江戸から続く温泉宿。原点に立ち返り地域に目を向けた15代目

美肌の湯で知られる嬉野温泉、その中で長い歴史を誇る「旅館大村屋」の創業は1830年。長崎から福岡の小倉を結ぶ街道を行き交う人々の間で、江戸時代から親しまれてきました。

戦後の高度経済成長と観光需要の増加に伴って、当時はどこの旅館も客室のリニューアルや建物の建て替えが盛んで、旅行客には困らなかった時代。最盛期は毎日団体旅行のお客さんで溢れていたそうです。

しかしそうした時代も長くは続かずにバブルが崩壊。借り入れに加えて、リーマンショックの煽りを受けた大村屋も例に漏れず、経営の危機に直面します。

「旅館大村屋」の15代目、北川健太さん

旅館業界全体がどこへ向かうべきか模索する中で、2008年に突然、家業へと呼び戻された15代目の北川健太さん。家業と嬉野に活力を取り戻すために様々な企画を打ち立てる北川さんに、事業承継のいきさつを伺いました。

バイトではじめたベルボーイがきっかけで家業へと意識が向く

北川さん「大学で東京に出ていったときは、家業を継ぐという意識はなかったですね。学生の頃はバンド活動に明け暮れて、音楽業界への就職を考えていましたが、リーマンショックの影響で望んだ仕事の採用はありませんでした。

旅館や家業に興味を抱いたのは、学生時代のバイトで始めたホテルのベルボーイがきっかけです。やってみると楽しかったんですよ。それからは、自分が接客や旅館という業界に合っているかもしれないと思うようになりました」

北川さんは大学を卒業後、熱海で旅館のプロデュースを手掛ける会社へと就職。しかし2年近く働いた頃、母親が大病に倒れて経営も危機的状況に陥っていることを知らされ、北川さんは嬉野へ戻ることになりました。

経営を立て直すための事業再生計画。肝は「代表の交代」

北川さん「帰るなり、金融機関や経営診断士の方が集まるミーティングで代表の交代を聞かされたときは驚きました。父親に代わって僕が代表になることが、事業再生計画の肝だったんです。

継いでからは定期的に銀行とのミーティングがあり、決算書を元に僕が経営方針を話さないといけません。何も分からない自分に対して、金融機関の方々が親身になって相談に乗ってくれたのは、それまで両親が良好な関係を築いてきてくれたおかげです。

お世話になった方々の中には、代表交代を機に事業再生に関わってくれた人もいます。その方は僕に決算書の読み方や経営に関わる数字の見方などについて一から教えてくださって、客観的な視点から沢山のアドバイスをしてくださいました」

代理店ありきだったこれまでの旅館業界。新しい集客方法を模索

代表とはいえ、はじめのうちは使える経費も少なかったという北川さん。新卒で入社した会社での経験や、かねてより課題を感じていたという情報発信からまずは手を付けたそうです。

北川さん「旅館業界はこれまで、旅行代理店を通して団体客を受け入れることで成り立ってきました。しかし、不況で以前ほど観光客が見込めなくなると、集客を外部に依存していた旅館はみるみるうちに衰退していきました。

このままではいけないと思い、まずはインターネットを使った集客、旅行プランの企画と情報発信に力を入れました。ウェブサイトに載せる写真の撮り方や見せ方へのこだわりは、新卒で一度外の世界を見ていなければできていなかったと思います」

北川さん「僕が帰ってきた頃は同じ世代の跡継ぎや承継予定の人がたくさんいました。どこも苦しい状況の中でこれからの旅館経営を模索していたこともあり、『チームUreshino』という名前で勉強会を開き、月に一度集まることにしたんです。

毎回場所を変えていたので、他の旅館がどういう取り組みをしているのか、客室には何を置いているのかを知るだけでも参考になりました。なによりも、同業者同士で旅館に出入りしたり、じっくり話すことは今までほとんどなかったので、とても良い機会でしたね」

空気を読んでいては何も変えられない。目的をぶらさずに毅然とした態度を貫く

旅館を立て直すために呼び戻されたこともあり、従業員の皆さんは代表の交代に関してすぐに受け入れてくれたそうです。時にはぶつかることもあったそうですが、お世話になった金融機関の方々や支えてくれた家族のためにも、北川さんは目的をぶらさずに毅然とした態度を貫きます。

