事業承継ストーリー

「継ぐ」ことの意味を考え抜いた先に見えたものとは?「最後の1軒」となった手すき和紙工房の7代目

山と田園に囲まれた佐賀県佐賀市大和町名尾地区。豊かな自然溢れるこの地は、江戸時代から製紙業が盛んでしたが、現在その技術と歴史を受け継ぐのは、1軒のみとなりました。

お祖父様の代には草花をすき込むようになり、お父様は和紙に色付けをするなど、工夫をしながら地域の生業をつないできたのは「名尾手すき和紙」です。7代目を継いだ谷口弦(たにぐちげん)さんは、アートコレクティブ「KMNR™(カミナリ)」として、手すき和紙の技法や様々な素材を用いて作品制作を行い、歴史ある生業を継いだからこそ語れるメッセージや、新たな和紙の魅力を発信されています。

現在、主に商品企画や顧客とのやりとりを担当し、「KMNR™」としての作品づくりもしている谷口さんに、家業との向き合い方についてお話を伺いました。

工房の隣にある直営店。色とりどりの和紙を使った商品がならぶ

名尾手すき和紙の歴史と技術を受け継ぐ「責任」と「覚悟」

「名尾手すき和紙」の工房。和紙作りは暑さに弱く、工房は日陰につくられている

名尾地区に製紙の技術が広まったのは、1690年ごろ。かつては農業を主産業としてきましたが、農耕面積が少なく、貧しい暮らしをしていた村人たちが筑後(福岡県南部)で和紙づくりを学び、その技術を持ち帰ったのがはじまりだそう。

和紙の原料となる梶が自生している名尾地区。「名尾手すき和紙」では代々、「梶の木」を自らの畑で育てています。1月ごろに刈り取りの時期を迎え、蒸し、皮剥ぎ、乾燥の工程を経て、和紙の原料として保管されます。梶の繊維は長く、絡み合いやすいため、薄くても丈夫な紙ができます。

「名尾手すき和紙」の梶の畑。梶は縁起物とされ、葉は神社の神紋にも使われている

谷口さん「この梶の畑がなくなったら、この地で和紙をすく意味がなくなると思っています」

この地域には、最盛期に和紙屋が100軒ほどあったそうですが、需要が減り次々と無くなっていきました。谷口家は幸い、神事や信仰にまつわる和紙をつくっていたため残ることができたのだそう。また、ほかの和紙屋が辞めるときに、そこで作っていた襖紙や障子紙の技術や道具も受け継いできたのです。

全国から文化財修復などの仕事が入る「名尾手すき和紙」。栃木県にある日光東照宮内の輪蔵の修復用和紙を製作したことも

辞めていく仲間の和紙屋から「技術」と「道具」を受け継いできたという責任と、300年以上続く和紙屋の歴史の重み、谷口さんはどのように家業と向き合ってきたのでしょうか。

自分にしかできないことを考えた結果、残った選択肢が「承継」だった

静かな工房で「チャポ、チャポ、チャポ」と紙すきの音が響く(写真の男性は工房で働く職人)

幼いころから和紙は身近だったそうですが、お祖父様や先代からも「継ぐようにいわれたことはない」といいます。ただ、名尾地区で唯一残る和紙屋の跡取りとして、幼いころから地域の人たちの期待は大きく、「いつかは自分が継ぐんだろう」と感じていたのだそう。

谷口さん「ただ、最後の1軒だったからこそ、『僕がここに生まれた』ということ以外の理由がなければやる資格はないと思っていました」

そんな思いを抱えていた谷口さんは、高校卒業後、「今は継ぐときではない」と思い、大阪の大学に進学。卒業後はアパレル会社へ就職します。しかし、そこでも「この仕事は自分でなくてもいいんじゃないか」という思いが強くなり、2年ほど働いたのち、家業に入ることになります。

谷口さん「自分にしかできないことを考えまくって、残ったのが結局家業の『和紙』だったんですよね」

家業に入った谷口さんですが、家族や工房の職人たちからは喜びも反対の声もなかったそうです。そして、「なぜ自分が継ぐのか」という、谷口さんの自問自答の日々がはじまりました。

自分がやる理由を求めて。「還魂紙」との出会い

梶の畑の周りに広がる田園風景

家業に入り、「今までと同じ仕事をしていては時代に取り残される」と、危機感を感じたという谷口さん。承継当時は、取り引きのあった提灯屋も減少し、経営状況が悪くなっていたタイミングだったそう。しかし、何をしたら良いかわからず、悶々としながらも、手すきの技術を習得する日々。紙すきをしながら、自分にしかできないことを常に考えていたといいます。

