社長の座を退いた創業者から入った信じられない連絡。息子に代わり、老舗葬儀社を引き継いだ元・従業員

宮崎県延岡市の東部、日豊海岸にほど近い場所に葬祭施設を構えるのが1974年創業の「はまだ葬祭」。創業者の温かな人情と遺族に寄り添ったサービスによって地元で確かな信頼を得ていましたが、家族継承をきっかけに廃業寸前へと追い込まれます。

その危機的状況を引き受け、再建に乗り出したのが元従業員の橋倉栄志さん。「安価に提供できる最大限のサービス」という創業者のマインドを引き継ぎつつ、新たな営業も仕掛けています。廃業寸前でも辞めずに残ってくれた従業員とともに、もう一度信頼される葬儀社を目指す橋倉さんに話を聞きました。

時代に先駆けて家族葬を取り入れた創業者。お客様に寄り添う姿勢を貫く

はまだ葬祭の創業当時の葬儀は、親族間で豪華に見送ることが一般的だったそうです。時代が進むにつれて家族や社会のあり方が変わっていく中、はまだ葬祭がいち早く取り入れたのが「家族葬」でした。

橋倉さん「創業者は本当に商売が上手いんですよ。いろいろと先んじてやる人で、家族葬も多分この地域で一番先にやり始めたんじゃないかな」

そう話す橋倉さんが入社したのは2009年。平社員という立場だったが専務や主任に代わって現場を取り仕切り、創業者からノウハウを直接叩き込まれました。

橋倉さん「本当に優しい人なんです。お客さんには何でもしてあげる。生活保護を受けていてお寺さんを呼べないってなったら、『かわいそうだから』って自分の財布から出すんです。『親戚の人たちにも顔が立つでしょ』って。自腹を切るっていうのは今の時代ではあまりしないけど、雑に送ることだけはしませんでした」

遺族に寄り添う優しい姿の創業者でしたが、従業員には決してそうではありませんでした。

橋倉さん「ある日、会社のために良かれと思って祭壇料や葬儀の金額を少し上げたんです。そうしたら創業者に「お前のやっていることはお客のためになっていない」って怒られまして。3年間働きましたが、300回ぐらいは『お前クビだ』って言われて、それはもうすごかったですね」

退社後、息子に会社を引き継いだ創業者からの信じられない連絡

その創業者も高齢となり世代交代を決意。2012年に孫へと家族承継をしたタイミングで、橋倉さんも退社を決めます。創業者が築き上げてきた実績と信頼で売上は安定しており、何の心配もしていませんでした。

ところがしばらくすると、辞めたはずの橋倉さんに創業者から何度も連絡が入ります。「会社が潰れるから来てくれ」という信じられない内容でした。よくよく話を聞くと、承継後の経営が芳しくなく、売上は以前の半分になっていました。

橋倉さん「2009年に入ったころから『あんたにこの会社をやるから』って言ってくれてはいたんですけど、創業者の息子さんやお孫さんもいる。まったくの第三者が関わる筋合いはないだろうって思っていました」

創業者は橋倉さんの自宅にまで説得に訪れるようになり、3回目には「きょうは粘る」と引きません。その熱意に打たれた橋倉さんは、はまだ葬祭に戻ることを決意し、2014年11月に再び葬祭施設に足を踏みれました。

お客さんや従業員のことを考えて事業承継。その時、銀行口座の残高は2万5千円

はまだ葬祭の売上は激減していましたが、下げ止まっているような印象でした。ですが、このまま営業を続けても資金が回らなくなってしまいます。銀行と融資の交渉を続けますが2019年の年末、翌年からの融資ができないとの”最終通知”が届きます。

橋倉さん「当時の社長はお店をたたむって言い始めたんですが、『従業員がいるんだぞ』って止めたんです。経営コンサルタントにも入ってもらうと、社長を交代するのがいいとのことだったので、当時の社長には辞めていただきました」

誰が後を引き継ぐのか、という議論になったときに当然のように挙がったのが橋倉さんの名前。銀行からも推す声があり、経営を引き継ぐことになりました。

橋倉さん「自分のことだけを考えれば『いやいやとんでもない』って言いたいんですけど、お客さんもいるし従業員もいる。もうやることは見えていたんです。創業者のころのようにやれば、一番良かったころに戻ることはないかもしれないけど、ある程度は戻る。あとは戦略を立てればなんとかなるかも」

