ユーザーフレンドリーを貫き、豊かな暮らしを全ての人へ届ける。元祖突っ張り棒カンパニーの軌跡

大阪府西区江戸堀にあるオフィスビル。その外観からは想像もつかないほど洗練されたオフィスを構えるのは「平安伸銅株式会社」。主力商品である突っ張り棒を基軸として、様々なDIY用品、インテリア商品を世に送り出してきました。

3代目社長を務めるのは竹内香予子さん。祖父が創業した1950年代は、戦災を乗り越えて誰もが安心して暮らせる環境を求めていた時代だったそう。銅加工の技術を活かしながら、アメリカからアルミサッシの製造技術と機械を輸入して日本中に普及させ、父親の代では突っ張り棒を通して日本中に新しい暮らしの提案をしてきました。

竹内さんが家業を継いだのは2010年。良いものを作れば売れるという時代が過ぎ、モノだけではなく精神的にも満たされた、豊かな暮らしを皆が求めるようになった時代です。

事業を引き継いだあとは、突っ張り棒を主力としながらも様々なオリジナルブランドを誕生させ、ライフスタイルとしてのDIYを社長自らの発信力と体験の設計によって提案する竹内さんに、事業承継までの経緯を伺いました。

家業を継ぐことへの偏見から始まった記者生活

突っ張り棒市場が成長し始めたころの記事

竹内さん「大学を卒業して新聞記者になったのは、商売が嫌だったというよりは、継ぐことに対して偏見があったからだと思います。ゼロからイチを生み出して会社を作った人の方が創造的で、自分の能力で道を切り開いたと言える。だから、家業のような既にある事業を継続・発展させていくことに、当時の私は”ラク”をしているようだと感じていました。

それに、家業には既に安定した事業、地盤があるからこそ新しい挑戦はなかなかできないとも思っていました。若い頃の私にとって、家業のそうした側面がかっこよく見えなかったんです。

だからこそ、お金を稼ぐことから離れた場所で仕事がしたいと思ってジャーナリストの道を選びました。もちろん今となっては、家業を継いだからと言ってラクなことは全くないとハッキリと言えますし、家業だって新しい挑戦はできます」

国内トップシェアを誇る、平安伸銅の突っ張り棒ラインナップ

竹内さん「いざ記者として働いてみて感じたのは、会社が求めることと自分がやりたいことのギャップでした。会社員として働く以上、まずは求められていることに対して成果をだす必要があると思うんですけど、まだ若かった私は「一旦やってみる」ということができませんでした。

このまま組織の中で働くべきなのかどうか、悶々と悩んでいる時期がありました。やめる方に気持ちが傾いていた頃、母親から『お父さんの体調が良くないから、会社をやめる気があるなら手伝ってみない?』と相談されたんです。

両親は私が家業を継ぐ気がないことを知っていましたが、父親は当時60歳手前でまだ若く、後継者の問題はずっと後回しにしていました。私の他に後継者はいない状態でしたね」

母親からのお願いは「会社の方向性を整理する手伝いをしてほしい」という内容で、竹内さんに継いでほしいという話はされなかったそう。後継者を探すのか廃業するのか、それとも売却するにしろ、慎重な決断が必要な場面で呼び出されたのが、身内であり信頼のおける竹内さんでした。

スタート地点が違うだけ。チャンスを活かすかどうかは自分次第

竹内さん「ファミリービジネスなので、特にお金に関しては公私混同している部分がありました。社員さんには見せられない内容もあります。会社の方向性や父親の後継について目処がたてば、改めて私のやりたい仕事に関してもサポートしてくれると言ってくれました。

ただ、母親の言葉からは、私の弱みにつけこまれているような感じがしたんです。会社員としての生活に悩んでいた私に、親心で助け舟を出してくれたとは思うんですけど、その気遣いに納得していませんでした。

今はビジネスパートナーでもある夫に相談したら、『そういう意味じゃない』と言われました。『歴史があってたくさんの方が使ってくれている商品がある、土台がしっかりした会社を引き継げるのはあなたにしかできないこと。そのチャンスを活かすつもりで、やってみてもいいんじゃない?』と」

取締役であり、良きパートナーでもある一紘さんとのツーショット

「家業を継ぐ機会は誰にでも転がっているわけじゃない。だからといって決して、他の創業者などと比べてズルやラクをするわけでもない。スタートラインが違うだけで、そのチャンスを活かすか殺すかはあなた次第」。相談相手のパートナーから返ってきた言葉を受けて、それまでの考えを改めたという竹内さん。

