事業承継ストーリー

一度は閉店した京都の名物居酒屋「地球屋」。先代とファンの想いを受け継いだのは元アルバイト生

京都・河原町で店を構える「地球屋」。40年以上の長きにわたり、地元のミュージシャンや文化人、学生たちに愛されてきた名物居酒屋です。京都で過ごしたことのある人の中には、名前を聞いただけで懐かしさがこみあげてくる方もいるのではないでしょうか。

2020年4月に閉店した地球屋ですが、ファンや常連の惜しむ声を受け、同年9月25日に再オープン。地球屋のOBであり京都市内でタイ料理店「パクチー」などを経営する菊岡信義さんが、4代目として店を継承しました。

お客さんの思い出の詰まった場所を守りつつ、これからの地球屋を作っていきたいと語る菊岡さん。お店を継いだ経緯と想いについてお話を伺いました。

「自分が継ごう」なんて恐れ多かった

株式会社菊岡夫婦社・代表取締役/地球屋4代目店長 菊岡信義さん

2009年から、ご夫婦で京都の飲食店を営んでいる菊岡さん。学生時代に地球屋でアルバイトをしていたOBであり、パートナーである美紀さんとも地球屋のつながりで出会いました。ある日ネットニュースで地球屋が後継者を募集している旨の記事を見たときは、衝撃が大きかったといいます。

菊岡さん「風の噂で閉店したとは聞いていたんですが、後継者探しが難航していることを知って、心が揺れました。地球屋って僕にとって偉大な、いろんなことを教えてくれたお店で。だからこそ継ぐ人もすぐ見つかると思っていたんです。

恐れ多くて、自分が継ごうなんて思えなかったんですよね。コロナ禍で自分のところの事業も万全とは言えなかったし、見守ろうと思っていました。でもだんだん心配の気持ちが大きくなってきて、後継者募集の記事に書いてあった連絡先にメールを送ってみたんです」

店を想うオーナーとの共鳴

そこから、地球屋の店舗が入るビルのオーナーである招德酒造の木村さんと会う運びに。地球屋の今後について意見を交わしました。菊岡さんと同じく地球屋アルバイトのOBなど、30名以上の後継者候補の中から選ばれて店を継いだ菊岡さんですが、心を決めるまでには時間がかかったそうです。

菊岡さん「 “やってくれる気持ちはおありなんですか“と最初に木村さんに聞かれたとき、僕は即答できなかったんです。地球屋が末永く続いてほしいと思っているけど、50代の自分にはずっと続けていくイメージが湧かなかった。

でも、もっと若くて長いことやってくれる次の人が見つかるまでの中継ぎ役としてなら、役目を果たしたい気持ちはあるなと思っていたんです。そしたら、木村オーナーも同じ思いを持っていることがわかって、心がグッと動きました。

はっきりと明言されてはいませんが、最終的に自分に地球屋を任せてくれたのは、未来のビジョンが一致したこと、先代への尊敬の念、自分が会社を作っていたため組織で運営する安心感があったことがあるんじゃないかなと思っています」

地球屋を守ってきた3代目のひとり、浅野次郎さん

菊岡さん「特に先代店長である浅野さんの経営スタイルに、僕も木村さんも共感していたことが大きかったです。地球屋って以前はオーナーである木村さんが居て、実際のお店を回す店長3人で経営してたんですよ。けどそのうち2人が亡くなられて、その後は浅野さんがひとりでずっと店を守ってきた。浅野さんは3人の中でも、細かい経理面からコツコツと経営を支えるタイプでした。地球屋のイメージ作りは他の方が担っていた。

その人が亡くなった後どうしたかっていうと、浅野さんはコツコツと経営を支え続けて、イメージ作りはアルバイトさんにお任せしたんです。周りの皆さんに背中を預けていた。自分もそういう経営スタイルだったんで、それを引き継ぐかたちでいいならやっていけるかもしれないと思って。そう伝えたら木村さんも共感してくれました。そうやって共通する思いがたくさんあることがわかって、心が決まりました」

地球屋は「京都の夜の文化遺産」

菊岡さん「先代の浅野さんはサバサバしているので、“好きなことしたらよろしい。なんならメニューも全部新しくして店の名前も変えはったらよろしいわ”っていう感じでした。距離感を保って、いい意味でほったらかしで。

