事業承継ストーリー

97年続く技術を残したい!国内最後のランプ職人が繋ぐ、ハリケーンランプへの熱い想い

大阪府八尾市にある小さな町工場。そこでは、国内で唯一ハリケーンランプが製造されています。ハリケーンランプとは、嵐の中でも灯した火が消えないことからその名が付けられたタフなオイルランプです。かつては戦場や航海時の船舶などで使用されていたハリケーンランプ。最近はアウトドアブームもあって、現在は 5 年待ちとなるほど注目を集めています。

創業大正13年(1924年)の老舗ランプメーカーの事業を継承したのは「WINGED WHEEL」の別所由加さん。彼女は国内最後といわれるハリケーンランプ職人です。その活躍が注目を浴び、2020年には毎日放送「情熱大陸」でも取り上げられました。

たった1人で製造から販売まですべてを引き継ぎ

由加さんは 20 歳の時、大学を中退して WINGED WHEEL に入社。その後大正時代に日本で初めてハリケーンランプを製造した、曽祖父の会社を 5 代目として受け継ぎました。当初は先代の時代から働いていた工場長と共にハリケーンランプを製造していましたが、工場長が亡くなってからは製造から販売まで全て由加さんが一人で行うことに。

ハリケーンランプは完成までおよそ 300 もの工程を踏むため、2~3 ヶ月に 50 個のランプを作るのが限界です。さらに数十年前の古い機械や道具を使用するため、製造過程でトラブルは堪えません。

にもかかわらず、由加さんがたった一人でハリケーンランプの事業を継承したのには、同じく4 代目としてランプ事業を継承していた母・二三子さんの存在がありました。

日本最後のハリケーンランプ工場を復活させたい

二三子さん「3 代目の父の時代に会社が倒産して、家も会社も突然全て無くなりました。だけど、想い入れのあるハリケーンランプを残さないといけないという使命感が強くありました。父は認知症になってしまい、娘はまだ小さかったこともあって、経済的な面でも私にはランプ事業を継ぐという選択肢しかありませんでした」

由加さん「日本最後のハリケーンランプ工場を復活させるため、母は必死に事業を進めました。そんな中、ずっとランプ作りを支えてきてくれた職人さんが亡くなってしまって。普段は強気な母がランプ事業を諦めかけた、その様子を見て『私が継ごう』と決心しました。多分昔から母のランプに対する想いを聞いていたので、その熱い想いが私にも乗り移ったんだと思います」

知識0、手探りの状態からランプ作りがスタート

こうして、由加さんは5代目としてランプ事業を継承することになりました。しかし、事業継承後にはとんでもない苦難が待ち受けていました。ハリケーンランプは 1 枚のブリキを専用の機械を使って金型でプレスし、手加工で各パーツを組み立てて作ります。その工程は全部で 300ほど。

その技術は長年職人さんによって口伝えで受け継がれてきたので、ランプ作りに関する資料が一つも残ってなかったのです。さらに、工程を把握している職人さんの数はわずか数名にまで減少していたため、ランプ作りの全容は誰にも分かりませんでした。そこで由加さんは、ランプ作りの工程を全て一からノートに記録することになりました。

トラブルはさらに続きます。先代が作り置きしていたパーツが底をついたため、新たに作ることに。ところが、そのパーツを作るのに必要な金型が壊れていたのです。金型がなければランプを作れない。かといって、金型を修復するだけのお金はない。そこで由加さんはクラウドファンディングを行い、280 万円以上の応援金を集め、金型を修復させました。

初代が残したランプの質を守り続けたい

新しい機械や金型を使えば、今よりももっと簡単に、より多くのランプを作ることができるですが、頑なに古い機械と金型にこだわる由加さん。そこには、ハリケーンランプ職人としての深いこだわりが隠されていました。

由加さん「ハリケーンランプは初代の段階で『これ以上のものはない』と言われるほど完成されていました。私は自分の色を付け加えることなく、完成形のハリケーンランプを忠実に再現したい。なので、創業当初から使われている機械や金型にこだわっています。それに、正直に言うと、昔から慣れ親しんだ機械に愛着があるというのもあるんですけど(笑)」

新しい商品と販売経路を模索

このように伝統的な技術を守る一方で、事業継承後に大きく変化したところも。その一つは、自社ブランドの立ち上げです。これまでは卸がメインだったのですが、別所さんは自社ブランド flame sense を設立しました。自社ブランドではハリケーンランプの技術を活かし、オイルランプなどの新作ランプを制作しています。

由加さん「今はハリケーンランプの売り上げが好調ですが、これは一過性のブームかもしれない。そこで、自社ブランドで新作のランプを作り、事業を展開していくことにしました。ハリケーンランプだけに頼っていると、いつ経営が厳しくなってもおかしくないので」

また、職場の環境にも変化が。ランプの製造に携わってきた工場長が亡くなってからは、別所さんが製造から販売まで一人で全て行っていました。ところが最近、ランプ作りに協力してくれる人が現れたそうです。

由加さん「知り合いで、ランプ事業を手伝ってくれる人がたまたま見つかったんです。それを機に、梱包や発送などの比較的簡単な仕事をマニュアル化することにしました。ランプの製造はもちろん、自社ブランド関連の仕事もあって、全部一人でするのにも限界があるので。今年からはアルバイトを雇うことも考えたりしています」

嵐が来ても「絶対になんとかできる」

20 歳で大学を中退しランプ職人の道へ。その後、母から事業を受け継いで 5 代目となった由加さん。そんな彼女に、事業継承をするうえで大切なことを聞いてみました。

由加さん「母もよく言っているんですけど、私たちの家系には鈍感力と生きる強さがあるんですよ。電気の時代になってランプの需要は減ったし、金型が壊れてたり機械が動かなかったりといったトラブルは何度もありました。だけど、どんなに苦しい状況でも『絶対になんとかできる』という根拠のない自信がありました。

恐らく『自分がなんとかしないと会社が潰れる』という状況だったので、そう開き直るしかなかったのかもしれません。知識もないし経験もない、成功する補償もない。だけど、そんな状況だからこそ、少し鈍感になってとにかく一歩進みださないことには、何も始まらないと思います」

「美しく完成されたハリケーンランプを何としても残したい」その想いを胸に、国内最後のハリケーンランプ職人として事業を継承した由加さん。そんな彼女の作るランプの火は、力強く灯り続けています。

取材:川辺友之 文:森田侑裕

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