北川さん「当時の料理長に新しい提案をしたときは、少し険悪なムードになりました。『調理場は少ない人数で精一杯やってくれている』と空気を呼んで、何も言わなければ代表が変わった意味がありません。反発されたとしてもある程度突っ走る。継いですぐの頃は気負いしてしまって言い過ぎることもありましたが、徐々にスタッフへのアフターケアといった配慮もできるようになりました」

仕事場であり家庭、戸惑いとの葛藤

家業であるからこそ、承継後に結婚した妻や家族との関わり方にも苦労したそうです。

北川さん「経営以外の点では、仕事とプライベートをうまく切り替えるのに数年かかりましたね。経営理念を妻と二人だけで考えたのも、家族同士の馴れ合いだと思われてはいけないからこそでした。本当に大切な部分はこれからの経営を担う僕と若女将で考え、何か疑問に感じたことは両親であっても厳しく問う。辛いと感じるときもありましたが、当時の大村屋にとってはどれも必要なことでした」

旅館とホテルの大きな違いは、そこに「家族」の存在があるかどうかだという北川さん。旅館には家庭的な温かさが期待される一方で、それゆえの難しさもあります。しかし、そうした側面こそが旅館の「個性」となって現れ、大村屋の魅力へと繋がります。

魅力的な旅館とはなにか。ペルソナは自分自身

北川さん「継いですぐに始めた勉強会『チームUreshino』のメンバーは、徐々に旅館以外のメンバーも増えていきました。今では多くが結婚したり子供ができたので、定期的な集まりはありませんが、何かイベントを一緒に企画したり、お互いに参加したりするので顔を合わせることはしょっちゅうですね。

温泉旅館というと、どうしても敷居が高くて高級と思われがちです。そうしたイメージを変えたいとの思いで日帰り入浴ができるようにしたり、スリッパ卓球といった楽しいイベントを企画してきました。若い人が興味を持ってくれれば、親の世代を連れてきてくれるかも知れない。自分の同じ世代、価値観が近い人に来てもらうためにも、自分が行きたくなる旅館をイメージして企画を考えていましたね」

フロントを奥へと進むと、レコードやCDが所狭しと並べられた場所で嬉野の街を眺めながらゆったりと音楽が聴けて、お風呂を上がった先にはのんびりと本が読める空間を用意。定期的に音楽イベントを開催するなど、大村屋はいわゆる温泉旅館とは思えないほどの多様なカルチャーで溢れています。

最後に、北川さんが嬉野という地域にかける想いを伺いました。

楽しい暮らしのハブになる

北川さん「嬉野はもともと宿場町として発展したので、旅館は街や地域にある営みの中で活かされてきました。今はコロナで観光客も落ち込んでいますが、外から来てくれるお客さんだけに頼ってはいけないという問題は、バブルが崩壊した頃から変わっていません。

今進めている『嬉野茶時』というプロジェクトは、嬉野の景色を作ってきた嬉野茶と肥前吉田焼、そして嬉野温泉という3つの文化を後世に伝えるために始めました。嬉野にまつわる食や体験を単なる観光資源としてではなく、嬉野全体で発信することで地域の人にも地元の魅力を知ってもらう。大人が楽しそうに働いていれば、地域の子どもたちも自然と嬉野に誇りを感じ、僕たちも安心して次の世代へとバトンを渡すことができます。嬉野の暮らしの魅力を発信する『暮らし観光案内所』というnoteの連載は、まさにそうした思いから始めました」

北川さん「まずは街を残さないといけません。いくら人間が満足しても地球環境が悪化すれば住めなくなるのと同じように、旅館だけが上手くいっても、嬉野に活力がなければ意味がありません。外ばかりに目を向けず、まずは地元の人に湯豆腐や温泉を楽しんでもらう。公園や公民館のように、気軽に立ち寄ることができる『楽しい暮らしのハブ』となれる旅館にしていきたいですね」

今いる場所にしっかりと目を向ける。豊かで楽しい暮らしは、意外と身近にあると確信を持って語る北川さん。嬉野は大村屋をはじめたくさんの魅力が詰まった街ですが、忘れかけていた大切なことに気づかせてくれる、そんな場所です。

旅館大村屋
嬉野茶時
暮らし観光案内所

文・清水淳史

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江戸から続く温泉宿。原点に立ち返り地域に目を向けた15代目