温泉観光地の熱海駅正面、丸窓がついた白いビルが、アカオ商店です。駅前の玄関口として、地元や観光客等に親しまれてきました。
「家業を引き継いで、低迷する熱海に貢献したい」
このお店を2008年に事業承継したのが、3代目の赤尾光一さんです。現在は熱海市議会議員として地域に寄り添うなど、活躍の場を家業以外にも広げ、地域全体に貢献しています。
戦後、熱海の観光の発展とともに歩んできたアカオ商店
赤尾さん「祖父は、もともと群馬県の人で、熱海にやってきて、この場所で土産店を始めました。その後、宿も手掛け、現在ニューアカオホテルは親戚がやっています。こちらの土産店は、父が継ぎ、平屋だった普通の土産店を丸い窓がある白ビルのユニークな建物にしたのです」
自動ドアの土産店にするなど、先代は他人とは違うことをチャレンジすることが好きだったと言います。
赤尾さん「昭和53年に完成して、3階より上が住居になっていて私たち家族が住んでいます。ここが建った当時は、駅前にはビルらしいビルはうちぐらいでしたので、どこからでも見えましたね。
ビルの店舗は、最初、1階の土産店だけでしたが、その後、遅れること5年で2階に喫茶業Cafe Agir(カフェ・アジール)を始め、さらにその数年後、地下に食事処(味くら)を開業。全て直営店として経営しています」
先代によってアカオ商店は、順調に経営を続けていましたが、団体旅行や社員旅行が減少し、エリア全体として低迷期を迎えます。
ゼネコンを続けるより、家業を継いで熱海に貢献したい
赤尾さん「私は1989年から大学進学のため熱海を離れ、理工学部で学び、その後、ゼネコンに勤めました。社会人を含め14年間ほど熱海を出ていました。ですから実は、熱海の観光が落ち込んでいたころを実感できませんでした。
もちろん知ってはいましたが、当時ここに住んでいた人たちとは、切実さは違うかもしれないです。当時、昔のいい頃に比べるとだいぶ下がったと、父がぼそっと言っていたのを覚えています」
その低迷期のころ、赤尾さんは、実家を継ぐことを決意されたそうです。
赤尾さん「私が30歳を過ぎたころ、将来について考え始めました。それは、日本経済全体が長い停滞期に入り、私が従事していたゼネコンの仕事も先細りとなってきました。このまま踏ん張って頑張るか、または懸念であった熱海の家業を継ぐか悩みました。どちらを選んでも険しい道になることはわかっていたので、ならば熱海に戻って家業はもちろん、地域に貢献したいと考えるようになったのです。
しかし、実は幼少期から父に継げとは一言も言われたことはありません。商売やりたいなら言ってくれればいいし、特にその必要もないと。父は自分の代で終わってもいいぐらいの感覚だったのでしょう。駅前なので何とでもなるという思いはあったはずです。賃貸に出すという方法もありますし…。
ですから、家に戻って家業を継ぎたいと父に告げたときは、『あっ、そうかい』と、あっけない反応でした」
もっとも、だいぶ後になって、赤尾さんは、近所のお店の方から、「息子が家業を継ぐことになって、先代は嬉しそうに語っていましたよ」と聞いたそうです。
「まずは自分でやってみなさい」父の教えをもとに引き継ぎがスタート
家業に入った赤尾さんは、調理場に立ち、現場を学ぶところからスタートしたと言います。そして帰ってから5年後、「社長をやれ」と父に突然告げられました。
赤尾さん「先代からは、とにかく自由に、やりたいようにと言われました。なぜこのタイミングだったか聞いたことはありませんが、おそらく『もう任せてもいい』と思ったのではないでしょうか。
引き継ぐにあたって、自分がやってきたことを守ってほしいということは一切ありませんでした。父も自由にやりたいことやってきたタイプだったので、 息子にも自由にやってもらいたいと思っていたのかもしれません。
例えば、最初は体力もあったので朝7時から働き、喫茶部も夜遅く10時までやってみました。他にも色々なことをチャレンジしてみましたが、父は特に口出ししませんでした。
ところが結局何年後かに、父がやっていた形態に戻ってしまいました。経営効率を考えると、実は父のスタイルが、完成したビジネスモデルだったのです。父は、結果が分かっていたのかもしれません。
しかし言葉で息子を押さえつけても、息子は理解できないだろうなと、まずはやらせてみたんだと思います。グチャグチャにしても、やるなとは一切言いませんでした。もし父に注意されてやめていたら、やっておけば良かったと後悔していたのかもしれません」
未来へ向けて。リニューアルする1階と残したい先代のコーヒー
まずは試してみることが、先代からの暗黙の教えだったかもしれません。他にも経営者として先代から教わったことで、言葉ではなく、働く姿を背中で見せてくれたことも大きいと言います。
赤尾さん「実家のビルは店舗併用住宅になっていたので、小さい頃からここに住んでいて、両親はお盆休みもなく、年末年始もない生活を目の当たりしていました。その働いている姿を見てきたことが体の中に染み付いて、商売人の大変さや喜びも理解していました。自然と他人とは視点が違い、例えば、他のレストランに行った時に料理で云々はもちろん、スタッフが多いなぁとか、経営者目線で見てしまうのです。商売人のマインドが埋め込まれていました」
現在、お店の改善を来年に向けて計画中だとか。1階リニューアルを準備中です。
赤尾さん「1階は、かつて、どこにでもある土産店だったのですが、他と差別化するために母や妹の好きなものをセレクトして販売する趣味の店をやっていました。面白いものを揃え、人気もあったのですが、最近は赤字が続くようになり、去年の秋ぐらいから妹と2人して、リニューアルに動き出しました。東京の人材にも関わってもらい、話を詰めているところです」
赤尾さんは、次々と刷新しながらも、守っているものもあるそうです。それは2階の喫茶店のコーヒーの味です。先代がこだわった酸味系の味で、オールドファンも多くいます。苦味系と酸味系と、好みが分かれるところですが、なぜか赤尾さんは先代のこの味が好きだと言います。
熱海全体を盛り上げたい!家業から市議会議員に活動の場を拡大
Uターン時に思った熱海に貢献したい志は、着々と実を結んできたと言います。将来を見据えた動きもでてきたそうです。
赤尾さん「青年会議所や飲食組合など、いろいろな団体に入って勉強しました。実はその集大成として、現在2期目ですが、熱海市の市議会議員の活動につながっています。観光地としての熱海を良くしたい、それが結果として市民の暮らしを豊かにでき、まわりまわって家業にも好影響となるでしょう。観光をしっかり復活させ、軌道に乗せることが目標です」
市議会議員になったきっかは、熱海を良くしたいとの想いがあるものの、自分一人ではどうすることもできないと、団体に入って実感したからだと言います。
赤尾さん「商店主だけでやりきれない部分があり、どこか不完全燃焼でした。やはり熱海を連携して盛り上げたいと。市議会議員になったことで、今まで知り合えなかった人と知り合うなど、変化が出てきて、町の提案など、大きな動きも出てきました」
事業承継して、地方経済が変化するなかで、どのように改革し、一方で何を守るのか。熱海のⅤ字回復には、まだ道半ばと言いますが、ビルの1階のリニューアルやエリアの展開が今後ますます楽しみです。
文・此松武彦