福井県の銘菓に、けんけらと羽二重餅(はぶたえもち)があります。このふたつを主力商品にする老舗(しにせ)の和菓子製造・卸会社「恵比須堂(現・えびす堂)」を事業承継したのは、地元の障がい者就労支援会社でした。
今、工場は、元からの従業員と支援会社から来た障がい者らが、分け隔てなく働く場になっています。また、この成功には、承継後も続く、前オーナー社長の全面的な協力も見逃せません。
「障がい者が能力を発揮できる職場が欲しい」「従業員を見放すわけにはいかない」と事業承継をした、新旧2人のオーナー社長にお話をうかがいました。
福井県の郷土菓子「けんけら」とは
「けんけら」を作るのには、まず、粗びきした大豆に、白ゴマや水あめを加えます。これを加熱した後に短冊状に切り、軽くねじって、きな粉をまぶして完成です。封を切った途端にきな粉の香りが鼻をくすぐり、ほどよい甘さとしっかりとした歯ごたえがあって、福井県にとってなくてはならない銘菓です。
どのくらい大事にされているかは、福井県菓子工業組合に「けんけら部会」が設けられていることからもわかります。ほかの部会は「餅部会」「工芸菓子部会」などで、単一の種類の菓子が名前になっているものはありません。
福井県の銘菓といえば、「羽二重餅」もあります。「絹の羽二重のような舌触りの餅」から名前が付きました。
恵比須堂はこのふたつを主力商品にしていて、特にけんけらでは最大のシェアを持っています。これら恵比須堂の製品は、主要駅や空港、観光スポットなど、みやげ物のあるところでは、ほぼ確実に見つかります。
「廃業で従業員を放り出すわけにいかない」と、第三者による事業承継を選ぶ
会社は1917年創業で、福井城址の西約700メートルにあります。長く経営してきたのは、1950年生まれの中道直さんでした。先代とは血縁関係はなく、1983年に従業員から社長となり、会社自体も譲り受けました。従業員数は5人程度だったため、その後は経営・営業・商品開発に孤軍奮闘しました。
中道さん「けんけらと羽二重餅の2本柱があるとはいえ、これらだけではジリ貧になる危険性があります。そのため、常に新商品も試し、会社としての活気を保ってきました。しかし、60歳を超えたぐらいから、新商品が出せない状態が続いていました。気力や体力が衰えていたんです」
2人いる子どもや、従業員を後継者にすることは考えませんでした。
中道さん「身近なところに、経営までカバーできる人材はいませんでした。だからといって 、廃業するわけにもいきません。これまでお菓子作りばかりをしてきた従業員に『これからは、ほかのところで働いてくれ』とは言えませんよ」
2015年、地元の商工会議所に相談に行き、そこから福井県事業引継ぎ支援センター(現在名は、「福井県事業承継・引継ぎ支援センター」)を紹介されました。その名前からも分かるように、事業承継を扱う公的な機関です。ここに登録すると、同種の機関や銀行、税理士、中小企業診断士などの間で情報が共有されます。
2年後、ようやく障がい者就労支援会社が手を挙げる
登録はしたものの、すぐに反応があるわけではなく、「このまま時間ばかりがたつのか」と焦りも感じていた約2年後、ようやく承継候補が現れました。同じ福井市内にある、障がい者就労支援会社「ワークハウス」(本社、福井市長本町)です。
障がい者への就労継続支援事業には、会社と障がい者の間で雇用契約を結ぶA型と、結ばないB型があります。A型の場合の仕事内容は一般企業と変わりません。一方、B型は軽めの作業が主で、自分のペースで働くことができます。
ワークハウスは、このA型とB型の両方をカバーしており、電子部品の検品や商品の袋詰を行っていました。経営するのは嶋田祐介社長で、このとき33歳でした。
嶋田社長「障がい者に向いていることが特に多いのが、手作業です。車イスに座っていたり、片手しか動かせなかったりでも、健常者以上の仕事をする人も少なくありません。そういった人たちが活躍できる事業がないかと探していたときに、取引先の信用金庫から、恵比須堂を教えてもらいました」
