スタッフ第一だからこその苦しい判断。従業員が働きやすい環境作りで、揺るがない経営をめざす

北海道の清水町にある「十勝清水コスモスファーム」では、敷地面積108,900㎡の土地で、黒毛和牛やブラウンスイスなど約1,200頭の肉用牛を肥育しています。代表を務める安藤智孝さんは、大学院卒業後、公務員として働いていましたが、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定による国産牛の価格低下と雇用の減少に危機感を抱き、34歳の時に家業である畜産業を継ぐ決心を固めました。多職種から転身して事業を継ぐことの難しさや従業員との意思疎通の大切さ、今後の展望などを伺いました。

親は親、自分は自分。「家業は継がない」と宣言していた公務員時代

十勝清水コスモスファームは、1987年に智孝さんの父である安藤賢治さんが創業しました。賢治さんは勤めていた会社を退職し、今の場所に農場をつくって肉用牛ホルスタイン種の肥育に挑戦。音楽好きな賢治さんらしく、ハンガリーの作曲家、バルトークの曲「ミクロコスモス」にちなんで「コスモス」と名付けられました。2年かけて牛の数を増やし、これからというときに、賢治さんが交通事故に遭って帰らぬ人に。その後、事業は智孝さんの母、登美子さんと共同経営者のふたりに引き継がれました。

智孝さん「私は清水町の中学校を卒業後、札幌の高校を経て、首都圏の大学と大学院に進学しました。神奈川県の外郭団体に就職したのちに結婚し、第一子が生まれたのを契機に、27歳のときに故郷である十勝にUターン。帯広市職員として勤務していました。母親からは家業を継いでほしい雰囲気をチラチラと感じていましたが、家業を継ぐつもりはまったくありませんでした」

智孝さんが跡継ぎを拒んだ理由は大きく二つ。「生き物の命を奪って金銭に換えることへの罪悪感」と「人間関係の複雑さ」でした。

智孝さん「幼いころから、牛の命と引き換えに金銭を得ることに葛藤がありました。家業が肉用牛の肥育であり、その上に自分たちの生活が成り立っていることは理解していますが、今もその矛盾は解消しきれていません。また、事業主である親が従業員の人間関係で苦悩している姿も見ていたので、後を継ぐプランは一切ありませんでした」

「従業員の雇用を守りたい」その一心で事業を承継

両親とは別の道を歩んでいた智孝さんを承継の道に突き動かしたのは、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定による畜産業への不安でした。

智孝さん「当時のコスモスファームの主力は、スーパーなどで販売されるホルスタイン種の飼育であり、ブランド力はありません。TPP協定が実現すれば、外国産牛肉との価格競争に対抗できないことは明らかでした。もし倒産しても母親ひとりなら私が養うことができますが、『ほかの従業員はどうなってしまうのだろう』という心配が頭をよぎりました」

当時は農場以外にも外食産業やガソリンスタンド経営など、多角的な事業を展開しており、30人ほどの従業員を抱えていました。その多くが長年勤務してくれた功労者であり、智孝さんの身内のような方々です。従業員の雇用を守りたい一心で、34歳のときに事業を引き継ぐ覚悟が決まりました。

多角経営から農場一本へ。しかし人間関係に悪戦苦闘

農場経営者になるつもりの智孝さんに最初に与えられた仕事は、飲食店とガソリンスタンドの立て直しでした。1990年はじめに札幌と十勝を結ぶ新ルートが開通し、その沿線に構えていたおかげで飲食店やガソリンスタンドは繁盛しましたが、高速道路の開通により赤字に転落。従業員の関係もギスギスしていました。

智孝さん「思ったように働いてくれないスタッフがいたり、料理長が突然やめてしまったり、驚くことの連続でした。当時は経営者としての経験がなく、何から手を付けていいか分からない中、手探りで解決方法を探していました。散々もがいてみましたが、ガソリンスタンドは引き継いだ年の暮れに、飲食店は2年後に閉鎖しました」

コスモスファームの2代目、安藤智孝さん

農場経営一本に絞り、TPP協定に立ち向かうべく事業を展開しようとする智孝さんの道を、またしても「人間関係」という壁が塞ぎます。

智孝さん「表面的には差し障りなく接しているように見えていても、スタッフの間で派閥ができていて、お互いをよく思っていないことが分かりました。隣町の先駆的な牧場主の説明会に参加するなどして経営方針を決めて、みんなに理念を伝えましたが、誰の心にも響いておらず、空虚な雰囲気だけが伝わってきました。関係性を高めようと現場に入ってみても、なかなか気持ちが理解できず、『どうしたらよいものやら』と、苦悩する日々が続きました」

