経営知識ゼロからの継承。居酒屋運営から島の産業発掘へと事業拡大

ミルキーブルーの海が印象的な、東京都の島・新島のメインストリートにある居酒屋「サンシャイン」。縁もゆかりもなかったこの土地で、創業者の米原崇裕さんとともに居酒屋をオープンさせた斉木佑介さんは、2018年に2代目として事業継承しました。

自分が経営者になるなど少しも思っていなかった斉木さんが、なぜ事業継承に至ったのでしょうか。経営知識がゼロの状態から事業拡大へと進めている斉木さんに、お話を伺いました。

創業者の夢が詰まった居酒屋「サンシャイン」

居酒屋「サンシャイン」は、米原さんが「オリジナルの店をいつか開きたい」という想いのもと創業したお店です。自分のお店を開こうとしていたところ、新島の知人に空き店舗があると紹介してもらいます。偶然の縁から、新島でその夢が実現しました。

斉木さん「米原は自分がアルバイトしていた、都内の居酒屋の店長でした。その時から自分の店を持ちたいと話していましたね。彼が新島で店を開く時、自分の世界観を広げるために滞在していたニューヨークから帰国するタイミングだったこと。そして米原とまた働きたいという思いがあったことから、自分も一緒にやることにしました」

4年間滞在したニューヨークから帰国後、すぐに新島へ向かった斉木さん。米原さんも斉木さんも新島に住んだ経験がなく、二人にとって未知の世界での挑戦でした。紹介された船客待合所の2階の空きスペースで、1つ目のお店をオープン。

そのお店を運営する中で町中に物件が空いていることを知り、2015年7月に居酒屋「サンシャイン」をオープンしました。順風満帆かと思われましたが、サンシャインをオープンしてから3年後、米原さんは家庭の事情で離島しなければなりませんでした。

斉木さん「サンシャインや船客待合所のお店をどうするかとなった時に、自分が継いでくれたら嬉しいと米原は言ってくれました。自分は、新島から離れる想像ができないほど島が好きになっていましたし、役場とかで働くのも違うなと思い店を継承しようと思いました」

こうして、継承の話が浮上しわずか3ヶ月で、斉木さんは店を引き継ぐことになりました。

何もわからない中始まった飲食店経営

正式に事業を継承した最初の3ヶ月は、想像以上に大変だったと言う斉木さん。

斉木さん「まず最初にぶち当たった壁は、資金を捻出することでした。米原が引退したことで従業員は自分一人になり、2店舗を運営するのは難しいと周りの人々から心配の声があがったため、船客待合所の店は手放しました。それでもサンシャインの家賃、光熱費、また出店の際の借入返済も残っていたので、資金をどうやりくりするかにいつも頭を悩ませていました」

米原さんがいたころの斉木さんは、「米原さんと一緒に店を運営する若い男の子」という位置にいました。しかし継承した以上、斉木さんは経営者としてどう店を切り盛りするか考えていかなければなりません。斉木さん自身、経営や経理のことは今まで全く関わっていなかったため、すべてが一からのスタートだったといいます。

斉木さん「まずは一人でも、店を回せる体制を整えました。継承したのがちょうど11月だったので、忘年会などで島の人も外食が多くなる時期でした。お客さんが自分で取りにいくことのできるおでんなどのメニューを作って、なんとか店を回しました。また、少人数でも貸切できるコースを作ったことは、お客さんにも喜んでもらえましたし、オペレーションもなんとか回すことができました」

オンシーズンとオフシーズンで、お客さんの数にとても差があるという新島。オフシーズンでもなんとか持ちこたえたのは、1人でお店を回すための試行錯誤の結果。そして、米原さんがいた時から来店してくれている島のリピーターに支えられたおかげでした。

繁忙期を乗り切り、運営の感覚が掴めた矢先の感染拡大

赤字続きからなんとか月の売上を黒字にしたのは、継承後初めてのゴールデンウィークでした。オンシーズンは食べる場所がなくなってしまうほど観光客が訪れるので、なんとしてでも店を回さなければならないという使命感があります。しかしそうすると一人きりでお店を運営するには限界があるため、一時的に人員を増やさなければなりません。

斉木さん「島の飲食店は高校生など島の人をアルバイトで雇うことが多いのですが、自分は島の中にツテがあまりなかったので、島外から手伝ってくれる人を探すしかありませんでした。そうすると彼らの住む場所も探さなければならないので、人員確保と、彼らの宿確保に毎年奮闘しています」

なんとか店を切り盛りして一息着くことができたのは、1年間の数字が見える確定申告の時でした。この調子だったらお店が成り立つと感覚をつかんだ矢先、新型コロナウイルス感染症が感染拡大し始めたのです。

斉木さん「緊急事態宣言による休業要請で、お店を開くことができなくなりました。その代わりに手に入れたのは時間です。どういうお店にしたらオフシーズンでもお客さんにきてもらえるのかというところから、そもそも飲食店をやりたいのかというところまで考え込みました」

飲食店を運営することで感じていた疑問や空虚感と、初めて向き合うことができたという斉木さん。そこで気づいたのは「とにかく回して稼ぐという従来の大衆居酒屋のスタイルをやり続けたいわけではない」という自分の気持ちでした。

斉木さん「米原は接客が得意だったので、接客でお客さんを喜ばすことができていました。自分は接客が得意ではないため、どういう形でお客さんに喜んでもらえるかと考えた時、食べてほしいと心から思える料理を提供することかなと思ったのです。食材や調味料にこだわりがなかったことにも気づき、いろいろと調べていったところ、塩の魅力に行き着きました」

自らの手で、島の産業を生み出す

いつも買い出しの時に安いと思っていたという塩。実はその塩は化学塩だったこと、そして自然塩と化学塩では栄養素が全く違うことなど、斉木さんは改めて塩について学んだといいます。

塩についてもっと知りたいという思いから、山口県で自然塩の製造を行う場所に行き、4ヶ月ほど修行を行いました。

斉木さん「『自然塩を使った食事を食べてほしい』『新島産の塩を作ることができれば、自分の店の武器にもなる』と思ったため、修行に行きました。また、塩の魅力に出会えたことがきっかけで自分がお客さんに食べてもらいたい食事とは何かを見出すこともできました。ここにきて初めて、自分は飲食店をずっと続けていけるかもしれないと思えています」

新島には塩職人がいないので、塩づくりを始めることができれば島の産業を生み出したということにもなります。事業を継承する前は、前オーナーの背中を追いかけていたという斉木さん。事業を継承することで、自分がどういう風にやっていきたいかを見いだすこともできました。

斉木さん「経営に慣れるまでの数年はドタバタして考える暇もないかもしれませんが、継承するにあたり自分の理想や信念を持つことは大事だと思っています。実際自分もそれを見いだせたことで、サンシャインをどんな場所にしていきたいかが明確になりました」

斉木さんは、2022年には塩工場を稼働させて製品を造り始める予定だそう。 また新島は発酵食品・くさやの産地でもあります。くさやづくりには塩が欠かせないので、「いつか自分の作った新島産の塩で、くさやを作ってほしい」という夢もできたと言います。

32歳と島の中でもまだまだ若い斉木さん。店を、そして島をリードしていく若者として、今後も活躍してくれるのではないでしょうか。

文:Fujico

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