3〜4年が経ったころ、「自分にしかできないこと」を探すため、全国の紙に関する美術館や図書館に赴き、文献を読み漁っていた際、「還魂紙(かんこんし)」という考え方に出会います。

「還魂紙」は、使用済みの古紙などを集めて繊維をほぐし、再び紙としてすき込む、手すきで再生した紙のことだそう。江戸時代に、八百万の神の考え方に基づき、紙にも魂は残ると考えられ、手すきで再生した紙のことを還魂紙と呼ぶようになったそうです。

谷口さん「和紙も機械ですける時代だし、自分がやる理由が必要だったんです。『紙に宿る魂をメッセージとして発信する』って、自分にしかできないことだと思いました。うちでは昔から草木などを紙にすき込んでいて、その土地の魂を紙に入れていることと同意義だよなって。だから『還魂紙』の考え方は、まさに自分のスタンスと合うんじゃないかと思って。いろんなやり方があると思いますけど、自分は作品をつくることにしたんです」

アートコレクティブ「KMNR™」の誕生

一番初めに制作した作品は、お気に入りの雑誌を和紙と一緒にすいたものだそう。

谷口さん「『自分にしかできないこと』はこの世にはないけど、思いやストーリーが詰まったものを還魂紙として新たな形で蘇らせ、『自分が発信することで意味をなすもの』はあるんじゃないかと思ったんです」

雑誌や新聞などの紙でつくられた作品。一見「石」のように見えるが、触れると「紙」の感触

谷口さんが作品づくりをすることに対して、先代や職人から反対の声はなかったと言います。

谷口さん「うちの一族は代々『普通のこと』に対する恐怖心を持っていて、どう生業を残していくかを常に考えてやってきたから、新しいことに対して文句を言う人はいなかったですね」

こうして2019年に、デザイナーと編集者、そして作品づくりを行う谷口さんの3名でアートコレクティブ「KMNR™」として、還魂紙をコンセプトとした作品づくりをスタートしました。

谷口さん「制作を重ねるほど、自分のメッセージが明確になっていく気がします。持って生まれた『名尾手すき和紙』というアイデンティティについて、自分の人生で後天的に得た葛藤や考えを、作品として残し、誰かに影響を与えることができるのであれば、これ以上嬉しいことはありません。やっと僕の中で、ここに生まれ、これをやる理由につながると思うんです」

「KMNR™」の作品で新規顧客も獲得、新たな歴史を書き加えるための挑戦

承継当初は経営状況がよくなかったそうですが、谷口さんが承継した後の業績は伸びているのだとか。それは、谷口さんの”還魂紙”をテーマにした作品づくりとも関係しているのだそう。

谷口さん「合同見本市に和紙の商品と一緒に作品も出していたんですよ。すると、『和紙でこんなこともできるんだ』って、作品を見せることで、来訪者との商談のきっかけにもなって。作品を介して、『名尾手すき和紙』の新たな魅力や技術を伝えられたことで、新規の顧客獲得につながったのだと思います」

近年は新しい商品づくりにも挑戦。光を通すほどに薄い提灯紙の技術を用いて「透かし」の罫線をひいた「ちぎり一筆箋」
佐賀県嬉野の茶農家とコラボレーションした防臭シート「”AIR BATH” from JAPANESE TEA FARM」

家業を、先天的に持って生まれた「アイデンティティ」と話す谷口さん。承継の良さについて伺いました。

谷口さん「承継して良かったことしかありません。承継当初は『自分が継ぐ意味』について悩み苦しみましたが、その答えを見つけたことで、僕は想像以上に色んなことが実現できる可能性が増えた。それは、『KMNR™』として、自分の思いや考えを発信しようとしてきたからだと思うんです」

「将来のビジョンはあえて決めたくない」と話す谷口さんに、未来の家業を継ぐ方へのメッセージを伺いました。

谷口さん「家業を継ぐことをおすすめはします。僕らは先代やご先祖のクローンではないので、歴史を辿るだけでなく、新たな歴史を書き加えられる。それは先祖が築き上げてくれた揺るぎない歴史と伝統があるからこそ、新しいことに挑戦できる余地があると思うんです。挑戦することを楽しんで欲しいと思います」

「なぜ自分が継ぐのか」という問いととことん向き合い続けた谷口さんだからこそ、「和紙」の概念を超えた作品を生み出すことができる。歴史ある地域の生業を継ぐとき、「自分がやる理由」と向き合うことは、新たな挑戦をする上で、大切な過程なのではないでしょうか。

300年続く「名尾手すき和紙」の歴史に新たな歴史を書き加える挑戦は、はじまったばかりです。

文・栗原香小梨

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