事業承継ストーリー

カリスマ先代とは違う2代目だからできること。悩み抜いてたどり着いた「フォロワーシップ型リーダー」

子育て中の女性などが抱える「働きにくさ」という社会課題の解決に向けて、調布市を中心に事業を展開する、非営利型株式会社Polaris(ポラリス)。

会員制コワーキングスペースの運営や、育児などをきっかけに離職した女性による業務請負サービスのマネジメントといった様々な事業の根底には、誰もが「心地よく暮らし、心地よくはたらく」社会を実現するという創業者の想いがあります。

そんな創業者の熱量から生まれたPolarisを継承し、2代目代表となったのが大槻昌美さん。カリスマ創業者からバトンを受けとってから数年は、自分と創業者を比較して「私のいる意味ってなんだろう?」と、自分の存在意義に悩んでいたそうです。

大槻さんは初代から事業を継承する2代目が迷いこみがちなトンネルを、どのように抜け出し、新たな価値を発揮するまでに至ったのでしょうか?2代目代表の大槻さんと創業者の市川望美さんにお話を伺いました。

未来における女性の働きやすさを目指して

創業者、市川望美さん

2012年に設立されたPolarisは、自身も2児の母である市川望美さんが子育て中の女性が抱える「働きにくさ」問題に、当事者として向き合いたいという想いから生まれました。

市川さん「当時は『母親が心地よく働ける社会づくり』と発信すると、『それは甘え』などと批判される時代でした。Polarisは少子高齢化など日本社会の問題を見据え、固定概念に縛られない多様で柔軟な働き方を、『未来におけるあたりまえ』にするため奮闘していました」

創業期のメンバーは、創業者の市川さんと、大槻昌美さん、山本弥和さんの3名。「ゼロイチ起業家タイプ」の市川さんが進む方向を示し、「仲間思いで現場対応力の高い」大槻さんが現場を切り盛りし、「本質にこだわるそもそも探究派」の山本さんが企画部門を担当する個性をベースとした、バランス関係がありました。

ですが、この関係性を軸に日々事業を進めていくことしか考えられなかった立ち上げ初期、創業者の市川さんは違う視点で組織の未来を考えていました。

市川さん「3年か5年後には代表を交代しようと考えていました。そうしないとPolarisの存続は不可能だと思っていたんです」

創業者が引っ張るフェーズはもう終わり

創業当時の集合写真

創業者の市川さんが代表を務めていた当時、メンバー間には「正解」を求める雰囲気があったといいます。「私はこう思ったけど、Polaris的にあってますか?」と市川さんに確認しながら仕事を行うのは、決まった答えが無い「多種多様な働き方」を大切にするPolarisの理想ではありません。

このままだと創業者の言葉でしかメンバーを引っ張れないうえ、正解主義は多様な人が関わる組織の良さを消してしまいます。創業者の思いを皆のものにして、よりのびのやかに力を発揮できる組織とするために、強いリーダーが牽引するスタイルを変える選択をしました。

そこで代表交代の白羽の矢が立ったのが、大槻さんでした。創業から4年後の2016年、事業承継が行われます。

▲創業記念イベントでの、代表交代のお披露目時

大槻さん「事業を引き継ぐ時には、自分が代表をできる、できないというより、多忙な望美さんの荷物を降ろしてあげないと!という気持ちが強かったです。その後数年間も葛藤することになるとは思ってもみませんでした」

そんなに代表が辛いなら、辞めるしかない

創業者と同じ熱量で事業を引き継ぐのは容易ではありません。2代目代表の大槻さんは、自分の言葉に創業者のような強さが無いことに悩む日々が続きました。

大槻さん「私は全体を俯瞰して指示を出すより、裏方として椅子を運んでいた方が楽なタイプ。嫌われたくない根性が強いのかもしれない。毎月の定例ミーティングが特に怖かったです。望美さんは方針を明確に示していたけれど、私はそこにいるだけという感じでした」

定例会議の様子

自信の無さから、クライアントへの挨拶時には、「Polaris代表の大槻昌美です」ではなく、「創業の頃から望美さんと一緒にやっています」と言っていました。

葛藤する大槻さんを側で見ていた役員の一人は心配のあまり、「周りがいくらサポートしてもあとは昌美ちゃん自身の問題だから。そんなに辛いなら代表をやめるしかない」と声を掛けました。

