事業承継ストーリー

3代目は新進気鋭のネクタイ職人。お客も作り手も幸せになる縫製で未開の地を切り開く

「縫製は、かっこいい。」をスローガンに、上質で洗練された商品を世に送り出している「株式会社笏本(しゃくもと)縫製」(岡山県津山市)。代表取締役の笏本達宏(しゃくもとたつひろ)さんは、祖母玉枝さん、母たか子さんからのバトンを受け継ぎ、3代目として活躍しています。

2015年には夢だった自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」を立ち上げ、現在では様々なブランドや全国の百貨店、有名セレクトショップなどで製品を展開するなど活躍の場を広げています。最近は縫製技術を駆使したマスクも人気です。

生まれ育った津山から、新しいトレンドを発信し続ける笏本さんにお話を伺いました。

「お客さまが喜んでくれるなら」。魔法使いと呼ばれた祖母

54年前、自宅の一室で祖母玉枝さんが始めた笏本縫製。ボタン付け、穴あけなどの小さな仕事から、子ども服婦人服の縫製まで請け負う「何でも屋さん」でした。当時、玉枝さんは笏本さんに誇らしげにこう言いました。

「私はなんでもするけん、魔法使いって言われよるんで」

ただお客さまが喜ぶ顔が見たい。その一心で応え続けた年月は、笏本縫製のスキルや品質、モラルを押し上げてきました。それは母たか子さんの代を経て今日まで確実に受け継がれ、会社の価値として確かなものになっています。

「私は越えられんよ、がんばれ」

長年「苦しい、厳しい」と言われ続けてきた縫製業界。その中で踏ん張り続けた2代目のたか子さんは、息子である笏本さんに「継がなくていい、私の代で潰すから」と話していました。

笏本さん自身、10年前までは事業を引き継ぐことは考えていませんでした。夢だった美容師の道を進む中で、転機はたか子さんが体調を崩したことでした。「一時的な複業」として家業に関わるようになり、笏本さんは驚きの連続だったと言います。

笏本さん「誰もが知っている百貨店からの受注、それを最高品質で仕上げるスタッフの実力、納期を絶対に守るという社全体の意識の高さ。『価値あるものがここにある』と確信し、自社の価値化に挑んでみたくなりました」

「継ぐな」と言っていたたか子さんは承継の意思を聞いた時、戸惑いながら喜んでくれました。玉枝さんからは「私は越えられんよ、がんばれ」、たか子さんからは「苦労に負けるなよ」と激励を受けて奮い立ちました。

「これこそが笏本縫製」というアイデンティティをつくる

玉枝さんの代の「何でも屋さん」から、徐々に増えていたネクタイの受注は、2011年には90%を超えており、ネクタイの下請けとして、大手百貨店などから大きな信頼を得ていました。笏本さんは、そこに特化し高い技術を持った職人が手作業で作る自社ブランドの立ち上げを決意します。

笏本さん「求められる品質に応えることも、納期を守ることも当たり前のこと。その上で『これこそが笏本縫製だ』というアイデンティティが必要だと考えました。下請けのみの生産スタイルではお客様の生の声が聞こえない。もっとお客様の声が直に聞けて形にできるネクタイを作りたいと思ったんです」

こうして試行錯誤の末に生まれたのが、オリジナルの自社ブランド「SHAKUNONE(笏の音)」でした。祖母の代から半世紀蓄積した技術とノウハウを存分に詰め込み、昔ながらの王道の製法で、京都や山梨などの世界的に有名な国産絹を生地にネクタイを仕立てています。

笏本さん「企業アイデンティティの不足は、お客さま、エンドユーザーの顔が見えないことから起こっていました。ブランドを立ち上げて販売の現場に立ったことで、お客さまの反応、要望、喜びがダイレクトにもの作りの現場へ流れ込むようになりました。

自分たちの仕事に目に見える評価が得られるようになり、スタッフの自己評価が高まりました。結果として、自社の価値が明確になり、企業アイデンティティが構築されたと考えています」

お客さまに喜んでもらえる商品を、作り手もしあわせを感じながら作り上げる挑戦は、国内の縫製業界の未開の地を切り開いていくこととなりました。

クラウドファンディングの挑戦で、可能性が確信に変わった

しかし、ブランドはすぐに軌道に乗ったわけではありませんでした。まだネット販売も主流ではない中、百貨店に置いてもらえるわけでもない。社内には「小さな工場の自社ブランドなんて、やっぱり無理なんだ」という重たい空気が漂いました。

