事業承継ストーリー

「かっこいい跡継ぎ」の背中を見せる。美しい電球を追い求めた2代目の挑戦

愛知県日進市を拠点に、カーエレクトロニクスや照明機器を手がける「株式会社ビートソニック」。全国のカーディーラーやカー用品店など、合計で約4,500店舗と取引をしています。

代表取締役の戸谷大地さんは、2009年に家業のビートソニックに入社し、2014年にデザインLED電球「Siphon」を立案。クラウドファンディングで、当時プロダクト系プロジェクトの国内最高額となる1500万円以上の支援を集め注目を浴びました。

「ダサいLEDは終わりにしよう」のフレーズが印象的だったクラウドファンディングの大成功で、業界内で一気に時の人となった戸谷さん。2代目として2020年に会社を継いで代表取締役となった「今」を取材しました。

幼いころから見てきた父親の働く姿

株式会社ビートソニック代表取締役 戸谷大地さん

戸谷さんのお父さんは脱サラし、ビートソニックをはじめる前からいくつかの事業を手掛けていました。ビートソニックの創業は1991年。戸谷さんは、自宅の1階で働くお父さんの姿を幼いころから見てきたと言います。

戸谷さん「自宅の機械が夜遅くまで音を出していて、土日はものを売りに行くという父の姿を見ていました。ほかのお父さんは会社勤めが多かったので、何となくうちは違うんだなと幼心に感じていました」

戸谷さんは18歳のとき、大学進学のために上京します。お父さんとは家業についてあまり話していなかったこともあり、大学卒業後は一度東京のITベンチャーへ就職しました。

戸谷さん「大学時代は東京での生活を楽しんでいて、実家に帰ることはほとんどありませんでした。就職する際も親に相談することはなく、自分の興味を優先して会社に入りました。ベンチャー企業であれば社長と近い距離で仕事ができ、大きな仕事を任せてもらえるので、20代のうちにエキサイティングな経験ができればいいなと考えていました」

大学卒業後はITベンチャー企業で貴重な経験を積む

東京のベンチャー企業で活躍していた戸谷さん。若手でありながら新規事業の担当者や大手企業へのプレゼンなど、早くからベンチャー社員ならではの貴重な経験を積みました。人脈をつくり様々な考えを学べたことはとても大きかった一方で、IT業界で長期的なキャリアを築こうとは思っていなかったと言います。

戸谷さん「ベンチャーでの仕事は楽しいこともありましたが、最大瞬間風速で働かなければならない点では辛さもありました。やはり、30歳くらいを目途に実家に帰り、家業を手伝う相談をしようかなと思っていました」

地元愛知への思いもありました。これまでの経験を活かしてアイデアを形にするような仕事をしたい。ビートソニックなら実現できるのではないか。そう考えた戸谷さんは2009年、お父さんに帰省することを打ち明けました。

家業に戻り、自分で仕事を作る

ビートソニックに入社後、戸谷さんは新しい仕事に挑戦していきます。

戸谷さん「父親からは、まずやれることをやりなさいとだけ言われました。跡継ぎで人が足りている状態でぽんと入ったため、社内で自分のポジションはありません。自分で仕事を探すというのが最初の1、2年でした。

メーカー業にはこれまで全く携わったことがなかったため、苦労することもありました。例えば、在庫や出荷などの概念はIT業界にはありません。全くイメージがわかない中で、仕事をしながら勉強をしていきました」

愛知県と言えばトヨタをはじめとするカーメーカーが集まる街ですが、ビートソニックは下請けを行わないことをポリシーにしており、扱う商品はほぼ100%自社ブランドです。

戸谷さん「当時会社では商品の販売促進は何もやっていませんでした。まずは前職の経験を活かしてプレスリリースを作り、新聞社や雑誌に送るなどの広報から始めました。ビートソニックは自社ブランドの商品を売っていたので、広報活動は積極的にやるべきだと思ったんです。はじめは周りも“プレスって何?”という雰囲気でしたが、メディアに取り上げてもらって成果を積むことで認識も変わっていきました」

