父から継いだ内装業。低迷から脱するきっかけになった介護を中心に3社を承継

島根県浜田市で、内装業を中心に多角的に事業を展開する「有限会社齋藤アルケン工業」。2代目社長として後を継いだのは、息子の齋藤憲嗣さんです。

承継後すぐに家業の厳しい現実を目の当たりにした齋藤さん。事業存続までの道のりは決して穏やかではありませんでしたが、今では創業時の内装業を基盤としつつ、介護事業を中心に市内外の会社3つの事業承継を経験しています。

これまでの歩みを振り返りながら、齋藤さんと会社がどのようにして今の形に落ち着いたのかを伺いました。

親の働く姿を見て育ち、自然な流れで家業を継ぐ

有限会社齋藤アルケン工業は、昭和56年に内装業として創業し、今年で41年目を迎えます。創業者である父親と経理全般を担う母親を見て育った齋藤さんにとって、家業を継ぐことは自然な流れでした。

齋藤さん「幼いころから自営業を営む両親を見てきましたし、無意識に自分が継ぐものだと思って育ちました。大学生のときに改めて父から『継いでほしい』と話されたときも、特に抵抗はありませんでした」

大学卒業後は、家業を外から知るためにも、県外にある家業関係の資材仕入れの会社に就職。工場での下積みと営業を経験したあと、2000年に浜田市へ帰郷。その後は、事業承継に向けて齋藤アルケン工業で下積みを重ね、2011年に代表取締役になりました。

目の当たりにした右肩下がりの現実。農業に新規参入するも撤退

齋藤アルケン工業の代表、齋藤憲嗣さん

子どもの頃から両親の働く姿を見ていたために、繁忙期もそうでないときも、経営状況を肌で感じていたという齋藤さん。バブル全盛期が過ぎてからの事業の傾きも、なんとなく感じてはいたものの、入社して目の当たりにした現実は、予想以上に厳しかったそうです。

齋藤さん「バブル全盛期と比べ、売り上げが落ちているのは肌で感じていました。浜田へ帰郷してから2年後、会社の保証人を求められたとき初めて事業残高を知ることとなりましたが、当時の借入の多さを目の当たりにし『もう、逃げられなくなった』と感じましたね」

その後も、社会全体の経済低迷の傾きに逆らうことはできず、事業は更なる低迷期に突入。しかし、齋藤さんは歩みを止めなかったと言います。

齋藤さん「すでに高齢だった両親は、何か新しいことに取り組むエネルギーがないように見えたので、自分が何か新しいことをしなければならないと感じていました。ただ、内装の仕事もある中、何をすればいいのかわからない状態でした。忙しさと焦燥感から心身ともに疲れ果て、新しいことに集中できずにいました」

その頃、建設業界の農業参入が多く見受けられるようになります。建設業が農業に参入すると補助金が出るといった施策が打ち出され、その流れに乗ろうと齋藤さんも奔走します。

齋藤さん「2006年から2007年にかけて、補助金を受けて齋藤アルケン工業も農業に挑戦しようと、ニンニク作りを始めました。ただ、国産とはいえニンニクの単価はそう高くはないのが現実です。内装業で作った事業の借入を返済するには気が遠くなるような道のりが待っていて、3年で撤退することになりました」

内装業を活かせる介護業界へ。ずっと見守ってくれていた両親

暫くして、次の業種転換のタイミングが訪れます。

齋藤さん「商工会議所で介護業界参入のセミナーがあることを知ったんです。話を聞くうちに介護用品貸与事業であれば、内装業の手すりの取り付け技術などを活かせると考えました。その後、内装の仕事をしつつ介護事業に向けた資格をなんとか取得することが出来ました」

資格取得を機に、齋藤アルケン工業から内装業と並行して新たに介護用品貸与事業を開業したのが、2009年12月のこと。とはいえ「介護事業をはじめて2年経っても、自分の給与は生み出せなかった」と齋藤さんは振り返ります。

これまでの奮闘をそばで見ていた両親は、新しく始めた事業に対して心配はしていたそうですが、何かを強制することはなかったそうです。

齋藤さん「介護事業を始めたときから、父は何も言いませんでした。母は内装業も含め経理をやってくれていたので『どうするの?介護事業の給料出てないよ』と心配していましたね。だから、父は母を通して間接的に全てを知っていて、ずっと見守ってくれていたんだと思います」

