地元民に愛された町中華が復活。先代の味を受け継ぎ真心込めて提供

長崎県
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長崎県大村市の中華料理店「協和飯店」は、長崎空港から車で10分ほどの場所にあります。1988年創業の老舗で、地元民に親しまれる町中華としてその名を馳せていました。しかし、先代店主・下釜末博さんの持病の悪化により、2020年9月には一度お店を休業していました。

およそ1年半後の2022年3月、中華料理店で勤務経験のある浅野慎太郎さんが、第三者承継によりお店を引き継ぐことに。「私も大村市出身で、子どもの頃から協和飯店の大ファンです。まさか、自分が協和飯店を継ぐことになるとは思いませんでした」と語る浅野さんに、事業承継の経緯を伺いました。

家業の会社を退職し、中華料理を極めることに

「将来は、いずれ家業を継ぐのだろうと思っていました」と話す浅野さんは、実家が経営する長崎県内のレンタルビデオ会社へ就職しました。しかし、大手企業の新規参入に伴いレンタルビデオの価格が徐々に崩れ始めていきます。さらに時代はVHSからDVDへ転換していったため、抱えているビデオの在庫を全て入れ替えねばならない状況に。このままレンタル業で生計を立てることが難しいと判断した浅野さんは、お父様に「家業は継がず、新しいキャリアを模索したい」と話し、実家の会社を退職しました。

もっと自分の視野を広げたいと考えた浅野さんは、一度地元を離れて愛知県に住むことに。工場の期間工として働いていたある日の仕事帰り、一軒の中華料理店に出合います。

浅野さん「名古屋発祥の台湾ラーメン屋があるのですが、入った瞬間に心惹かれました。まずお店自体が活気に満ちあふれていて、疲れていた身体が元気になるような雰囲気でした。また、厨房に立つ料理人の鍋さばきが本当に格好良くて。そのとき初めて、私も中華料理を極めてこんなお店を開きたいと思うようになったんです」

そう決心した浅野さんは、地元長崎に戻り一から中華料理店で修行を積むことにしました。しかし、その道のりは決して楽ではなかったと話します。

浅野さん「実はそれまで料理経験がほとんどなく、まともに包丁を握ったこともありませんでした。まさにゼロからのスタートだったので、中華料理の基礎を身につけるのは本当に大変でした。そして修行を始めた当時は30歳を過ぎており、休みなく働くのは身体への負担が大きかったですし、実力不足から先輩にも怒鳴られて精神的にも辛かったです。

しかし、いつか必ず独立して自分の店を持つという明確な目標があったので、それに向かって日々修行を重ねていきました」

中華料理店で働き始めてからおよそ10年。「そろそろ独立したい」と思った浅野さんですが、開業できそうな店舗を探すも、想定以上に多額な開業資金の捻出が難しく、二の足を踏んでいました。さらに新型コロナウイルスの感染拡大が追い討ちをかけ、半ば独立は諦めようとしていたときに、チャンスが訪れます。

きっかけは、お父様からの一本の電話でした。

「協和飯店を絶対に継ぎたい」仕事と並行しながら事業資金の工面に奔走

浅野さん「父から、『協和飯店が後継ぎを募集しているらしい。話を聞いたらどうか』と急に電話がかかってきたんです。驚きましたが、自分の店を持つことができて、かつ昔から大好きだったお店を引き継ぐことのできるまたとないチャンス。電話越しに『やりたい!紹介して』と即答しました」

2021年6月、長崎商工会議所が運営する「長崎県事業承継・引継ぎ支援センター」立ち合いのもと、休業中の協和飯店の店内にて、先代店主の下釜さんと話した浅野さん。事業を承継するための条件などを打ち合わせしましたが、「話を聞いてみると、すぐにお店を始められる状況ではなかった」と当時を振り返ります。

浅野さん「休業中の店内を見ると、内壁のタイルが剥がれていたり、老朽化していた機械もあったりしたので、まずは内装のリフォームや、設備の修理を進めなければならない状態でした。当然、まとまった資金も必要になりますので、まずはお金の工面と施工業者の手配から始めていきました」

準備を進めていくなかで、他にも「協和飯店を引き継ぎたい」と名乗りを挙げる人が現れました。

浅野さん「長らく地元に愛されていたお店でしたので、復活させたいと引き継ぎを希望する人が多かったんです。なかには、私が用意できない額の資金をすぐに工面できる人もいたそうで『下釜さんが他の人と事業譲渡契約を結んでしまったらどうしよう』と、本当に焦りました。

