「地元に愛される卵を全国の人に知ってほしい」。作り手の顔と理念を伝えるリブランディング

宮城県白石市の創業56年目を迎える養鶏場「竹鶏ファーム」。畜産独特のニオイ対策をするために竹を利用していたことがきっかけで、90年代から鶏のエサに竹炭を混ぜ、卵の生臭さを抑えることに成功。「竹鶏物語」として地元で愛されてきました。

現在代表を務める志村竜生さんは2010年にUターン、2020年に4代目の代表に就任しました。その間、志村さんは兄・竜海さんと共にリブランディングに挑戦、誕生した「竹鶏たまご」は全国に販路を広げています。

進学と就職で気付いた、家業への誇りと思い入れ

「竹鶏ファーム」は家族経営の養鶏場です。志村さんが幼い頃から自宅の敷地内に養鶏場があり、家業を手伝うのが当たり前の環境でした。

志村さん「自宅の前が通学路なので、同級生に鶏の糞のにおいを嫌がられたりすることもあり、サラリーマン家庭とは違うことにコンプレックスがありました」

高校時代まで硬式野球に取り組んでいた志村さん。高校は部活漬けの日々で、当時は家業を継ぐという意識はありませんでした。大学生時代、そんな志村さんに転機が訪れます。

志村さん「高校までは家業を継ぐという選択肢は自分の中にありませんでした。でも農学部畜産学科に進学して『卒業したら家業を継ぐ』と決めて、大学に進学している人たちに出会い、彼らが家業に誇りを持っている姿に刺激を受けました。大学の4年間でいつか家業を継げたらという気持ちが芽生えてきたんです」

家業を継ぎたいという気持ちが芽生えたものの、当時は事業を継承するという意思が強くなかったため、大学卒業後は東京の会社に就職します。

志村さん「一度外の社会を経験したいと思い、食品関係の会社を選びました。就職した会社で業務用コーヒーの営業をしていたときに、コーヒーのことはそこまで熱意を持って話すことができないのに、実家の養鶏の話になると説得力を持って話せる自分に気づいたんです」

営業先でコーヒーではなく実家の卵を買ってもらうことも度々あり、志村さんは次第に家業への思いを募らせてゆきました。そんな中、志村さんはある本と出会います。

志村さん「司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読んでいて『世に生を得るは事を成すに有り』という言葉に出会いました。それから自分の生まれた意味を悶々と考えてしまって。結局、自分自身のルーツであり、バックボーンである養鶏の仕事を地元に戻ってやる方がいいと考えて地元に戻りました」

「好きにすればいい」背中を押してくれた父の存在

志村さんの父・浩幸さんは早い段階から世代交代を意識し、兄弟にそれを伝えていたといいます。

志村さん「父は代表の座に固執していなくて、早く若い人に任せるという考え方を持っていました。戻ってくる前から『好きにすればいい』『自由にやっていい』と言ってくれていて、戻ってきてすぐに経営のことを含め権限移譲をしてくれました。承継の土壇場になってやっぱり代表を続けると言う可能性だってあるかもしれないと思っていたので、一貫性があってすごいと尊敬しています」

社会人経験が2年間だったこともあり、「家業に戻ってすぐ何かできたわけではない」と志村さんは話します。

しかし家業には竹鶏ファームとして、こだわったブランド卵を20数年前からすでにやっていた「下地」があったので、家業に戻ってきた志村さんは、長らく地元で愛されてきた卵を、より価値を高めて地元以外の人にも知ってほしいと考えるようになります。

そのために、商品をつくってからどのように販売していくかを考える「プロダクトアウト」型から、顧客の意見・ニーズを汲み取って商品開発を行う「マーケットイン」型へと舵を切ったのです。

顧客ターゲットを「母親」に定め、お母さんに選んでもらえるよう、パッケージやホームページをやさしくてあたたかみのあるデザインに一新。商品名も「竹鶏物語」から「竹鶏たまご」として生まれ変わりました。

志村さん「ブランディングの経験はありませんでしたが、兄と一緒に学びながら失敗しながらやっていました。僕は新しいことを思いつくタイプで、兄はそれを受け止め、意見交換した上で実践してくれるタイプなんです。その意味ではバランスが取れているのかなと感じています」

震災を機に問われた、食品を作る作り手。

そしてリブランディングに向けて動き出そうとしていた矢先に、東日本大震災が起こります。震災がきっかけで食への安全性が問われ、「作り手が分かる食材」へのニーズが高まる中、志村さんはオリジナルの「産地証明書」を配達先の飲食店で飾ってもらいます。

兄弟でチラシや小売店の販促POPにも顔を出して登場。ほかの家族や従業員も顔を出してPRに取り組んできました。

志村さん「味だけで勝負をすると、ほかの養鶏場もおいしいものをつくっているので差別化ができません。ちゃんと生産者の顔が見えることやお客様に経営理念に共感していただくことを大事にしています」

志村さんはUターン後、本業のかたわら「宮城のこせがれネットワーク」という生産者同士の横のつながりや一般の方、学生さんと生産者がつながれるコミュニティを立ち上げていました。そのつながりがリブランディングにも活きていると話します。

志村さん「幅広い知識や情報を得ることのできる環境に身を置くことで、視点が偏らないようにしています。ブランディングを勧めていく中でも、業界の外に居る人の観点を取り入れることを意識していますね」

変えないことと変えることを、時代に合わせて見極めるおもしろさ

事業を引き継いだ志村さんは、先代から受け継いだ経営理念を大事にしているそうです。

志村さん「外食産業に多く卸していたため、コロナ禍の影響を受けて卵も余るようになってしまいました。あらためて地元の人たちが買ってくださることのありがたさを改めて感じ、先代の地域に愛される養鶏場を目指していこうという経営理念の大切さを痛感しました」

事業承継は創業と違い、0から1をつくるわけではありません。その中で志村さんは次のような事業承継の魅力を感じていると話してくれました。

志村さん「先代からもらったバトンにいかに自分が肉づけして次の世代につなげるか、時代に合わせて変えないところと変えるところを見極めるおもしろさがあります。元々事業をされていた方がどんな思いでされていて、どんなバトンをつなぐのかはケースバイケースだと思いますが、バトンをつないでいく楽しさはあるので、事業承継に関心のある方は、その事業に共感するんだったらぜひやってみてほしいです」

今後は卵の6次化にも取り組み、いつか「卵のテーマパーク」ができたらとチャンスをうかがっている志村さん。

志村さん「規模は違うんですけど、たとえばカップヌードルミュージアムのようなイメージです。ただ加工して集客して売るだけでなく、体験を通して養鶏の深さを知ってもらったり、鶏や卵の話をできる場所でいただいたりなど、テーマパークのように愉しんでもらいながら、より卵を感じてもらえるような空間をつくりたいです」

お客さんに養鶏の深さを知ってもらったり、お客さんと鶏や卵の話をしてもらえる竹鶏ファームだからこそできるものを考えているそうです。地元の方と卵を大切にしながらも、進化を続ける竹鶏ファームの今後の挑戦に注目です。

文:黒木 萌

 

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