スタッフとのコミュニケーションが上手くいかないことで、TPP協定に対抗するための経営改革という別の課題解決に向けた道にも陰りが。

智孝さん「TPP協定の影響を受ける前に、ホルスタイン種から黒毛和牛へ牛種変更を急ぐ必要がありましたが、そのためには全スタッフの協力が不可欠です。しかしいくら説明しても、協力を得られる実感がありませんでした」

スタッフを第一に考えた改革と評判が、巡りめぐって皆の意識が変わるきっかけに

智孝さんは経営の構造改革を実現するために、徐々に黒毛和牛の繁殖や、黒毛和牛交雑種の哺育預かりを開始するなどして事業を広げ、スタッフの抵抗や負担が少ない状況を整えました。

智孝さん「いつしか肥育から哺育、育成、繁殖だけでなく、加工品販売まで幅広く行うようになり、スタッフの間に『うちの会社は業界に注目されているぞ』という雰囲気が生まれ、みんなの意識が変わってきました。しかし一枚岩とまではいかず、方針に納得できずに退職するスタッフもいましたし、経営の妨げになると判断したスタッフにはやめてもらいました」

伝染病の発生で明らかになったスタッフの本心

経営改革を進める中で、経営者として従業員を守るためには、全スタッフを平等に扱うのではなく、事業を続けるために必要なスタッフには手厚い対応が必要だと気づき始めたそうです。

智孝さん「母親の時代から働くスタッフ全員の雇用を守ると決心して承継しましたが、その結果、『自分たちは守られるべき存在』とはき違えるスタッフを作り出してしまいました。これまでは非効率な仕事をしていても、『みんなでカバーすればいいよ』などと言って甘やかし、課題にすることはありませんでした。しかし、一生懸命やっているスタッフからすれば、たまったものではありません。長らくそれに気づかず現場を混乱させていたんです」

ある年に牛の伝染病が発生。コスモスファーム始まって以来の危機に襲われます。見切りをつけて退職する人、傍観するだけの人、協力して難局を乗り越えようとする人など、スタッフの本音が見えた時に、誰を大切にすべきか、はっきり分かったと言います。

智孝さん「奇跡的に3か月で収束して殺処分もほとんど行わずに済みましたが、次回このようなことがあれば事業継続は困難になり、誰の雇用も守れなくなります。本当に必要な人材が誰かをしっかりと見極め、たとえ長期間勤めてくれているスタッフであっても、断腸の思いで解雇を伝えました」

環境を整え、スタッフに気持ちよく働いてもらうという経営者の役割

現在の従業員数は、最盛期の3分の1、飼育頭数も半分になりましたが、利益率の高い黒毛和牛にシフトしたことで、以前よりも増収しています。

智孝さん「牛を減らすことで飼育環境を改善し、同時にスタッフの負担を減らす工夫を繰り返してきました。スタッフ間のコミュニケーションは、今が最良だと思います。畜産の技術がない私にできることは、スタッフが働きやすい環境を作ることに尽きます。納得して働ければ生産性も上がるし、心に余裕もできる。牛にも人にもあったかい職場になると信じています」

最後に、親の事業を継ぐ人にアドバイスをいただきました。

智孝さん「私は父親が始めた事業を、そのまま継ぐことはしませんでした。親と同じビジネススタイルを踏襲するのではなく、時代の変化によって変えていくことが必要です。私は母親からの承継で、すべてを託してくれましたが、創業者である父親からの承継であればまた違ったと思います。どのような場合であれ、事前によく話し合っておくことは必要ではないでしょうか。また、家族の場合は同居していると、会話のほとんどが仕事がらみになってしまうので、市街地から通いで働くなど、生活環境を分けた方がいいと思います。最後に、必ずしも自分の子が経営者として相応しいとは限らないので、親族以外から適任者を見つけることも検討してください」

智孝さんは、2028年に十勝清水コスモスファームの代表取締役を従弟に譲ることを公表しています。現在はそれに向けて新規事業を計画中。既存の畜産にとらわれない柔軟な発想で、新たなビジネスを展開する予定です。

文・吉田匡和

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