運命を変えたクラウドファンディングとの出会い

そこから毎年海外の電子家電の展示会やショーでトレンドを勉強した戸谷さん。東日本大震災以降、LEDの電球や照明を扱う会社が急激に増えており、「これからはLEDの時代になる」と直感で察していました。

戸谷さんは異業種参入となるLED電球事業を立ち上げ、「美しいLED電球」の開発に乗り出します。そして苦難の末、フィラメント電球を再現したデザイン性の高い電球「Siphon(サイフォン)」が誕生しました。そのときはまだ周りのスタッフも少し懐疑的。そこで、当時は今ほど普及していなかったクラウドファンディングで、世間のニーズを検証することにしました。その背景には前職でのIT業界との繋がりがありました。

戸谷さん「日頃からIT業界の人たちと連絡を取っていたため、早い時期にクラウドファンディングがアメリカで注目されていることを聞きました。色々調べて見ると、数人規模の小さなメーカーのアイディアに数億円規模のお金が集まり、商品を作る前から有名になるという、メーカーとしてのシンデレラストーリーが数多く生まれていることを知りました。

ものを作るには初期費用がかかります。金型などの開発には何百万単位のお金がかかり、ものも何千という単位で作らなければなりません。作ったものが売れなければ当然在庫となります。このようなリスクを回避できるクラウドファンディングは、メーカー業の課題を一気に解決する救世主でした」

結果、目標額の10倍を超える1,500万円超を達成。1,383人もの支援者(=ファン)を獲得しました。一気に注目を浴びた戸谷さんとSiphon。知名度は抜群に上がり、周りの反応も変わっていったと言います。

仕事を熟知していたので、引き継ぎはスムーズだった

順調に仕事の経験を積んでいく中で、徐々に与えられる役割も大きくなっていきます。会社を継ぐ1、2年前から、少しずつ社員の給料や朝礼などの仕事を任されるようになっていきました。

戸谷さん「父親から重要な仕事を任されるようになって、数年以内には社長を交代する意思があるんだろうなと思っていました。なので、自分でも経営者になる意識で仕事をしていました。実際は、父親のガンが見つかってから一気に事業承継を進めました。父が物理的に会社に来れなくなってしまったので、そのタイミングで僕が会社の切り盛りをするようになりました」

事業承継のきっかけは突然でしたが、もとから社内の仕事を熟知していた戸谷さんにとって、仕事の引き継ぎ自体はスムーズだったと言います。

トップダウンからボトムアップへ。どこの会社もやっていないことをやる

戸谷さん「父の代は、父がやりたいことをかたちにするために会社をやっていたので、若干トップダウンな構造になっていたと思います。それが一概に悪いわけではありませんが、僕の代ではボトムアップのやり取りが増えました。社員はみな僕が平社員の頃から知っているので、コミュニケーションもとりやすいんだと思います。

また、取引先に関しても、メーカーの立場が強くて、代理店や販売店との立場がどうしても非対称になりがちでした。でもそれは不健全だと思っていて、パワーバランスを意識して経営をしています

『会社を継いだら1つ新たな事業をつくりなさい』とよく言いますが、僕としては1つでは足りないと思っています。どんどん新たな事業に挑戦し、世間に価値あるものを提供してきたいと考えています。

一方で、規模の経済みたいなものはあまり考えていなくて、マーケットは小さくてもどこの会社もやっていないことをやる、というのが我々のやるべき仕事だと思っています」

戸谷さんは、「跡継ぎ」という働き方をポジティブなものとして発信することにも力を入れています。

戸谷さん「中小企業の家業を継ぐことに対して、保守的なイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、安定した売上と人材、設備などの基盤の上でやりたいことにチャレンジできる環境は素晴らしいと思います。後継ぎという働き方を発信しながら活躍することで、若い人たちの選択の幅を広げたいです」

今後も新たな商品をたくさん開発する予定のビートソニック。お洒落な商品をぜひチェックしてみてください。

文・江連良介

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