経営者に憧れトマト農家へ。新規就農と事業継承を両立する元銀行マンの挑戦

琵琶湖にほど近い滋賀県近江八幡にあるトマト農園、浅小井農園。ここでは、豊富な地下水と光合成促進技術を駆使して、フルーツのような甘さが売りの「朝恋トマト」が栽培されています。

この浅小井農園を引き継いだのは、元大手銀行マンである関澤征史郎さん。当時横浜でサラリーマンをしていた関澤さんが、どうして滋賀県のトマト農園を承継することになったのでしょうか?引き継ぐまでの経緯とその後の展望を取材してきました。

先代が公務員を辞職して、立ち上げたトマト農園

2008年創業の浅小井農園は、当時市役所に勤務していた先代松村務さんが公務員を54歳で早期退職して始めた農園でした。

オランダの技術を取り入れた大規模な設備投資や、県内初の持続可能な農場管理の基準・JGAPの取得など、新しいことが好きで思い切った挑戦を続ける松村さん。農業に対して画期的な手法を取り入れることに加え、研修生の受け入れも積極的に行っていました。

創業してから10年後の2018年に、研修生として浅小井農園に参画したのが後継者である関澤さんです。

経営者に憧れ、妻を説得し農業学校へ

関澤征史郎さんは元はみずほ銀行で中堅中小企業等の法人の担当をしていました。銀行での融資の仕事を通じて中小企業の経営者に多く会っていた関澤さんは、徐々に経営者の世界に惹かれていきます。

関澤さん「向こうの世界が楽しそうに見えたんですよね、自分で事業を持って働いている姿に。銀行員をずっと続けていても雇われのサラリーマンでしかない『自分も向こう側に行きたい』という想いが次第に心の中に育っていって起業を考え始めました。

しかし起業をするにしても、どの分野で起業をするのかは漠然としていました。自分のキャリアやスキルを考えた時、「食」に関わることで企業したいという方向に行き着きました」

「食」の中でも、特に新規で取り組みやすいのが農業だったと言います。

関澤さん「農業は、他の食に関わる仕事、例えば飲食店なんかと比べると国からの融資・補助金が受けやすかったんです。しかも45歳以下の青年の新規就農者に対しては手厚い支援体制があることも調べていくうちにわかりました。今の日本の農業従事者の高齢化を考えると、新規で参入しても歓迎される環境であるだろうと思い農業で起業をしようと決めました」

その後関澤さんは、銀行で勤めながら農業学校に通い始めます。当時関澤さんには家族が居て、ちょうど子どもが生まれたタイミングでした。安定した収入を顧みずに、全く未知の農業を志す関澤さんにはじめ奥さんは反対したと言います。

関澤さん「反対される彼女に、最悪失敗してもサラリーマンに戻ることはできること、若い新規就農者に対しては融資や補助金が積極的に出ることや収入のシミュレーションを何度も説明して、最終的には納得してもらえました」

法人を立ち上げてわかった、浅小井農園の価値

農業学校を修了し、銀行を辞めて関西に移住した関澤さんは、次に農地を探し始めます。

関澤さん「2018年4月に奥さんの地元である滋賀県に拠点を置くことを決めました。その後学校では学びきれなかった、経営の実践的な勉強をするために、研修先を探します。そこで受け入れ先となってくれたのが浅小井農園でした」

国の制度を活用し、2年間週3日の契約で研修先の浅小井農園に通いつつ、関澤さんは就農準備を着々と進めます。そして浅小井農園に入って半年ほど経った2019年7月に自身の会社を立ち上げ、大玉トマトのハウス栽培を始めました。

関澤さん「もともと自分で法人を立ち上げて農業をするつもりだったので妻の実家近くに株式会社フェリシタシオンを立ち上げました。自分で法人を立ち上げてみて、改めて浅小井農園程の設備投資と規模の大きさを実感しましたね。

松村さんの後継者がいないことは知っていたので、どうするんだろうと思っていました。そこで、卒業したら縁が無くなってしまうので思い切ってダメもとで事業承継を提案しました。居酒屋でプレゼン資料を持って(笑)」

タイミングが命、まとまった事業承継の提案

当時松村さんは67歳を目前にし、同年代が次々と現役を卒業している中、自分と農園の将来について悩んでいたところでした。そこに内部の事情もよく知っている関澤さんが、後継者として手を挙げてくれたということで、承継の話は驚くほどあっさりと決まりました。