このままではいけない。笏本さんは社運を賭けた挑戦に打って出ます。クラウドファンディングへの挑戦です。

笏本さん「強みも弱みもさらけ出して、社会に対して期待や要求を問いかけました。達成できなければブランドを畳むつもりの背水の陣。それが、見る見るうちに支援が増えていき、経過を報告するたびに社内の士気が上がり団結していく。プロジェクト成功の瞬間の盛り上がりは忘れられません。

もうひとつ良かったことが、手詰まりになっていた販路が開拓できたことです。クラウドファンディングの最中に関西のトップ、阪急メンズ大阪からポップアップの提案をいただきました。その後、日本橋三越など関東、東海にも出店する機会をいただき、ブランドを勢いづかせることができました」

ブランド立ち上げの初年度は30万円ほどだった売上が、4年で年間1,000万円を超えるまでに成長しました。「自分たちには価値がある、この仕事をやっていていいんだという肯定を手に入れた瞬間だった」と笏本さんは語ります。

「これでやっと、最終的な責任と判断が伴った」

10年かけてイメージと現実のギャップを埋めるためのチューニングを進めてきた笏本さん。入社から10年後の2021年1月、会社を継ぎ代表取締役となりました。先代も先々代も存命中の事業承継は、準備が周到にできるのでとてもポジティブな印象だと言います。

笏本さん「自社の価値を明確化し、自分は社の顔、タレントとして最前線に立つ矛(ほこ)の役割を徹底しました。承継に対する逃げ道も塞ぎました。そうすると、周りの目が変わって来た。『社長!(まだ専務だったのですが)』と呼ばれるたびに、自分が社も業界もリードする人間にならねば、という覚悟が強まりました。

10年かけて力を蓄え準備を重ねてきた結果、2021年の事業承継は『これでやっと、最終的な責任と判断が伴った』と、抱えてきた不足感が解消された瞬間でした。あとは『専務』から『社長』へ呼び名が変わったくらい(笑)」

より多角的な情報発信で、お客さまと共に商品を磨いていきたい

笏本縫製の社訓に「お客さまによろこびを、作り手にしあわせを」というものがあります。お客さまも作り手の自分たちも、どちらもしあわせになれる状態を掴みに行く、という笏本さんの攻めの姿勢が表れています。

笏本さん「『笏本縫製の仕様書はお客さま』とも話しています。指示書やデータ、トレンドや売れ筋ではなく、販売の最前線でお客さまともに商品の感性を磨きたいんです。そのためにSNSなどでの情報発信も大切にしています。不完全さも自分らしく発信することにこだわっています。

職人の謙虚さと情報発信は対立しがちかもしれませんが、私は、より良いもの作りのための努力と、知ってもらう発信の努力は50:50であるべきだと考えています。知ってもらい、お客さまになってもらうための広報と、自分たちらしさの表現というクリエイティブの部分も50:50ですね。今後は社内での共同発信者を増やして、お客さまにより多角的、魅力的な情報をお届けしていきたいです」

縫製業界の未開の地を拓いているのは「自分ひとりじゃない」

次々と新しいことにチャレンジする笏本さんは、国内の縫製業界では先駆者のように見えます。しかし、笏本さん自身には「ひとりぼっちで未開の地を進んでいる」感覚はないと言います。

笏本さん「情報発信をする中で知ったのですが、国内各地に新しい挑戦、若い先駆者の火種がたくさんあるんです。既に成功しつつある、成功と言える事例もいくつもある。以前は自分を『ひとりだ』と思ったことがありましたが、今はまったく思いません。心強いですね。

私は『継がないで』なんて言わせない仕事を作っていきたい。お客さまによろこびを、作り手にしあわせを生み出せる仕事を実現します。縫製工場の試みとしても、自社ブランドとしても、事業承継の事例としても、モデルケース、成功事例のひとつになることを目指しています」

生まれ育った津山からこだわりのネクタイを生み出し続け、「日本一かっこいい縫製工場」を地で行く笏本さん。会社だけでなく縫製業界、津山の未来も託されながら、これからも挑戦は続きます。

文・麓加誉子

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