意気込んで引き継いだ経営でしたが、さっそく愕然とする事実が発覚します。銀行口座に残されていたお金は、2万5000円だったのです。

橋倉さん「お亡くなりになった方を病院に迎えに行って、死亡診断書をもらい市役所で手続きをするのに1万5000円かかるんです。3日後にはガス料金の引き落としがあるので、口座からは出せない。とりあえず僕の財布から出しました。文句を言われることはないだろうと思いましたが、まぁ、ゾッとしましたね」

個人の供養を忘れないでほしい、笑顔で「またね」ができる場所を目指して

長年使っていなかった土地を売却して資金を調達。12月の時点で辞めることになっていた全従業員5人を説得すると、みんな残ってくれることになりました。

橋倉さん「『はまだ葬祭』の名前はそのまま使わせてもらっています。この近辺ではネームブランドがすごくて、いまでも創業者の名前で葬儀の依頼が来たりするんです。創業者は『商売は儲かるな。食える分だけあればいい』『お客さんに決して頭を上げるな』ってお客さんを大切にしていたからでしょう」

一方で、橋倉さんによって新たに取り組み始めたこともあります。その一つが「全部を商売にしよう」ということ。従業員を含めて全員で会社を立て直していく決意を示しています。

橋倉さん「葬式の営業ってしにくいんですが、葬式にまつわる仏壇や仏具、お盆やお彼岸の季節モノ、四十九日や忌明けの贈り物の営業はできるんです。その営業でまずは顔を広めて、いずれ葬儀につなげようと思いました。2020年は14〜15件伸び、葬祭会館の改装もすることができました」

ホームページを開設し、ロゴも作りました。そのロゴに込めた思いが『笑顔で「またね」ができる場所』です。

橋倉さん「葬儀社にまた来るねっていうわけではく、供養を忘れないでほしいという思いです。故人にとって忘れられるのが一番寂しいので、忘れないでくださいっていうのが一番ですね。葬式で気持ちの区切りがついて、また笑顔でお墓に行くねって思ってもらえる場所でありたいですね」

チェーン店との違いは安価で提供できる最大限のサービス

はまだ葬祭がこの地域でいち早く取り入れた「家族葬」ですが、今では大手やチェーン店も次々と参入して競争は激化しています。橋倉さんは「立派なものをしようとしたら大手が絶対にいい。うちじゃなくても選択肢はいっぱいあるので」と割り切っています。

橋倉さん「自分たちにできることは、金額的に安価で提供できる最大限のサービスです。創業者の言葉に『葬儀に見栄を張らないで、供養に見栄を張る』がありますが、まさにその通りです。葬式は遺族の見栄で、納骨堂は故人の見栄なんですね」

だからこそ、はまだ葬祭の事前相談には大手との違いがあります。それは事前相談に訪れた人に菩提寺へ行くよう勧めること。お寺での供養のやり方を聞いて安心してから、もう一度相談に来てもらうようにしているそうです。

橋倉さん「事前相談は金額よりも、用意するものの方を先に話すんです。葬式って印鑑と遺影写真の原版さえあればできるんですよ。病院へのお迎えにも私達が行きますよって言ったり。

お金の話は一番最後。やっぱり事前相談で涙を流す方がおられるんですよね。それだけ葬式って負担がかかるものなので」

「ありがとう」を言われる葬儀社を目指して

これまでには、一度利用した遺族が「次、ばあちゃんの時にもまた利用するから」と言って、本当に依頼をしてきたこともあったといいます。葬式は遺族にとって故人との区切りをつける大事な儀式。はまだ葬祭による金額以上のサービスが、遺族の心にしっかりと寄り添っている証拠なのかもしれません。

橋倉さん「葬儀って始まったらいつの間にか終わるんですよ。遺族の方がお別れをしっかりできて、故人のことを忘れないようなやり方ができればいいなと思っています。

たくさんのお金を払うのはお客様なのに、最後は『ありがとうございました』『お世話になりました』って言ってくれるんです。これは仕事冥利に尽きますし、それを言われるように頑張ろうって従業員と話しています」

創業者の教えを引き継いだ橋倉さんたち6人は、地域になくてはならない葬儀社としてこれからも歴史を積み重ねていくことでしょう。

はまだ葬祭ホームページ

文:後藤慎市郎

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