「今まで好き勝手やってきた分、これからは私にしかできないこと、私ができることと重ね合わせて求められた役割を全うする」。半年ほど悩んだ末、家業へと戻る決意を固めたそうです。

経営の経験はなかったため、まずは一社員として開発の部署に配属された竹内さん。当時の平安伸銅は総務部と営業部、開発部、そして物流センターがあり、先代の父親が直接それぞれの部署に指示を出していたそう。部長のような中間管理職はあったものの、部署間で連携したり、部署や社員から社長へ提案できるような仕組みはありませんでした。

開発部に配属された竹内さんは、入社翌年の2011年から月に2回、商品開発のミーティングを始めました。

竹内さん「当時は既に、突っ張り棒と似た商品が様々な企業から発売されていました。全盛期だった90年代には50億円ほどあった会社の売上は14億円にまで落ち込み、100円ショップでも手に入るほどにコモディティ化していました。そうした状況で始めた会議は、私を含めてみんな手探りだったと思います」

誰であってもがむしゃらに。真摯に接することで生まれたチャンスとオリジナルプロダクト

親子承継の強みは、「家業に対する強い自分ごと感」だと語る竹内さん。祖父や父を見てきたことで、知らぬ間に会社の存在に自分を重ね合わせていることに気づいたそう。スキルがなくても、なんとしてでも会社を存続させたいという思いの強さが行動に繋がり、がむしゃらに取り組む。結果的にはそれが、短いスパンで開発を繰り返すアジャイルのような形となって上手くいったのではないかと振り返ります。

竹内さん「どこにチャンスが転がっているか分からないから、出入りの業者さんを含めてできるだけ多くの人と関わり、真摯に対応することを心がけていました。社員の方にとっても、私が入社したことで『まだ会社が続くんだ』という安心感を持ってくれたみたいで、開発会議などの新しい取り組みに対して反発する人はいませんでした。

もちろん中には辞めてしまった人もいますが、入社当時15人だった社員も、今では契約社員などを含めると65人と大幅に増えました。うち、31人は女性です」

壁や天井を傷つけず、賃貸でもDIYを楽しめる「LABRICO」

開発会議を重ねていた時期、会社に出入りしていた人材派遣会社の人に紹介してもらったデザイナーと意気投合。早速入社してもらい、新しい商品開発のために議論と試作を重ねて誕生したのが、2016年に発売を開始した「LABRICO(ラブリコ)」です。

突っ張り棒ではなく、その上下に取り付けるキャップのようなもの。そのアイデアは、竹内さん自身が新婚時代の引っ越しで感じた、原状復帰が必要な賃貸でも部屋を自由に、自分の好みに合わせて作りたいという思いがきっかけでした。

突っ張る以外にも様々な使い方ができる「DRAW A LINE」

ラブリコは年間15万個を売り上げる看板商品となり、2017年には突っ張り棒を起点にさまざまな使い方を提案するオリジナルプロダクト「DRAW A LINE(ドローアライン)」をクリエイティブユニット「TENT」と共同開発。今では自身が「つっぱり棒博士」として積極的に広告塔となり、「つっぱり棒研究所」を立ち上げてセミナーを開催したり、Youtubeチャンネルも開設するなど、次々と新しい施策を打ち出す竹内さん。最後に、平安伸銅のこれからのビジョンについてお聞きしました。

豊かな暮らしのための体験を設計する。ファンとコミュニティづくりに向けた取り組み

竹内さん「今、会社として力を入れているのは、ものづくりだけではなくて体験価値を高めることです。かつてのメーカーは作って売ったら終わりでしたが、これからは、長いスパンでいかにお客さんとの信頼関係を作るかが大切になってきます。

その一環としてYoutubeを始めたり、DIYの工房とタイアップして商品を実際に使ってもらうワークショップなども定期的に開催しています。買ってもらって終わりではなくて、その前や後のサービスの価値を高めていくことで、ファンやコミュニティのような形で私たちの会社や商品、ブランドを長く愛してもらえるようにしたいですね」

Youtubeでは他の会社の商品を紹介したり、会社のショールームやワークショップでは積極的に100円ショップの小物も組み合わせるなど、徹底的にユーザーフレンドリーな姿勢を貫く平安伸銅。会社単位ではなく業界、そしてユーザーを含めた社会全体の豊かな暮らしに向けた竹内さんの取り組みはこれからも続きます。

文・清水淳史

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