先代の死をきっかけに運送業から人気団子屋の店主に。幼い頃から食べ続けている「虹だんご」を守るために

埼玉県越谷(こしがや)市にある大相模不動尊大聖寺(おおさがみふどうそんだいしょうじ)。江戸時代には、徳川家康が関ヶ原の戦いに向かう途中に必勝祈願したという逸話もある越谷最古の寺院は、境内の入口にある山門が越谷市の有形文化財にも指定されています。

そんな歴史ある寺院の一角にお店を構える「虹だんご」。地元の人はもちろん、芸能人も訪れる人気の団子屋を継いだのは、幼い頃から虹だんごを食べて育った三兄弟の次男、冨田晋介(とみたしんすけ)さんです。今回は冨田さんに承継の経緯や想いを伺いました。

運送業から“いきつけだった”団子屋の店主に。虹だんごは生活の一部

幼少期の冨田さん三兄弟

冨田さんが初めて虹だんごに出会ったのは3歳の頃。当時、虹だんごは大聖寺の境内ではなく、冨田さんが通っていた保育園の近くにありました。

冨田さん「物心がついたかついていないかくらいの時から虹だんごの団子を食べていました。虹だんごに出会ってからもう30年以上になりますね。子どもの頃は母に買ってもらわないと食べることができませんでしたが、大人になってからは毎日食べています。僕にとって虹だんごは生活の一部です」

虹だんごの一番人気は「甘ダレ味」。団子屋の店主になった冨田さんは甘ダレ味を食べてから醤油味で〆る「1日2本食べ」が日課です。幼少期から虹だんごでパワーをつけ、野球にのめり込み、プロ野球選手を目指した時期もありました。冨田さんは虹だんごを承継する前、大手の運送会社に勤務。運送業から団子屋の店主になったのは大好きだった先代が亡くなったことがきっかけでした。

冨田さん「先代が亡くなってからしばらくは、先代の奥さんと娘さんがお店を続けてくれていました。しかし、お二人が続けていくのが難しくなったタイミングで昔から関わりがあった僕の家族に『引き継いでくれないか』と声がかかりました。

僕は三人兄弟で兄と弟がいます。僕はアルバイト、弟は社員として虹だんごに勤めた経験があり、母もパートとして働いていたので信頼してくれていたんだと思います。僕は虹だんごが無くなってしまうことがとにかく嫌だったので、承継の話を頂いたとき転職を考えていたこともあり、『僕でよければぜひ』と手を挙げました」

強みは「なんとかなる精神」。家族一丸で虹だんごを守り続ける

運送業から団子屋の店主へ。27歳の若さで全く別の業種である虹だんごを承継することになった冨田さんですが、受け継ぐにあたって不安はありませんでした。

冨田さん「お恥ずかしい話ですが、昔から物事をあまり深く考えないタイプなんです。何事も『なんとかなるでしょ!』と飛び込んでしまいます。振り返ると、この性格だったから勢いよく承継する決断ができたのかもしれませんけど(笑)。気持ちの面だと、承継当初よりも今のほうがプレッシャーを感じています。実は2年くらい前からは兄にも手伝ってもらっています。兄は物事を現実的な目線で見る性格なので、助かっている部分も多いですね。

ただ、家族だからこそ本音を言い合える良さもあれば、想いが強すぎて意見がすれ違うこともあります。僕は当然経営者の経験もありませんでしたし、今まで生活を共にしていた人たちと今度は「仕事」という場で接していかなければいけなかったので距離感や関係性をどう作っていくかということにはかなりストレスを感じていた時期がありました」

家族経営ならではの壁にぶつかることもあると話す冨田さん兄弟を見守るのは、お母さんです。

冨田さん「僕たち兄弟が虹だんごを引き継ぐずっと前から、パートとして虹だんごで働いている母の存在は大きいです。今でもわからないことや迷ったときはアドバイスをもらっています。両親は度胸があり、常にどっしりと構えているタイプ。僕たち兄弟にとって、とても頼もしい存在であり、精神的支柱です」

団子作りは想像以上にハード。お客さんの「継いでくれてありがとう」が活力に

冨田さんが虹だんごを承継して今年で9年目。本店だけでも年間500~600本の団子が売れる虹だんごの朝は早く、早朝3時から仕込みを始めることもあります。

冨田さん「団子作りは単純作業で、使う機械も多くありません。一見すると簡単に見えますが、お米を蒸す時間や水分量によって出来上がりが全く変わってしまいます。これまで料理をしたことがなかったので、初めの頃は戸惑うことも多かったです。

直接先代本人にお団子作りを教わっていなかったこともあり、大まかな作り方は奥様や娘さんに教わったものの、やはり実際作ってみると食感やタレの味などに違和感があり、細かい微調整を自分たちで考えて近づけていきましたね。先代からは、朝早くから仕込みを初めて、そのまま接客することを聞いていたので忙しさに関して覚悟はできていました」

大変なこともあるものの、お客さんからの『継いでくれてありがとう』とか『頑張ってね』という声が力になり、地元の賑わいに貢献できているという実感がやりがいに繋がっているという冨田さん。

虹だんごが長年にわたり地元の人から愛されているのは、先代のお人柄も関係しています。

冨田さん「先代は口を開けば話が止まらないタイプで、近所では有名なおじさんでした。癌になっても病院に行かず、自分で治そうとする頑固なところもある人でしたが、お客さんに対する想いは人一倍強かったです。

先代からよく言われていたのが『欲は置いておけ』。成長のためにも欲を持つことは大事ですが、欲の持ち方が大事だと教えられました。お金に執着しすぎて、お客さんが本当に欲しいものがわからなくなってしまっては本末転倒です」

魅せ方1つで未来は変わる。冨田さんが考える事業承継とは

「虹だんご」を地元の人だけでなく、県外の人や若い人にも知って欲しいという想いから、インスタグラムやツイッター、フェイスブックなど各SNSでの積極的な発信や新型コロナウイルスが流行する前には、店内をイベントスペースにし落語会なども開催。

若い人の視点でさまざまな取り組みに挑戦する冨田さん。先代との関係性はどうなのでしょうか。

冨田さん「今でも先代の奥様はお店の近くに住んでいることもあり、定期的に顔を合わせていて。たまにご飯を食べに行ったり病院に付き添ったりと祖母のような関係だと僕は思っています。

継承当時も『継いでくれてありがとう』だったり『私たちはもう大丈夫だからあなたたちの好きなようにやって下さい』というとても寛大なお言葉をかけていただき、大きなモチベーションに繋がっていますね」

地元で親しまれている有名なお店の経営を手がけることができるのはすごく光栄で、会社員時代には感じることがなかったやりがいを感じていると言う富田さんに、事業承継の魅力をお聞きしました。

冨田さん「後継者不足で廃業せざるを得ない状況が全国的に課題になっていると思いますが、その企業ならではの魅力をさまざまな手法で発信して、若い世代に「魅せていくこと」が大切だと思います。伝統を守りながらも時代の流れやニーズを捉えて行動を起こすことを常に忘れないようにしたいですね」

今後、虹だんごを「越谷名物」として確立していきたいと意気込む富田さんは、これからも家族と協力しながら虹だんごを守っていきたいと話します。インタビュー当日も、虹だんごにはたくさんのお客さんが訪れていました。虹だんごを愛する冨田さんと看板猫のジジとキキが温かく迎えてくれるので、素敵な時間を過ごせること間違いありません。

文・清永優花子

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