事業承継ストーリー

「考え方が違いすぎたから、良かった」倒産寸前の会社に入社した3代目社長の挑戦

インテリア、エクステリア、DIY製品の製造・販売のほか、カフェ、工務店、レンタルスペース業など複数の事業を行っている、株式会社友安製作所。現在代表取締役を務める友安啓則(ともやすひろのり)さんは三代目にあたります。

友安さんは高校1年の2学期から大学院までアメリカで学び、卒業後はアメリカの商社で働くかたわら友だちと事業を立ち上げ、2004年に帰国し家業に戻ります。インテリア事業で会社に貢献し、2016年に正式に家業を承継。その後も様々な新規事業を立ち上げました。

そんな友安さんは経営についてこう語ります。

「商売って、ウルトラCの方法はないんです。ひとつひとつ、実直に、実直にやっていくしかない」

入社前後のお話や先代との関係、これからの取り組みなどについてお話を伺いました。

土日も忙しかった父。息子はアメリカ留学・就職で充実した日々

アメリカ留学時、22歳ごろの友安さん(写真提供:友安製作所)

友安さん「父はカーテンフックなどを作っていたのですが、これが1960~1970年代くらいにとても売れたんです。ちょうど日本の家のインテリアが和室から洋室に移行する時期ですね。すごく忙しい時期で、父は土日も仕事をしていました。子どもの頃は土日になると僕も父について会社に行って、仕事をしている父の横で遊んでいました」

当時の家業は好調でしたが、友安さんは跡継ぎについて先代から言われたことはありませんでした。

友安さん「父からは1回も言われたことがありません。ただ、取引先に商品納入するときについて行ったりすると『この子が会社継ぐんか』と言われることはありましたね。だから、なんとなく『会社継がなきゃいけないのかな』とは思っていました」

しかし、成長した友安さんは高校1年の2学期からアメリカに留学します。大学・大学院とアメリカで学び、卒業後はそのままアメリカの商社に就職。商社で働くかたわら、友だちと日本から日本車のエンブレムやエンジンなどを輸入してインターネットで販売する会社を立ち上げます。

家業のことや跡継ぎのことは頭からまったくなくなり、充実した楽しい日々を過ごしていた友安さん。しかし、2004年に転機が訪れました。「父が倒れた」という知らせが届いたのです。

父の病気で帰国。そこで目にした会社の姿は……

父が倒れた。その知らせを聞いたときに友安さんが思い出したのは、子どもの頃に取引先の人たちからかけられた「この子が会社継ぐんか」という言葉でした。

友安さん「『僕が継がなあかん』みたいな使命感を感じたというか、とにかく『帰ろう』と思ったんです。あとは、アメリカの起業経験で経営の楽しさや面白さを感じていたので、言葉は悪いけれども父の会社が利用できるかな、とも考えていました」

幸いなことに、先代の状態は1ヶ月ほどでほぼ全快し、仕事に復帰できるようになりました。しかし帰国した友安さんは、会社の状態に驚きます。

友安さん「アメリカに行く前はスタッフが30人くらいいる、すごく元気な会社でした。それが、僕を入れてスタッフは6人くらい。しかも高齢の人ばっかりだったんです」

さらに友安さんがアメリカに出発した1990年代、カーテンフックは急速に鉄製からプラスティック製に置き換わっていたため、先代が得意としていた商材はあっという間に売れなくなってしまったのです。

友安さん「父は会社たたむつもりでしたね。僕の入社にも反対したし、30歳になるまでに芽が出なかったらほかの会社に就職しろとも言っていました。だけど借金があるからそう簡単にたたむわけにもいかない、そんな状態でした」

友安さん「だけど、父と働いてみたいという気持ちが強かったのがひとつ。あとはやっぱり、父の会社が好きだったんです。子どもの頃、会社のレクリエーションで大人たちが楽しんでいる姿を見て、子ども心にすごく『いいな』と思ってたんですよ。そういう時期を知っているから、自分がなんとかしたかった。あとは、自分ならできるという根拠のない自信もありました(笑)」

