美容業界から工業のど真ん中へ。日本のものづくりを残す!女性社長の覚悟

静岡県三島市で57周年を迎える三光ダイカスト工業所。車部品の鋳造で国内シェアも高く、長い社歴の中で技術と品質を高く培ってきました。

そんな日本の工業の中心に位置する会社を8年前に受け継いだのが、創業者の一人娘である三宅ゆかりさん。美容業界で20数年のキャリアを積んだのちの、全くの未経験からの承継です。創業者の父の闘病をきっかけとした入社から、とりあえずの後継者としての承継、覚悟が定まらぬ葛藤を超えて、「やっと自分を信じられるようになった」と微笑むまでの戦いをお聞きしました。

創業者の父の逝去からドタバタの承継

三光ダイカスト工業所を創業した父は職人気質な人物で、子どもの頃の三宅さんにとっては話しにくい苦手な相手だったといいます。その父が2010年、病に倒れます。入院して闘病する父と見舞いの度に話すようになって、印象が180度変わったと言います。

三宅さん「会話が増え、お互いの考えていることや思いを理解するようになり、苦手意識が消え去りました。父を助けたい一心で美容を辞めて入社しました。その時は事業を継ぐことなど意識もしていませんでした。父と長く働いてきた叔父(父の弟)や親戚も社内におりましたし、独り身の一人娘は家業についてどこか他人事で生きていました。

闘病の末、退院することなく父が亡くなり、叔父が事業を引き継ぎました。ところが翌年叔父が難病を患い、みるみる悪化して、代表者不在を避けるために私がとりあえず承継することになりました。足を悪くしていた母は私の決断を狂ったように止めましたが、かといって母に継がせる訳にもいかず、母を守るためにも承継の決断をしました」

シラける社員、冷たい視線…承継4年目から会社が回り始めた

代表者不在を避けるためのドタバタの事業承継は、リーマンショックの影響が強い中で行われました。経営状況も過去最悪に悪く、M&Aも望めず、社内には不安が色濃く漂っていました。

三宅さん「父の代からの社員さんが多かったのですが、見事に冷たい視線が向けられました。美容などと全く畑違いの業界からやって来た後継者など、不安以外の何者でもありませんよね。見るからに白けた雰囲気でした。朝、駐車場に車を停めて、何度帰りたいと思ったことか。そんな時期が3年くらい続きました。

それでも自分にできることをやろうと決めて、父が生前よく言っていた『現場を回れ』をいう言葉を思い出し、毎朝工場を巡っていました。生産の8割を占めるのは車部品でしたが、それ以外の生産もしなければという危機感もあり、アルミの余材や廃材も早くから気になっていました。

でも、危機感だけでは社内の空気も変わらず、行き詰まっていた時に参加した商工会議所のセミナーでクリエイターグループと出会ったのです。何かできないかと彼らに相談したら、工場を見せてくださいとのことでお招きしました。

そうしたら、うちの工場を見て『工場そのものがスチームパンクですね!』という発言が飛び出したのです。これをきっかけにスチームパンクプロジェクトが始まりました。承継4年目にして、やっと会社が回り始めた実感を得ましたね」

「現場を回れ」父の言葉から生まれたスチームパンクプロジェクト

「スチームパンク」とは、蒸気機関を中心とした世界観で語られるファンタジーや SFのジャンルで、歯車や工具など工業のモチーフが散りばめられた表現が人気です。日本国内でも2万人のファンが見込まれ、ニッチながら根強い人気のジャンルです。

三宅さん「鋳造ではアルミを溶かして使いますが、100%使いきれていないことが気になっていました。父の言葉に従って工場を巡っていたから気づけたことです。さらに、美容業界から来た私には、小さな自動車部品がアクセサリーに見えていたことも重なり、それを社外のクリエイターにスチームパンクだと指摘されたことで具体化し、半ば無理やりに社内プロジェクトを立ち上げました。

そうは言っても技術者にはプライドもありますので、社員の反応は半信半疑でした。展示会が盛り上がって大成功を収めた時に、社内の空気が変わりました。スチームパンクのファンにとって、工場という工業の中心地から発信される魅力もありますし、工場にある部品も工具もすべて魅力的なのだと、みんなで驚きました。

それ以降、受注先が「面白いことやっていますね」と興味を持った上で、社歴の長さに信頼を置いてくださって新規受注に繋がったケースが増えました。何よりリクルートへの影響が大きくて、「スチームパンクの会社だから」と応募してくれた新入社員が増えましたね。プロジェクトを始める時は色々心配されましたが、今となっては良い影響が長く続いています」

想像力の豊かさとものづくり全体を見渡せる力が必要不可欠。クリエイティブな職場づくり

スチームパンクプロジェクトで活気付いた会社が次に目指す姿は「親子でクリエイティブに挑める会社」だと三宅さんは言います。

三宅さん「仕事はみんなで作るもの、1人ではできません。そして必要ない人間も1人もいません。それぞれの個性を思う存分出せる風通しの良い会社にしていきたい。社員が自分の子どもを入社させたくなる会社にしたいですね。

風通しを良くするために、私が代表になってから執行役員や工場長などトップに立つ人を全部変えてしまったんです。今の時代は想像力の豊かさとものづくり全体を見渡せる力が欠かせません。クリエイティブな部分を大切にしたくて、社員をどんどん昇進させました。

女性社員も増やしています。前職で人を育てた経験が適材適所を可能にしていると感じます。会社全体の問題解決のスピードが上がっていますね。私の改革に不安を感じる方もいたけれど、何もわからなかった私が社長をできるのだから、みんなにもできるよ、みんなで新しいものづくりの会社を作ろうよ、と話しています」

承継せずにあのまま生きていたよりも今の自分の方が好き。これからも日本の工業を守っていく

三宅さん「父が亡くなって、全く何もわからないどん底からの挑戦でしたが、やって良かったと心の底から言えます。私にとっては非常に良いチャレンジでした。前職の経験が全く通用しなくて、自信も知識もない。だからこそ、わからないことをわからないと謙虚に周りに聞けたのだと思います。社員や協力会社、金融機関など、関わるみんなに育ててもらったという実感があります

今、コロナ禍で日本の経済の先行きも見えない状態にあります。これからこの国の立ち位置がどう変化していくのか、全く見えません。その中でも今持っている技術を守って、目の前のことに精一杯対処していきたい。

事業承継の良いところは、技術職の方々がこれまでに苦労して培ってこられた技術や品質を途切れさせないことですね。ダイカストの分野でも、省人化自動化が進んでいますが、どうしても人間にしかできないことがあります。その技術はとても大切なものです。

その技術を途切れさせないためにも、日本のものづくりを絶やさないためにも、事業は辞めるよりも承継してほしいと思います。未経験で何もわからない状態からの私ができたのだから、できます。ものづくり企業さんはぜひ承継を目指してほしいです」

覚悟の定まった凛とした笑顔で、日本の工業を支える三宅さん。「承継せずあのまま生きていたよりも、今の自分の方が好き」だと言い切って、日々新しい改革に乗り出しています。

文・麓加誉子

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