関澤さん「松村さんは60代前半の数年前だったら蹴っていたと言っていました。事業承継は、お互いのタイミングが合っていたからこそできたことです。

承継を決意した理由は松村さんが作ってくれた浅小井農園の規模ですね。松村さんが就農時に出た補助金もあって、浅小井農園には普通だったら考えられないような大規模な設備投資があります。

それが築十数年で廃業するにはあまりにも勿体ないですし、松村さんが築いてきた経済が寸断されるのも惜しいと思いました。1から自分でやるとしたら膨大な時間と手間がかかるものを廃業にしてしまうよりも、それを自分で担いたいという側面もあったと思います」

研修生として内部に深くかかわっていたからこそ、承継を伝えた際の社内の反応も非常にウェルカムな雰囲気だったといいます。社内には30-40代の社員が多く、社員の悩み相談に乗るなど、”歳が近い兄貴”と思ってもらえるような関係が築けていたそう。関澤さんが代表になってから、浅小井農園に骨を埋めようと近隣に家を買ったスタッフもいるといいます。

提案から8か月のスピード承継

関澤さんが承継を提案したのが2020年2月、実際に継承が行われたのは2020年10月でした。対価や処遇など承継の条件をまとめ、事業計画を作成して双方の合意が採れたのは提案のわずか3か月後、そこから事務的な手続きに入り、提案から8か月で事業承継が行われました。

関澤さん「承継は対価0の無償譲渡でした。銀行から融資を受けているため、それを返済するための計画を、引き継ぎの際に事業計画としてまとめています」

こうして関澤さんが代表取締役社長に、松村さんが取締役会長に就任し、事業承継は無事まとまりました。

事業計画の実践とその先へ「農業×○○」

関澤さん「まずは、書いた事業計画を実践することです。今の所計画通り進んでいます。ゆくゆくは事業拡大も考えていますが、まずは今の規模でできる限界の収量に挑戦します。同規模で倍以上の売上を達成している農園があることを知っているので、そこに少しでも近づくために工夫をしていきます。」

関澤さんはその工夫が何かはまだ試行錯誤している最中ですが、人を入れて農園の手入れをすることで、収穫できないトマトを無くすことを試みています。結果、人件費以上に売上に成果が出ているので投資価値はあると確信しているそうです。

事業承継から半年と少し経ち、挑戦も失敗も経験し、徐々に型を掴んで自信を持って判断できるようになってきたと言います。

関澤さん「先代が取り組み始めた持続可能な農業に関するJGAPやSDGsの取り組みも、リスクヘッジのため、或いは社内のルール作りのためといった自分なりの意図をもって続けています。また、閑散期には人手が余るため、フェリシタシオンが浅小井農園の親会社となり、浅小井農園の閑散期にフェリシタシオンに人を派遣して人手が余らないようにするといった試みも行っています。

他にもやりたいことは沢山あります。”農業×○○”で自分を考えたときに、自分が元居た金融での経験を活かして新規就農支援の事業化を考えています。就農を検討していても、お金がないから諦めてしまう人が多くいるんです。農業学校でもお金がないからと諦める人を多く見ました。まず借りるという概念がなかったり、あっても借りるのが怖いというイメージが強いんです。そうではなく、正しい知識と活用の仕方を伝えて、お金で就農を諦める人を減らしたいと思っています。」

引き継ぐ側からも、勇気をもって話をすること

関澤さん「事業継承の魅力は何より先代たちが作ってきた完成された販路や設備をそのまま引き継ぐことができるという点です。13年分の付加価値を活かすも殺すも自分次第ですが、その権利を持てることがすごくありがたいことです。

今日本中に事業承継を求めている先はあります。しかしそれに困っていても外から見たら分からないケースも沢山あります。なので、自分から積極的に声をかけること、受けたい側も継ぎたい側も勇気をもって話をすること、それが大事なことだと思います。

そうしたら私のように意外にマッチングすることもきっとあります。だからまず話をすること、これが最初だと思います」

戦略性と思い切りの良さを兼ね備えた関澤さん、自社の利益だけではなく自分の特性を活かし業界全体を視野に入れたビジョンを持つ彼は、これから日本の農業を盛り上げてくれることでしょう。

文:日野ひかり

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