2021年6月、山梨県上野原市に縫製工場がやってきました。工場とスタッフは兵庫県三木市から、新しく就任したオーナー夫婦は東京からの移住です。
縫製工場を営んでいる有限会社井奥の新オーナーが坂戸順子さん・幸雄さん夫妻。承継後に「AGLUCA(アグルカ)」と工場ブランドを名付け、「アパレル業界の問題の改善」と「新しい形のブランドの設立」を目指して、夫婦二人三脚で事業を運営しています。
新たな土地で大きな目標の実現を目指すお二人に、今後のビジョンなどを伺ってみました。
服が好きで「自分のブランドを持ちたい」という夢が承継により実現
服の設計・製造を始め現場で指揮を取っているのが代表取締役CEOの順子さん。服飾専門学校を卒業してからデザイナーとしてメンズ服のデザインを手掛けたり、パタンナー(デザイナーの作った図面を立体の型紙にする役職)として従事したり、海外の縫製工場の指導をしてきたりと、アパレル業界の中でさまざまな業務に携わってきました。そんな順子さんの長年の夢は自分のアパレルブランドを持つこと。
順子さん「企業の中でもデザイナーとして携わったことがあるんですけど、決められた枠の中でしか作れない難しさがありました。自分のブランドを持てばそうした窮屈さから解消されるのではないかと思い、その準備としてパタンナーなど服製造に関するさまざまな業務に取り組んできました」
夢を持ちながら働いていた矢先に、当時勤めていた会社の取引先の社長が高齢により事業を継続できないとのことで、「工場を継いでもらえないか」とお話をいただいたそうです。
「自分のブランドを持ちたい」という夢の実現に大きく近づけることから、承継を決断。万全な製造体制を整えるために工場の敷地が十分に確保でき、且つ東京へ電車でアクセスできる山梨県上野原市へ移住しました。
「アパレルのプロ×Webのプロ」夫婦二人三脚で始める事業運営
ちなみに旦那さんである幸雄さんは、順子さんが事業承継することに抵抗は無かったのでしょうか?
幸雄さん「私も自分の事業を持ちたいという願望があって、これまでいろいろなベンチャー企業で働いていたことがあるんです。それが事業承継という形で舞い込んできたので、願ってもいない出来事ですよ」
幸雄さんは現在、渋谷にあるメディア運営会社にリモートワークで務める傍ら、AGLUCAの代表取締役COOとして、インターネットによる発信を中心とした業務を行っています。
現在の有限会社井奥の体制は、「アパレルのプロで代表取締役CEO兼現場統括の順子さん」と「Webのプロで代表取締役COO兼発信担当の幸雄さん」と違うスキルを持った夫婦が二人三脚で、それぞれのスキルを活かして事業に携わっています。
心機一転兵庫から山梨へ”移住”してスタート
有限会社井奥は元々工場のあった兵庫県三木市にあったものの、承継されてから山梨に移転します。そして新オーナーとなる順子さん・幸雄さん夫婦は東京から山梨県上野原市へ「移住」という形で再スタートを切ることになりました。
会社を山梨へ移した理由は「東京から電車で行ける範囲であること」と「納得のいく製造体制を整えるため」の二つです。
アパレルブランドや商社の多くは東京に本社を構えているため、その近辺に工場があれば仕事を楽に進められます。都内に縫製工場を構えることも検討したそうですが、物価の高さから順子さんの理想とする体制での運営は難しいために断念。
「広い工場を構えられる」ことを条件に探していたところ、山梨県上野原市に素敵な物件があったため、そこを移転地として選ばれたそうです。
地方への移転というだけでも敷居が高いように思えますが、もう一つ順子さん・幸雄さんには後押しする理由がありました。
順子さん「子育て環境ですね。東京だと保育園に入りにくいのと、近所迷惑が懸念となってしまうため、のびのびと子育てができる地方がいいよね、ってことで決断できました」
東京から上野原へ移住したことで、公私とも充実した日々を送れているようです。
ちなみに有限会社井奥には2021年7月時点で5人のスタッフがいるのですが、そのうちの4人は兵庫から一緒に移住してきたのだそうです。スタッフさんも最初は上野原への移転に驚かれていたそうですが、「兄弟が東京にいるので会いやすくなった」「東京に近いので楽しみ」と歓迎する声もあったそうです。
事業承継から1ヶ月、地元企業の依頼によりデザイン制作から携わらせてもらえることに
上野原市で物件を見つけてから2021年2月に坂戸さん一家そろって移住、環境と従業員にやさしい工場を目指して、建物のリフォームを実施。リフォームが完了した2021年6月、三木市から会社とともに移住してくれた4人のスタッフと一緒に、有限会社井奥は縫製工場ブランド「AGLUCA」と改め、リスタートを切ることができました。
順子さん「立ち上げたばかりなので大変なことも多いですが、ありがたいことに地元企業さんからも引き合いをいただいて、先日はODM(※1)を請けさせていただきました」
スタッフが三木市にいたときはOEM(※2)として商品の製造のみ対応していたとのことですが、リニューアルした早い段階で、ODMのお仕事も受注できたとのことです。これまで請けていなかった案件を受注できたことで、AGLUCAにとっては大きな一歩です。
※1 ODM:デザインの制作から開発・製造までを一気通貫で行う業務
※2 OEM:ブランドの開発・製造を行う業務
ゆくゆくは環境にやさしいブランドを立ち上げたい
最後にAGLUCAを通して叶えたいことを聞いてみました。
順子さん「残布の活用やCO2抑制などの試みで、おしゃれなだけでなく環境にやさしいブランドにしていきたいですね。残布については捨てずに残しており、ゆくゆくは企画を予定している縫製ワークショップにて使えたらいいな、と考えております。
CO2抑制については工場のリフォームの段階で省エネで過ごせるような構造にしました。断熱材を取り入れたり二重サッシにしたりことで、エアコンの使用量を抑えられるようにしています。2-3年後には製造時に出るCO2ゼロを目指して、工場の屋上に太陽光発電を設置する計画も立てています」
幸雄さん「縫製工場は働き手からは良い印象を持たれていないが、ぼくはやり方次第ではやりがいのある働き方ができると思う。カッコいい工場で、それなりの良い給料を与えられれば人は必ず来てくれる。従業員の給料を上げるためには服の価格を上げ、それに見合ったブランドに育てる必要がある。
ブランドの価値を上げるために、その服が出来上がるまでの背景やストーリーを発信していけば、ユーザーに共感してもらえるようなAGLUCAブランドに成長させられると思う」
新規ブランドの立ち上げだけでなく、ゆくゆくは「縫製体験」や「親子向けの縫製工場見学」の構想も練っているとのこと。新しいオーナー夫婦と、そして兵庫から一緒に移住してくれたスタッフとともに、AGLUCAはアパレルの新しい挑戦を仕掛けていきます。
文:土田 嵩久