下釜さんには、精一杯の誠意とやる気を見せるために『本当に協和飯店を継ぎたいから、他の人との契約を待ってほしい』と伝え、融資状況や業者の手配状況を逐一連絡していました。当時は中華料理店での勤務と並行しながら動いていたので、まとまった時間が取れず大変でしたね。仕事以外の時間は全部、協和飯店の承継準備に注ぎ込む生活を送っていました」

奔走した結果、初めての顔合わせからおよそ半年後の2021年12月に、事業承継が成立しました。多数の承継希望者がいたなかで、なぜ浅野さんが後継に選ばれたのでしょうか。

浅野さん「後から聞いた話ですが、下釜さんには人柄とやる気を評価していただけたみたいで。顔合わせから承継成立まで半年もかかってしまいましたが、待ってくれた下釜さんには感謝の気持ちでいっぱいです」

浅野さん「承継成立の際に、下釜さんには『みんなから愛される店にしてほしいから、一つひとつを愛情持って作ってくれ』と強く言われ、改めて引き継ぐことの重みを感じました。昔みたいに愛される協和飯店を、これからは自分が作っていく。大好きなお店を引き継げたうれしさもありましたが、より一層気が引き締まった瞬間でもありました」

伝授された「協和飯店の味」を引き継ぐことの難しさ

承継が成立してからお店を再開する前に、浅野さんは下釜さんから直々に「協和飯店の味」を伝授してもらいます。もともと協和飯店は30種類以上のメニューを提供していましたが、営業再開時は協和飯店を代表するメニュー数品に品数を絞って提供することに。

ちゃんぽんやチャーハンなど、浅野さん自身も調理経験があるメニューを教わりながら、オープン準備を進めていきます。

やはり、難しいのは「いかに協和飯店の味を作り上げるか」の部分とのこと。

浅野さん「調味料をおたまで入れるタイミングや、火加減などはレシピに載っていない部分なので、その絶妙な感覚をどうコントロールして協和飯店の味にしていくかが課題です。以前働いていたお店での手ぐせがついてしまっていたり、つい自分の好みに寄った味付けになってしまったりなど、調整が難しい。

下釜さんが築きあげた協和飯店の味は絶対に守っていきたいので、今も試行錯誤しながら作っています」

一方で、店の内装や設備の改修も着実にすすめていき、無事今年の3月14日に協和飯店は営業再開しました。

先代が築いた土台を守りながら、より多くの人に親しんでもらえるお店に

協和飯店をリニューアルオープンしてから約1ヶ月。復活を待ち望んだお客さんが後を絶たないといいます。

浅野さん「『頑張ってね、また食べに行くね』とお客様がかけてくださる言葉が、何よりの励みです。内装も、机や椅子の配置は当時のレイアウトそのままにしているため『ああ、帰ってきたんだ』と以前を懐かしむ声もいただき、改めて営業再開できて良かったなと思っています」

お昼のピーク時には行列ができて大繁盛しているとのことですが、どんなに忙しくても「お客様とのコミュニケーションは欠かさない」と浅野さんは話します。

浅野さん「少しでも手が空いたら厨房から出るようにして、『味、どうでした?』『また来てくださいね』と、お客様と積極的に会話をするよう意識しています。親しんでもらえるお店にするには料理の味ももちろん大切ですが、些細な会話から広がるコミュニケーションも大事だと考えます」

最後に、浅野さんに今後の目標を尋ねてみました。

浅野さん「以前の協和飯店は30品以上を提供していましたが、まだリニューアルオープン後は10品ほどしか提供できていません。下釜さんに教えを請いながら、まずは全ての料理をマスターしていきたいです。そのうえで、自分のアイデアを生かした新たなメニューも提供できたらと考えています。

また、『ちゃんぽんといえば協和飯店』といったように、今後はより広く認知されるようなお店にしたいです。大村だけではなくより多くの人に知ってもらい、親しんでもらえるよう頑張ります」

「愛される店にしてほしい」。先代下釜さんの想いを大切に引き継ぎ、名店を復活させた浅野さん。協和飯店は、これからもたくさんの人に愛されるお店になっていくことでしょう。

文・近藤ゆうこ

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