入社の意志が変わらない友安さんに対し、先代はひとつ条件を出します。それは「半年以内に自分の給料分、15万円を稼ぐ」ことでした。

「半年間で15万円稼げ」仕入れ先と販売先を飛び込みで探しまわった

友安さん「入って最初にやったことは、インターネット回線を引いてパソコンを買って、会社のホームページを立ち上げること。あとはメインバンクに対する経営改善書の作成です」

まずは何をするにもホームページがないと、と友安さんはホームページを作ります。

それから実際に小売店に足を運び、売り場を見てみました。そこで目にしたのは、高額な他社製品の数々。

友安さん「なぜ他社製品はこんなに高いのか。それは結局は『ブランドだから』なんですよね。じゃあ自分でもブランドを立ち上げてしまったらいいんじゃないか、ブランドを作って、自分でも取り付けられるようなカーテンレールを海外から仕入れたら売れるんじゃないか、と思ったんです」

こうして友安さんは『COLORS』というブランドを立ち上げ、仕入先を求めて台湾に旅立ちました。

友安さん「台湾に1ヶ月くらい行って、あちこちの工場を回って仕入れさせてくれないかと頼みました。だけど、いきなり若い、お金もない人が来たって相手にされないんですよね。ところが1社だけ僕を気に入ってくれた会社があって、まずはそこからカーテンレールを15本仕入れました。それがすごく売れたんです。

それから仕入れから営業、カタログやホームページ作成もひとりでやっていたのですが、だんだん手一杯になってきたんですね。だけど人を雇えるほどの売上はまだなかったので、ウェブショップを立ち上げ、直接お客さまに販売できる仕組みを整えました」

こうして友安さんは、先代が出した条件「半年以内に15万円稼ぐ」をクリアしたのです。

「一緒のことやってたら、多分喧嘩してた」性格が違ったからこそ良かった関係

入社後、輸入事業に取り組み軌道に乗せた友安さん。先代はそんな友安さんをどう見ていたのでしょうか。

友安さん「やっていることが違いすぎて、わからなかったみたいですね。父は、ものを作っていればそれでいいという人。交渉・折衝や営業はほとんどしたことがないし、製品の値上げなんかも踏み切れない。だけど僕は営業もするし、上げるべきときは思い切って上げて、利益を出そうとするタイプなんです」

ただ、この違いは二人にとって良かったと先代は考えていたようです。

友安さん「『お前が俺と一緒のことをやっていたら、多分喧嘩してた』とは言われたことがありますね。入社して最初は『お前はカーテンフックのことは一切やるな』とも言われましたね。だけど1年くらいしたら結局そっちも『やれ』って言われてやるようになったんです。だけど、僕が機械を触っていたら『そのやりかたはあかん』と口を出してくる」

先代の存在は大きな助けにもなった

しかしそんな先代の存在は、友安さんにとって大きな助けでもありました。

友安さん「『友安製作所』の名刺を持って営業に行くと、相手が自然と『ああ、会社の名前と同じ名字ってことは将来社長になるんかな』って感じで話をきちんと聞いてくれたりする。そういう点では、すごく父の存在はありがたかったです。父のつてや昔の取引先さんなんかに指導していただいたり、助けていただいたりもしました」

また、新規事業立ち上げの際に「父を説得する」という過程は事業の計画を見直す良い機会でもありました。

友安さん「お金を動かすには、まずは社長である父を説得しなきゃいけないわけです。もちろん反対されることもあったんですが、ちゃんと父には父なりの理由があって反対するわけですよ。じゃあどうすればうまく説得できるか考えて、調べて、修正していくと、だいたい最終的には事業がうまくいくんですよね。つまり、父一人説得すらできないなら事業もうまくいかないんですよ」

そして2016年、友安さんは正式に代表取締役に就任。先代から会社を引き継ぎます。

「友安経済圏」の回遊でお客さまの満足度アップを狙う

現在、友安製作所はDIY・インテリア商品を販売するEC事業のほか、大阪・東京・福岡でカフェ事業を展開。さらにリフォームを手掛ける工務店事業、『友安タイムズ』というオウンドメディアを活用するメディア事業、レンタルスペース事業を手掛けています。

