「アルコール依存症支援」の仕事から「アルコールを売る」仕事へ。創業86年の老舗酒屋をまちのサードプレイスに

東京都
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東京都墨田区にある酒店「岩田屋商店」は昭和10年創業。老舗酒屋の三代目・岩田謙一さんは実家である「岩田屋商店」を継いでから、時代の変化の中でも酒屋のあるべき姿を模索し、着実に売上を上げています。

「理想の酒屋」になるために岩田さんが取り組んでいること、岩田さんの行動の源泉を取材してきました。

アルコール依存症の方と関わる日々、自分の実家が酒屋という葛藤も

岩田さんは酒屋である岩田屋商店で生まれました。小さいころから店番をするなど酒屋を手伝っていて、当時からお客さんには「三代目」と呼ばれていたと言います。

岩田さん「酒屋で育って、ずっと心のなかで酒屋っていいなと思っていました。でも小さいころ、隅田川沿いのホームレスの人たちに関心を持ったことがきっかけで、大学では福祉を学びます。卒業後は、路上生活者の支援やアルコールを起因として生活に課題が生じてしまった方たちの相談に乗り、必要に応じて病院に繋げるなどの仕事をしていました」

国家資格である「社会福祉士」を取得し、大学卒業後は都内の社会福祉法人で働きはじめます。

岩田さん「福祉の仕事を13年間する中で、生活に困窮した多くの人たちの支援をしてきました。お酒が原因で生活破綻してしまったアルコール依存症の人たちと関わる中で葛藤がありました。それは、相談者に断酒の指導をする一方で、自身の実家が相談者の悩みの種である酒を売る酒屋だということです。

私が働いていた13年間、実家の岩田屋商店は営業していたものの、酒類小売業免許の自由化以降の売上はずっと右肩下がりでした。たまに実家に帰ったときに、店に活気がなくなっていっていたことを覚えています。かと言って自分の仕事も忙しくなっていたので、どうしたらいいのだろうとすごくジレンマを抱いていました。家族からは酒屋を継げと言われたことがなくて。でも福祉の仕事に就いた時点から、いつか酒屋を継ぐのかなと考えていました」

会社と家族と反応が真逆の事業継承

両親が高齢になっていくなかで、自分の代で岩田屋という屋号を下すことは初代の祖父に申し訳ないと思い始めた岩田さん。一念発起して13年勤めた会社を辞め、「岩田屋商店」を継ぐことを決めます。

岩田さん「前職を『辞める』と言ったら、快く賛成するのではなくいろんな手段で退職を食い止めようとする方もおりました(笑)。それでも、2年前の2019年3月に退職ました。

両親は前職の仕事での活躍をわかってくれていたので、『大丈夫なの?仕事は?』と継ぐことについて心配ていました。事業継承は自分で決めたことだから心配しないでほしいと伝えましたし、最後は『継いでくれてありがとう』という言葉を貰いました。

酒屋が生き残るために選択した「競わない戦い方」

創業から歴史があるものの、家業に紋切り型のお店のような印象を感じていた岩田さん。店の独自性を出すため、仕入れの部分から手をつけ始めました

岩田さん「岩田屋商店は創業してから80年ぐらいの歴史があります。しかし、私としては現状を変えないとお客さんが来ないと思っていました。変な話、継いだ当初の岩田屋商店にはコンビニ感がありました。

継ぐまでは、酒蔵から直接仕入れをしていなかったので、お酒の種類も質もあまりこだわりがなくて、コンビニやスーパーとの差別化ができていませんでした。コンビニは酒を24時間買えて、スーパーは酒を安く買えるじゃないですか?自分が消費者だったら便利なコンビニや安いスーパーに行っちゃいます。個人のお店がコンビニなどと同じ土俵で勝負しても勝てません。たまに岩田屋の仕入れ値よりスーパーの方が安いときがありますからね。『競わない戦い』をしていかないと生き残れないと思いました。違う土俵でも何を売りにして勝負をしていくか、その「何か」を見つけないといけません。

問屋から仕入れる普通のやり方ではなく、酒の勉強をして唎酒師を取得し、直接酒蔵と付き合って、話して、口説き落として酒を仕入れるようにしていきました。私が岩田屋商店を継いでから2年間で13ヶ所の酒蔵と直接お取引をしています。酒蔵から直接来てくれるケースも増えていて、それは衝撃的で嬉しかったですね」