大槻さん「『そうだよね』と思っちゃいました。自分が代表である意味を納得できない限り、無理だなって」

「みんなに好かれなくても良い」心境の変化が2代目としての転機に

代表就任直後の大槻昌美さん(写真左)

承継のプレッシャーを一発で解消する魔法はありません。しかし、振り返ると、転換のきっかけになった出来事が2つあったと言います。

大槻さん「1つ目は、望美さんが代表交代と同時期に大学院に入学したこと。必要な時にPolarisの運営に関わるスタンスに変わったことで、ちょうど良い距離感がうまれました。2つ目は、子供が通う学校のPTA会長に就任したこと。Polaris代表とPTA会長の二足のわらじに驚かれましたが、私にとっては必要な選択でした。

Polarisだけだと、“できない自分”しか見えず、自信を完璧に失っていたと思います。PTAという、仕事と全く関係ない環境とメンバーでやっていくことが、私にとっては安らぎでした。子ども1人より2人の方が子育てが楽に感じたり、専業主婦がパートに出ると意外と家事が捗ったりみたいな感覚です」

PTA会長を経験することで、「万人に好かれなくても良い」という強さを手に入れたのも大きい変化でした。コミュニティを複数持ち、嫌われても良いと思えたことで、大槻さんの代表としての意識が変わってきます。

大槻さん「私は私とようやく認められるようになりました。望美さんのように“こっちだよ!”と引っ張るのではなく、“一緒にやろうよ”と後ろから押していくという役割があるのかもと気づけたんです」

自信の無い部分が才能?フォロワーシップ型リーダーの誕生

大槻さん(写真左)と市川さん(写真右)の仕事風景

自らを“椅子を運んでいた方が楽なタイプ”と評していた大槻さん。実際は、誰よりも沢山の椅子を率先して運び、周囲を気遣う声を掛け、結果多くの人を巻き込んでいくことができるフォロワーシップ型のリーダーでした。

大槻さん「私が何か言うとメンバーが『それ違うよ』と遠慮なく指摘してくるんです。できないことも多いから、『助けてあげないと!』と思うみたい(笑)。結果として、内外問わず皆を巻き込み、一緒に考えて展開していくスタイルになりました」

創業者の市川さんは、これを「才能」と評しています。

市川さん「昌美ちゃんの“皆が関われる余地を作る”というのは、私がどんなに努力してもできないこと。意見も言いやすいから、不満も溜まりにくい。“代表”という重責を抱えるポジションでありながら、常に笑顔でフラットな立場でいられるのは本当に凄いこと」

次第に社内の雰囲気にも変化が生まれます。「Polarisにいたら何か面白いことができる」「カリスマ創業者に連れて行ってもらう」などの受け身姿勢から、「自分たちがこの会社を何とかする」「こうした方がクライアントがもっと喜んでくれる」と主体的に動く姿勢へと変化していったのです。

代表に正解を求めるのではなく、理念や想いを自分の言葉で語ることができる人が増えてきたのは、Polarisとして非常に大きな変化でした。

事業承継には組織をガラリと変える力がある

新代表のもと、新たに生まれ変わったPolarisでは、新しい事業が生まれています。

例えば、「未来におけるあたりまえのはたらき方」を共に探求する学びの場・コミュニティである『はたらくをアートする自由七科』。Polarisが多様であることを前提としたはたらく仕組みと、それを受け止める組織作りを通して、今まで培ってきた知見を一般に共有する集大成の事業です。

『はたらくをアートする自由七科』の様子

大槻さん「代表としてのやりがいは、“Polarisがあるから自分らしく働ける!”と思ってくれる人たちのために、組織を存続させること。ですが、社会が改善していけば私たちの役割も変わります」

根底にあるビジョンは創業時から変わらないものの、支援の方法論や対象者、そして経営スタイルまでも時代に合わせて柔軟に変えることで、Polarisは進化を続けています。

市川さん「事業承継は組織をがらりと変化させる強力なパワーがあるので、組織の改革や変化に生かさないともったいないと思います。前の組織や代表では、どうしてもできなかったことを、あっさりとできるようになるチャンスです」

大槻さん「今までの良さを生かしつつ、未来の部分をつくっていけるタイミングなので、チャレンジしがいがあります」

事業承継を上手に活用し、改革を推し進めていったPolaris。「心地よく暮らし、心地よくはたらく」ことが選択できる社会の実現に向けて、常に挑戦と変化を続ける同社の活躍に今後も目が離せません。

文:佐野 友美

 

 

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