業を承継するきっかけとなったのが、先代の父が残り4日の余命宣告をされたこと。諏訪さんは当時、夫のアメリカへの転勤が決まっていて、それについていく準備も済ませている状態でした。

そこからアメリカに行くか?事業を継ぐか?の選択に迫られました。先代が亡くなってもダイヤ精機の社員が会社を辞めなかったこと、社長になってくれと社員に頼まれたことで、「自分が後悔しない道を選びたい」と事業を承継することを決意しました。アメリカに行く夫は心配し難色を示しながらも、最後は応援してくれました。

信頼0の状態から会社のためにリストラを敢行

社員への向き合い方について、先代から学んでいると思っていたものの、いざ社長になってみると、先代との違いを改めてから痛感したと言います。

ダイヤ精機株式会社 代表取締役社長 諏訪貴子(すわ たかこ)さん

諏訪さん「先代はとにかく明るい人でした。オーラと圧倒的なリーダシップがあって、現場に降りると社員が『ピっと』引き締まる。また、私が小さいときから外見にこだわりを持っている人で、髪型や靴、時計はしっかりしたものを持てと言われていました。

そんな父をマネしようと思っていましたが、いざ社長になってみると、父との差を改めて感じました。私には父のようなリーダーシップもないし、社員の人がほとんど年上。そのような状況のなかどうやって会社を引っ張っていくか。また、時代としても、当時は製造業の若い女社長は信頼が0の状態だったのでこの部分は苦労しました」

ダイヤ精機には経営上の問題もありました。それは売上に対して人員が超過していたことです。承継した当時の売上高はピークの半分以下の約3億円まで落ち込んでいました。そのため経営悪化を防ぐためには人員の整理が急務でした。

調べてみると、設計部門の受注数が少なく、給与水準が他の職種よりも高い、売り上げ規模が小さく利益が出ていない製品が多かったということもあり、設計部門の3人含め、5人の社員をリストラしました。

「大阪弁の日」「悪口会議」で笑いの絶えない職場に

社内外の状況的にも、社員さんとの関係構築に苦労したという諏訪さん。承継した後に、どのようにこの問題に対処したのでしょうか?

諏訪さん「現場に降りる時間を長くして、社員1人1人とコミュニケーションを取るようにしました」

先代のリーダーシップに差を感じた諏訪さんは「社員さん対、私」という関係性を作ろうとしました。先代のような圧倒的なリーダーシップで社員を引っ張っていくのではなく、社員との親和性を諏訪さんは重視しました。そのために諏訪さんは「大阪弁の日」や「悪口会議」などを実行しました。

諏訪さん「大阪弁の日は『その日は大阪弁で喋る日のこと』。社員さんとの距離を縮めるために、この日は大阪弁で話しかけます。ツッコミどころを作ることで、自然に会話も増えて、冗談を言い合える仲になり、笑いの絶えない職場になりました。

悪口会議では『会社や社長に対する悪口を何でも言ってよい会議』社員さんにぶっちゃけてもらいます。『悪口でいい』という気楽さから社員の発言が増えて、会社の改善案が浮彫りになるきっかけになりました。若手社員の意見も取り入れられるので、仕事のモチベーションを保つことにも繋がったと思います。

このように先代のリーダーシップに差を感じていたことを、社員との親和性で諏訪さんはカバーしました。

エンジニア、主婦、司会業。社長になってから気づいた今までの人生の意味

諏訪さん「これまで工学部に入ったこと、就職してエンジニアとして働いてきたこと、専業主婦になった後に司会業をしていたこと。これらの自分の人生で経験したことが社長になっても活きていることが分かりました。これまでに経験したことは、社長になって業務を通しているなかで『このためのことだったのか!?』と意味を持っていると感じられるようになった」

諏訪さん「私は社長なのですが、私自身ダイヤ精機のエンジニアだと思っています」

諏訪さんはエンジニア時代の際に現場の声に応えられなくて、もどかしさを感じていた経験がありました。そんな経験があるからこそ、社内の課題をスピーディに解決できたとも語ります。また、諏訪さんは自身の経営の実績が対外的にも評価されて、講演会などで話す機会がありますが、そのときにも司会業の経験も活きたと語っていました。

自分たちの強みを知らない人が多い

ハンドラップで作った製品

諏訪さんは講演会の際に、製造業の経営や事業承継についての相談を受けることが多いようです。そんな諏訪さんに製造業が抱えている課題についてもお聞きしました。

諏訪さん「自分たちの強みを知らない人が多い。自社でやっていて当たり前と感じているけど、外からみたらすごいことをやっている人達がいます。例えばうちの会社でいうと、このハンドラップという自社の技術は、世の中でできるところがほぼない。普通に他の会社でもやるものだと思っていました。

自分たちがやっている技術の強みを把握して、どのような場所で活かされるのか?ということを考えるのが大切。そのためには日々の生活のなかで外にアンテナを張るべきだと思います」

諏訪さん「自社の強みであるゲージでトップを目指します。ビジョンは特に決めないで、その都度降ってきたチャンスを掴みに行きたいです」

これまで様々なことにチャレンジしてきた諏訪さんですが、まだまだ貪欲さを持ち合わせていました。これからのダイヤ精機の動向にも期待です。

文:窪谷 航

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