友人の母親たちが、信頼とともに仕事を持ってきてくれた。

齋藤さんの元に次の転機がやってきたのは、介護事業をスタートして3年目の2012年のことです。

斎藤さん「私の元へ『介護の仕事をしていて定年になったけれど、まだ仕事を続けたい』と、同級生の母親が訪ねてくれました。それがきっかけで、私と同級生の母親、そして縁あったもう一人の方と3人で在宅介護支援事業所を始めることになりました」

齋藤さん「経営の現状をよく知ってくれている母親に、同級生の母親が訪ねてきてくれた話も含めて相談しましたね。帰ってきた答えは私と同じ考えでした。親子揃って『これでダメなら』という最後の願掛けのようのな気持ちで一致しました。

介護で大切なのは信用です。正直なところ、私自身は、齋藤アルケン工業という看板を背負いながら異業種参入していくにはハードルが高いと感じていました。そんな中で、同級生のお母さん達がこれまで地域で築いてきたケアマネジャーという実績と信頼と共に、仕事を持って来てくれました」

状況は一変し、仕事が舞い込むようになった介護事業は『歩歩笑み(ほほえみ)ライフ』という名前で、一歩一歩と歩みながら、微笑みを生み出していきたいとの思いで、斎藤さんの母親がつけた名前だそうです。

信頼が次の繋がりを生み、2つの事業承継の話が舞い込む

内装業と福祉事業の2本柱で会社を経営していくうちに、次第に地域での信頼が生まれ始めます。

齋藤さん「仕事があることが嬉しかったですし、人の役に立ちたい気持ちを形にしたくて、出来ることは何でもしました。例えば、スーパーの一角を借りて介護にまつわる相談所を無料で解説したり、内装業と介護の両方の知見を取り入れた本も自ら執筆して電子出版しました」

地道な活動が人々の安心感に繋がり、病院や行政の方々からも声がかかるように。

齋藤さん「2019年、浜田市の隣・江津市にある介護サービス提供事業所『よろこぼう屋』より事業承継の相談がありました。社長自ら、自分の後を継いでほしいと話を持ち掛けられて、引き受けることにしました。

続けて2021年の夏には、島根県の農協が介護業界から撤退することが決まり『浜田市農協』から事業承継の話を頂きました」

よろこぼう屋は、そのままの名前で新社長として事業承継。浜田市農協については、事業承継という形でありながら、スタッフの方々の「今のメンバーで仕事を継続したい」という気持ちを汲み取り、「合同会社ライフピークス(ヘルパーステーション花笑み)」として、2022年3月に新たに法人を立ち上げました。

人と人を繋ぐ仕事を通して得た自身の変化

浜田市に帰郷して22年。いくつかの新事業参入を試み、今では3つの会社の事業承継を経験した齋藤さんは、これまでの道のりをこう語ります。

齋藤さん「私はもともと、自分のためにしか頑張らないような人間でした。会社の危機を前にして、ただひたすら走り続けた先に介護という知らない世界を知り、そこで出会った人たちに支えられて『ありがとう』を言われることの喜びを知りました。

穏やかに話す齋藤さんですが、これまで逆風がなかったわけではありません。

齋藤さん「運営する介護施設で、新型コロナウイルスのクラスターが起こったときは本当につらかったです。人手も足りないなかで、職員も利用者さんもみんなが何とか耐えしのぎました。

電話対応する中で、同業者の方々や地域の方々が『大丈夫?』『大変だったね』と声をかけて下さることが心から嬉しかったです。また、スタッフと利用者の方々が辛い思いをしながらも奮闘する姿を見たからこそ、僕自身も頑張るしかないと思い、乗り切ることができました。

大変な状況で対応してくれたスタッフには、心から感謝しています」

これまで歩んだ道のりが、今の人となりを作り上げ他の自治体や企業から事業承継を任せられる信頼に繋がっている齋藤アルケン工業。齋藤さんの事業承継は、まさに多くの仕事と人を繋ぐ次世代に向けた何かが見えてくるようです。更なる活躍に、今後も目が離せません。

文・瀬島早織

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