カナダからわざわざ来てくれたお客さん。SNSの発信にも力を入れる

お酒の種類を増やすだけではなく、まちの酒屋として「岩田屋商店」がどんな酒屋であるべきか、そこにも岩田さんの想いがにじみでます。

岩田さん「酒蔵と直接話をして、どんなお酒かを分かった上で、酒をお客さんに薦めないと、酒屋はコンビニ化すると思っています。酒屋だからできること、先程話した『何か』に繋がります。それは日本酒の『ストーリー』をお客さんに伝えられることだと考えています。お酒のこだわりや、酒を造る杜氏がどのような思いで作っているのか。そうしたストーリーを知って飲むお酒と知らないで飲むお酒の味わいはずいぶんと変わってきます。ストーリーを届ける作業を、2年間コツコツと続けてきたことで、日本酒の種類と比例して来客数もドンドン増えました」

さらに岩田さんはSNSの発信にも力を入れています。特にInstagramを使って発信をすると、自身も驚く出来事がありました。

岩田さん「この前はカナダから来た人がいたんです。カナダって最初は日本のどこかの地名だと思っていて、思わずカナダって何ですか?と聞いたら、海外のカナダですって言われてびっくりしました。その人はインスタを見て来てくれて、わざわざ東京で降りてうちに来てくれました」

そんな衝撃的な出会いもあったからこそ、よりSNSで発信する力を実感されたと言います。

岩田さん「取引をする酒蔵を増やすと、お客さんは増えました。角打ちで来てくれたお客さんが一杯飲んで日本酒買ってくれたり、それこそSNSを見て全国から来てくれたり。SNSの力をすごく感じました。お客さんがお客さんを呼んでくれたりもしました。

それもあって2020年の売上がここ15年で一番高かったです。またコロナ禍では外で飲めなくなったので家飲みが増え、うちは日本酒の種類が豊富だったこともあり、買いに来てくれる人が増え、ピンチがチャンスになりました」

酒屋の主力商品の1つが乾物!?承継して気付いた古きよき関係

岩田さんは実際に継いでみると、たまに手伝っていたころには気づかないギャップもあったそうです。

岩田さん「岩田屋商店は乾物問屋出身の酒屋なので酒屋とは思えないほど多くの乾物を扱っています。計り味噌、昆布、梅干し、ひじきなどたくさんです。継ぐ前、乾物は売れないと思っていて、自分が継いだら段階的に乾物売り場は撤去しようと思っていました。しかし、いざ継いでみると乾物がめちゃめちゃ売れるんですよ

近所のおじいちゃんやおばあちゃんが朝から『味噌ちょうだい』など、たまに乾物が酒よりも売れる日があるくらいです。80年間、同じ場所で変わらずに商売を続けてきた成果なんだろうと思います。

これはギャップかつ衝撃でしたね。継ぐ前は酒だけを売るのが酒屋だと思っていましたが、その街に適した形で商売をしていく必要があることを学びました。古くから続く伝統や習慣をしっかり抑えることで新しいチャレンジができる、それこそ温故知新の考えだと思います。古くから続いていることをバッサリ切ってしまってはいけないですね」

まちの酒屋を家でも職場でもないサードプレイスに

継いでからは、まちで挨拶されることが嬉しいと言います。

岩田さん「お店に来たお客さんと直接話をして、仲の良いお客さんが増えていくことが、やりがいの1つです。継いだ当初はよく分からず、お客さんとやり取りをしていました。

でも話をするうちにだんだん顔見知りになっていって、リピーターさんになってくれて。『どうも、こんにちは!』と道を歩いていると挨拶してもらえる関係もできて、引き継ぎ当初は感じていなかった、まちで商売をしている感じがあります。だから挨拶は認められている証だと思います」

さらに「岩田屋商店」は、岩田さんが培った福祉分野での経験が活かされた酒屋に変わりつつあります。地元の民生委員としても活動する岩田さんが酒屋の商売をするとき、福祉職での経験は非常に大きいそうです。

岩田さん「前職で多くの方の生活相談をしてきたなかで、『地域』の存在がすごく大切なことに気が付きました。毎日を家と職場の往復で終わっている人が多く窺え、そうするとストレスフルな状態になってしまいます。そこで、『岩田屋商店』で『角打ち(かくうち、酒屋の店内で酒を飲むこと)』を始めたかったのです。

酒屋が家でも職場でもない第3の場所(サードプレイス)になる。仕事帰りなどにふと立ち寄れる場所が私たちには必要だと思います。愚痴をこぼしたり、息抜きをしたり、安心して笑顔になれる、岩田屋商店をそんな場所にしたいと思っています」

まちの小さな酒屋の役割を模索しつつ、福祉の仕事を経験したからこそ見える視点で家業を引き継ぐ岩田さん。地域住民の生活にも、心の安定にも必要な酒屋を作るため、今日もお店に立ちます。

文・望月大作

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