事業承継ストーリー

25歳で福祉用具レンタル・販売業を継承。「自ら考える組織」へ向けた3代目の挑戦

東京タワーがきれいに見える場所に、株式会社ヤマシタの東京本部があります。株式会社ヤマシタは1963年に静岡県で創業され、医療機関へのリネンサプライが中心の事業でした。現在はリネンサプライに加え、900名以上の福祉用具専門相談員がお身体やお住まいの状況に応じて最適な福祉用具を提案する、福祉用具レンタル・販売事業を並行して行っています。

株式会社ヤマシタの3代目である山下和洋さんは、物心ついた時から祖父である創業者と父である2代目社長から「3代目の社長になれ」と言われながら育ってきました。しかし、家業に入社してからの道は平坦ではなかったと言います。

社長として8年目を迎え、2,000名以上の従業員に向き合ってきた山下さんの、事業承継にまつわる想いを伺いました。

「社長になる」新卒で家業に入社

山下さんは大学卒業後、新卒で家業に入社します。

山下さん「家業に入った後は、毎日朝8時半〜25時くらいまで仕事をしていました。香川県の新規立ち上げの営業担当、東京の広報、人事、企画、子会社の常務。これらを全て同時に担当していたこともあり、忙しかったものの、楽しかったという思い出があります」

その後、働きぶりが認められて、入社3年後の2013年には、課長に就任。ゆくゆくは社長になることを目指し、社内で結果を出していた山下さんに、ある日突然の出来事が起こります。

課長に昇格した翌月に代表取締役に

4月に課長に昇格した山下さんでしたが、その翌月の5月に父である2代目社長が交通事故により急逝、そこから代表権を得て山下さんは代表取締役に就任することに。

山下さんは当時の感覚を「背筋が凍る感覚」と語ります。

山下さん「簿記の試験中に家族から何度も電話がかかってきていました。『父が交通事故にあって重体』と連絡を受け、試験を途中で抜けて実家に向かいます。新幹線の中で『父が交通事故で重体』という意味を冷静に考えてみました。『もしかしたら、代表権を持つかもしれない』と考えが頭をよぎり、この時の気持ちを言葉で表現すると『背筋が凍る』そんな感覚でした。

経営者などがこれまでにないような大変な状態を体験した時に、『ご飯の味がしない』とか『ご飯が砂利のような味がした』というような不思議な表現をしていますが、まさに『これか』って思いました。この時感じた緊張感や怖さ一生忘れられないと思います」

しかし病院で父親の状態を見た時には、『もうやるしかない』と気持ちが切り替わったと言います。

山下さん「迷いや不安がなかったわけではありませんが、父を見て覚悟が決まりました。父の右腕だった人も病気だったこと、まわりの人にも背中を押されたこともあり、社長という職務に自ら手をあげたんです。反対やクーデターなども起こることもなく、まわりの人たちも協力的でした。自分の経営者として足りない部分を、フォローしてくれたり、気づかせてくれたり。この環境があったことは本当にありがたいと、今でも思います」

事業承継して見えた、会社の課題

福祉用具の提案の様子

こうして代表に就任した山下さんですが、事業継承してから見えるようになった、会社の課題があったと言います。

山下さん「社長になった当時はマネージャーが育っておらず、その部下の優秀な人が辞めてしまう状態が続いていました。またマネージャーに指示を出すと、私が伝えた言葉をそのままマネージャーが社員に伝えていました。

『社長が言っていたからこれをやってください』『〜に変更になりました。理由は分からないけど、社長が言うから』みたいな様子で、社員向けに翻訳されていなかったんですね。

まずは、私の言葉をマネージャーが部下に伝わりやすい言葉に変換してもらうためには、マネジメントの部分や研修制度が整っていないことなどの課題が明確だったので、そこに手を入れました。マネージャー自身の意識改革が必須ですので、一朝一夕で改善する課題ではないですが、取り組みを続けることで徐々に成果が出てきています」

会社の前進のために打ち出した『中期計画リバイバルプラン』

千葉事業所

社長になる前も忙しかったそうですが、事業継承して3か月は比べものにならないくらいの忙しさだったそうです。

山下さん「決済承認作業を1か月に5,000件、一日メール150通〜200通くらいを処理しながら、公職としての活動も加わって、睡眠時間が2時間という生活を送っていました。

