事業承継ストーリー

島の人々の生活を支えてきた「明石ストアー」。島の賑わいを灯し続けるために事業を承継。

瀬戸内海の中央に浮かぶ広島県の島「大崎上島(おおさきかみじま)」。造船業が盛んなため島内いたるところに造船所があり、オレンジやレモンなど多くのフルーツが栽培されています。

そんな穏やかな島の最南端にあるのが、約50年にわたり地域の人々の生活を支えてきた「明石ストアー」。パワフルで男気のある川谷定さんが当時島の一番大きな個人商店として営んでいました。

しかし川谷さんは、80歳を機に閉店を検討。地域の人々から愛されてきたお店が閉店すると聞きつけて、子どもの頃からお店を利用していた新本孝徳さんが承継に名乗りをあげ、次なるバトンを受け取りました。

事業承継5年目に突入する、新たな明石ストアーを切り盛りしている新本さんにお話をお伺いしました。

生まれ育った大好きな地域を衰退させたくなかった

大崎上島で生まれ育った新本さんは、子どもの頃から駄菓子を買いにお店を利用していたお客のひとり。

一度は島外で就職していましたが、30歳までには島に帰ってくると決め、2011年に呉信用金庫に転職し家族で帰島しました。しかし、勤務先は島外で6時に家を出て22時に帰ってくる生活。家族との時間も合わず、今の生活を続けていくべきか悩んでいたところ、先代の川谷定さんがお店の閉店を検討しているのを聞きつけました。

新本さん「明石区は過疎化が進みお店の数も多くないため、明石ストアーが閉店してしまうと街の賑わいがなくなってしまいます。せっかく島に帰ってきたのに、自分の住んでいる地域が衰退していくのは面白くなかったんです。

当時の勤務先が島外だったこともあり、島に住んでいる実感がありませんでした。お店を継げば、生まれ育った地域のために何か恩返しにも繋がるんじゃないかと思い、事業承継に名乗りをあげました。」

承継に反対だった先代と衝突することも

さっそく新本さんは、お店の勉強をするため平日は前職に勤めながら土日にお店を手伝いを始めました。先代やお店の従業員の方々にいろいろ教えてもらいながらお店のことを学んでいきました。

しかし当初は新本さんの”継ぎたい”という思いに対し、先代の川谷さんは大反対だったとのこと。新本さんには家族がいるため、お店を継がせたことで露頭に迷わすことが心配があったと言います。

新本さん「承継するまでは先代とよく喧嘩してましたね。今となっては気持ちがわかるんですが、一度始めた商売を辞めることは、始める時より勇気がいると思うんです。50年も続けてきたお店なのですごく愛着があるはず。それを家族や息子でもないただの近所の子どもに継がすので不安もあったと思います。先代は商品が最後の1個になって売り切るまでお店を続けたかった。早く始めたい私と、ずっと続けたい先代が、よく言い合いをしてました」

反対され衝突することもありましたが、お店を手伝いながら承継したい気持ちを伝え続け、2017年に承継の了承を得ました。

前職での経験が事業承継を後押ししてくれた

事業承継のことは家族や近い親族にだけ相談していましたが、新本さんの奥様以外は全員反対だったそう。

新本さん「両親は個人事業でお店を継ぐことに大反対でした。何より私の家族を食わせていけるのかと心配していましたね。仮に私の子どもが同じことをやるって言っても反対すると思うので、それに対しては驚かなかったです。」

周りから反対の意見があったものの、前職の金融機関で積んだ経験が、自信へつながったと言います。

新本さん「承継の前にお店の手伝いをしながら、経費や売り上げについて世間話をしながら伺っていました。商工会の税理士派遣を利用して、元税理士さんにお店の数字をまとめたデータを見せて今後についての提案をしました。最初こそ反対されてましたが、数値上のことができるのであれば多分いけると言われて、覚悟が決まりましたね。」

承継して3年間は同じことをしようと決めていた

2017年3月に一度閉店し、翌月に改装オープン。新本さんが心がけたのは「全てを引き継ぐ」ことでした。先代の頃からのお客様を大事にするために「まずは先代がやっていたことを3年は続けよう」と決めた新本さん。人気の惣菜の味を引き継ぐため、惣菜を作っていた先代の奥様にも残ってもらいました。

新本さん「以前お店で買えていた味や商品が手に入らなくなったら、お客様が離れてしまう可能性があります。そのため、仕入れ先は変えずに愛媛県今治市の市場で買い付けています。従業員もそのまま継続して働いてもらいました。先代の奥さんには、私がお惣菜作りの1人前になるまでは学ばせて欲しいとお願いしました。昨年の3月まで丸3年しっかりとご指導いただきました。」

惣菜のレシピ化、他商店への卸。新しいことにも挑戦

3年間同じことを続けてきましたが変えたこともあります。

新本さん「私や他のスタッフがお店に出れない時も安定してお店が回るように、経験と感覚で作っていたお惣菜はレシピを作り誰でも作れるよう整備しました。加えて前職のネットワークを生かして、他店舗への卸しもはじめました。島の反対側の地域に週に2回お惣菜を届けています」

ほか、地元の漁協に加盟し自身で採った新鮮な魚を提供するなど、明石ストアーならではの付加価値を高めています。多くの人にお店を知ってもらう機会が増え、明石ストアーにもわざわざ足を運んでくれる人も増えたそうです。

お惣菜に頼り切る経営を抜け出したい

事業承継のあと設備や経営状況で大変なこともありました。

新本さん「今は買い換えましたが、設備が古かったのが大変でしたね。先代から引き継いだ何十年前の冷蔵庫とかもあったので、夏場は温度が下がらなかったり冷蔵庫のガスが漏れるので毎月何十万円も払っていました」

明石ストアーではお惣菜がお店の経営を支えています。しかし毎日朝早くから準備する必要があるため、多くの労力を費やしているとのこと。

新本さん「承継前に考えていたのは、仕入れた商品を売るだけでこの店を切り盛りしていくことでした。ですが実際にお店の経営を支えているのは手作りの惣菜です。惣菜を作るためには従業員を雇う必要があるのに加え、私は朝5:00ごろから出勤して作ります。イベントの前の日は従業員と徹夜で作ることもあります。

人気商品なので今は喜びとして頑張れていますが体の負担になりますし、惣菜がないとやっていけない経営を抜け出したいですね」

地域の人々が気軽に寄れるイートインスペースを入れたい

今年の4月で事業承継から5年目を迎える明石ストアー。紆余曲折しながらも、先代からのバトンを受け継ぎお店を切り盛りしてきました。

新本さん「なんとか4年やってきました。子どもの頃はあまり感じてませんでしたが、このお店があるこのまちに支えられていたことを大人になって感じました。また明石ストアーが、まちの人たちの生活を支えれるようしっかり運営していきたいです。先代が50年間お店を続けてきたように、私も何年も何十年もお店を続けていきたいですね」

今年は新たな挑戦として地域の人々が気軽に立ち寄れるイートインスペースを作ることが目標です。

新本さん「明石区には飲食店がないので、お酒をさくっと飲めたりちょこっとおつまみも摘めたりするイートインスペースを作りたいですね。広島はスポーツも盛んなのでナイターが見れたり、鉄板も入れて料理を提供したいです。

元々60歳になったらお店を開きたかったので、夢を先取りして今年挑戦しようと思います!地域への恩返しのために頑張ります。」

50年もの間地域から愛されてきたお店のバトンを受け継いだ新本さん。先代から続く想いを引継ぎ、これからも地域の皆さんの生活を支え続けていきます。

文・手嶋芽衣

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