友安さん「これを『友安経済圏』と僕たちは呼んでいます。たとえばECを利用した方が、友安タイムズを読んでカフェに行く。カフェではワークショップもやっているんで、そこでDIYに触れてまたECを利用する。あるいは、レンタルスペースのオーナーさんが工務店を使ってリノベーションすることもあるでしょう。こういうふうにひとつひとつの事業が関連しあって、その中をお客さまがぐるぐる回って楽しんでいただくことで、満足度が上がっていく。そういう方向を目指しています」

この経済圏の回遊で友安さんは特に重視しているのはお客様の満足度だそうです。そのためには他社製品をすすめることも。そんな売り方をしてきたおかげか、友安製作所にはリピーターも多く訪れます。

友安さん「DIY商品扱っていますが、うちは決してDIY推しではないんです。DIYしても、職人に頼んでもいい。選ぶのはお客さまです。最終的にお客さまが満足すれば、その分マーケットそのものが広がるんですよね。長い目でみたらそのほうがうちにとってもプラスになるんです。

僕が10年以上前に使っていた名刺を持って『この人から昔買ったんやけど』ってまた来てくださるお客さまもいらっしゃいます。すごいうれしいですね」

人との出会いがあったからこそ、ここまでこれた

最後に、事業承継をしてから印象に残ったできごとについて伺いました。

友安さん「人との出会いですね。かつては、営業、ホームページづくり、梱包だって自分が一番うまくできると思ってやっていた時期があったんですよ。だけど、ひとりでやっていても全然うまく行かない。そこで人に任せるようにしたら、もうすごい勢いで会社が伸び始めたんです。多分、ひとりでやっていたらここまで伸びていなかったでしょうね」

友安さんを取り巻く環境は会社やその関係者という枠を越え、今はより大きな「地域」というスケールにまで広がっています。

友安さん「うちの会社がある八尾市には、錦城護謨(きんじょうごむ)さんとか木村石鹸さんとか、面白い会社がたくさんある。そういう会社と一緒に、ものづくり体験ができる『みせるばやお』という施設を立ち上げました」

錦城護謨さんや木村石鹸さんの一部の商品は、大阪・阿倍野にあるカフェ「友安製作所Cafe&Bar阿倍野店」2階でも販売されています。

友安さん「『個』の力ってそんな大きくないと思うんですよ。だけど『集(しゅう)』の力はめちゃくちゃ大きい。地域の会社でお互いに集まってコラボして、お互いのファンの人たちに知ってもらえたら、相乗効果で『八尾って面白い企業があるよね』となる。八尾ってすごいものづくり企業がある街なんですが、ものづくり企業って、かつてのうちのように売ることがとても苦手なんですね。だから僕たちができること、たとえばブランディングムービー制作のお手伝いなどをしています。そういう手伝いを通じて、八尾の街全体をブランディングしていきたい。そうしたら、きっとうちのブランディングも上がっていきます」

そんな八尾で、友安製作所はどのようなことをやっていくのでしょうか。

友安さん「うちの会社のミッションは『Add colors to everyone’s home』つまり、『全世界の人の生活の一部に自社製品を』。これをより達成に近づけたいですね。あと、ホームパーティー推進委員会ってメディアを立ち上げたので、ホームパーティーを広めたい。ものづくり回帰の流れでアウトドア製品づくりに取り組み始めたので、これをちゃんと軌道に乗せたい。あとは……ホテルやってみたいですね。一部屋一部屋、全部違う内装の。やりたいことはいっぱいありますよ(笑)」

絶妙な距離感の先代との関係や、人との縁。こういったものが、たたむ寸前だった家業を継ぎいだ友安さんの事業を大きくしてきました。そしてその視線も、会社から地域、世界へとぐんと広がっています。先代・跡継ぎそれぞれの力を掛け合わせることで小さな企業もどんどん成長しくことができる、そんな力強い可能性を感じました。

文:鶴原早恵子

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