設備投資のために大規模なコスト削減やマネージャー層の採用など2013年に中期計画“リバイバルプラン”という大規模な変更のプランを出しました。しかし、すぐに結果が出たわけではないんですね。選択と集中による経営によって、一時的に利益が下がりましたが、半年ほどで数字は回復しました」

承継後の支えになったのは、従業員の「人の良さ」

社内の課題への対応と多忙さから、精神的にも体力的にも追い込まれていた山下さん。この時支えになったのは、従業員の人の良さだと言います。

山下さん「先代の頃から従業員は真面目で誠実な人が多かったんです。承継後は、睡眠時間が少ないことからイライラして、周囲に対する言葉を選ぶ余裕がない感覚でした。そんな状態でも周囲が支えてくれて、ついてきてくれたことは本当にありがたいことでした」

人の良い従業員が集まっている背景には、2代目の打ち立てた、魅力的なビジョンがあると話す山下さん。

山下さん「2代目は『高齢化社会に対して、自立支援や人間の尊厳を高めるために福祉用具レンタル・サービスは必要なものだ。人は視力が落ちると簡単にメガネをかけるように、これからは福祉用具レンタルも高齢者にとってメガネのような存在になる』と社内にいつも伝えていました。現在、福祉用具レンタルは一般的に使われていますが、父は1980年代からメガネの例え話をしながらずっと言い続けていたんですね。

このビジョンが人や社会に対して魅力的なものだったからこそ、人の良い従業員が共感して、集まってくれたんだと思います。事業を進めていく上でも、高齢者の方の気持ちに寄り添うことは大切なので、この部分は会社の強みにもなっていると思います」

言われたことをきっちりやる組織から自分で考える組織へ

静岡医療工場オゾン消毒の様子

突然の承継にも関わらず会社を引き継ぎ、改革を実行している山下さんは、会社の未来をどのように見据えているのでしょうか?

山下さん「株式会社ヤマシタでは、3年ごとにスローガンを作って社員に伝えているんです。現在のスローガンは「挑戦」です。承継当時は『言われたことをきっちりやる組織』という雰囲気があったのですが、現在は『自分で考える・考える組織』に変わりつつあることを実感しています。それぞれの価値観を多様性とし受け入れて、成長を応援していく組織にして行きたいと思っています」

新型コロナウイルスへの対応も早かった株式会社ヤマシタ、1番重要なのは従業員の安心感だと話します。

山下さん「新型コロナウイルス感染症に対しての対応は、業界的にも早かったと思います。クルーズ船“ダイヤモンド・プリンセス”の高齢の宿泊者用に介護用品の提供をしたり、リネンも福祉・介護事業でも感染対策の徹底とサービスを継続していく方針を文書で案内したり、体制を整えました。コロナ禍で1番気をつけたのは、従業員の不安をなくすことでした。

仕事柄、新型コロナウイルスの重症化リスクが高い高齢者と接することも多いので、一般に求められる以上の感染対策が必要と考える社員が多かったと思います。それによってメンタルがすり減ってしまわないよう、従業員のサポートを徹底しました」

会社を守っていくために、後悔しない生き方を。

山下さん「基本的に休みの日も仕事のことを考えていますね。先日、友達とカフェに行った時も勉強会のような会話をしていました。”後悔のない生き方をしたい”日々、そう思いながら過ごしています。

まずはお客様や従業員から支持されていること。そしてせっかく祖父、父が作ってくれて、歴代の従業員が頑張って大きくしてくれた会社がなくなることが私にとって一番嫌なことです。この先にも後悔したくないので“今の過ごし方”を大切にしています。

さらに世の中のためにポジティブなことをしている状態がいいと思っています。私の場合は”経営”している状態が世の中にインパクトを与えると思うので、会社のことに対して時間を使うことは有意義なんですよね」

突然の事業承継にも関わらず、会社を引き継ぎ、自分なりに課題を見つけて、改革を進める山下さん。祖父の代から続く会社を守っていくため、これからも前進し続けます。

株式会社ヤマシタ HP

文:田中博子

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