お客さんともそういう感じだったので、それが店の居心地の良さにつながっていたんじゃないかと思いますね。だから距離感や空気感は引き継いでいきたいです。“全部変えたらいい”って言われましたけど、内装もそのままだし、メニューも8割9割は残ったまんまにしています。

地球屋って“京都の夜の文化遺産”だと僕は思ってます。美味しいから行くとか美味い酒が飲めるからとかじゃなくて、どちらかというと“懐かしい場所へ行く”とか、“余所にはない地球屋の雰囲気を久しぶりにちょっと浴びに行こうか”とか、そういう気持ちで皆さん来てくれてると思う」

変わりゆく世界の中で、地球屋を残し続けるために

菊岡さん夫婦の世界旅行経験から生み出された「世界放浪旅メシ」メニュー

菊岡さん「地球屋の今後を考えた時に、現状のままだとかなり経営的に下降線だと思ったんです。独特の雰囲気が強くなりすぎてて、一般の人が入りにくいよねと。もう少し間口広げてみようかなと考えた時に、地球屋って旅好きの人やバックパッカーが昔から多く出入りしているから、その層をちょっと広げてみようかなって思ったんです。

自分自身が世界を周ったっていうこともありますし、旅の思い出を語る場所にはその国の食べ物があったら盛り上がるだろうと思って、多国籍なメニューを増やしました」

オーナーの招徳酒造の美味しい日本酒をご提供している

菊岡さん「日本酒のバリエーションも増やして、それに合うアテを揃えています。地球屋ってもともとは、京都伏見の招德酒造さんが”京都にいる学生さんたちに、美味しいお酒の味を覚えて巣立ってもらいたい”という思いから始めたお店なんですよね。そういうルーツもありますし、いずれ戻ってくるインバウンド用の対策としても有効だと思っています。常に先回りしてやっておかないと、何があるかわからないですからね。

また閉店っていうのは避けたいですから。地球屋には、40年強の間ずっと、全国から来た学生さんが作り上げてきた雰囲気や思い出が染み付いています。壁一面のフライヤーや写真、落書き…。そういう地球屋らしい雰囲気のある場所は守りつつ、一方で間口は広げていきたい。確実に、堅実に経営を継続していくための作戦をずっと練ってます」

「これから」を考えることが一番のご馳走

引き継いでからの苦労について尋ねると、「難しいと感じたことはまだない」と答えてくれた菊岡さん。

菊岡さん「僕は地球屋のことで早く苦労をしたいなと思ってるんです。何事も困難があるところに良くなるヒントとかきっかけがあると思うので。でも残念なことにコロナ禍なので休業の期間が多い。だから良くなるためのヒントをまだ手に入れられていないんです。

正直な気持ちとしては、まずは1ヶ月、休みなしでずっと営業したいです。普段通りの営業体制に戻ることを夢見つつ、お客さんに喜んでもらえるように何をしていくかを考えるのが今の楽しみですね。それかな、僕にとって、地球屋をやることの一番のご馳走は。働くことで得られるご馳走っていうのは何かっていうのを明確にしておくと頑張れるんです」

今後の地球屋について、菊岡さんは語ります。

菊岡さん「今の若い方だとか、これからくる常連さんに喜んでもらえるようなお店にしたいというのはずっと変わらないですね。最近の地球屋は、昔に比べて大人しくなったというか、マイルドになった感じがあるんですよ。周りとの差別化を図った尖ったお店が多くなってきたから、相対的に色が薄くなってる。

だからもうちょっと“今の地球屋”の色を出したいと思ってます。今の京都のいろんなお店がある中でも魅力でグッと惹きつけて、“地球屋はおもろいから行こう”って思ってもらいたい。自分でも“今の地球屋どや!”って思えるくらいに、光るお店にしていきたいです。」

多くの人の青春が詰まった地球屋は、今も進化を続けています。きっとこれからも、京都の夜の文化遺産としてあり続けると同時に、新たな魅力が詰まった居酒屋として、河原町のあの場所で私たちを待っていてくれるでしょう。

文:紡 もえ

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