地元の出身なので、もちろん、けんけらの味は知っていました。しかし、「今食べているのが、どこの製品か」はまったく気にしたことがなく、恵比須堂の存在もこのとき初めて知ったといいます。
嶋田社長は、ワークハウスで働いている障がい者の中から2人か3人選んで、一緒に恵比須堂を訪れました。
嶋田社長「そのうちの1人が口にした『ここでの仕事をしてみたい』が決め手になりました。精神障がいのある人でした。この種の障がい者の場合、ワークハウス内では問題なく働けるまでになっていても、場所が変わり、ほんの少し環境が変わるだけでも、振り出しに戻ってしまうこともありえます。このひとことで、『よし、いける』の判断ができました」
譲渡手続きは福井県事業引継ぎ支援センターが助言した
事業譲渡への本格的な交渉が始まったのが2018年3月で、約2カ月で正式に契約しました。1年やそこらかかるのが一般的とされる事業譲渡では異例の早さです。ただ、この交渉期間中にも、ワークハウスの従業員らが2、3人ずつ入れ替わりで恵比須堂で実際に働きました。その様子を見て、嶋田社長・中道さんとも、「大丈夫だ」との確信を深めていきました。
譲渡は、土地・建物、「のれん代」などの一切を含めて 約2,000万円で、福井県事業引継ぎ支援センターが助言しました。
嶋田社長「事前に『何円までならば出せる』などと計算していたわけではありません。ただ、金額を聞いて、『支払っていい額だ。これならば十分納得だ』と思いました」
中道さん「私が恵比須堂を譲ってもらったときが、33歳でした。嶋田社長は同じ33歳だったので縁を感じました。金額については、中立的な立場・公的な立場の方で、しかも専門家が示してくれた数字です。『ああ、そうか』と思った程度で、高いとも安いとも気になりませんでした」
中道さんにとって譲渡額より大事だったのは、「今いる従業員をそのまま雇用してもらう」でした。また、「商品の納入先、原料の仕入れ先など、今までお世話になってきた取引先は当面、継続してもらう」も気になるところです。嶋田社長は、これらの条件をすべて「当然のこと」として受け入れました。
前社長は顧問となり、新社長と商品開発に取り組む
契約までの早さ以外に、もうひとつ、第三者による事業譲渡としては珍しいことが起きています。前のオーナー社長だった中道さんの顧問就任です。
事業を手放した側は、その後はノータッチになるのが通常です。「ようやく、肩の荷を下ろした」といった気分になることを思えば、当然でしょう。
この顧問は決して名誉職ではなく、中道さんは今でも月に4、5回程度は、えびす堂に出勤します。もちろん、給与も支払われていて、月額10万円です。けんけらは、在庫が切れたときに、1日で作り上げるので、人手があったほうがいいのです。
また、新商品については多くが、「嶋田社長が案を出し、中道さんが実際の形にする」といった手順で進んでいます。そうやって、コーヒー味やキャラメル味のけんけらなども開発されました。
中道さん「古い和菓子屋の私にすると、『そんなのは無理ですよ。できても、お客さんが受け入れるかどうか』と思うときもあります。でも、嶋田社長の発想力があるからこそ、新商品もでてきます」
事業承継が起爆剤、グループ企業の規模は倍以上になった
承継後、「恵比須堂」は「えびす堂」と少しだけ名前を変えて、ワークハウスのグループ企業の一員となりました。また、ワークハウスはその後、地元野菜を使ったメニューが中心のレストラン「ベジテラス」も同じ福井市内に開店しました。ここのメニューには、えびす堂の和菓子を利用したパフェもあります。
嶋田社長「承継前の従業員はグループ全体で50人あまりでした。今は倍以上の130人ほどになっています。明らかに、えびす堂が加わったのが起爆剤になりました」
新型コロナもグループ企業の一員だから乗り切れた
逆風がなかったわけではありません。事業承継して間もなく、新型コロナウイルス感染症が流行し、人々は外出を控えました。観光地のみやげ物店が主な出荷先のえびす堂にも大打撃です。
中道さん「前のまま私が経営していたら、持ちこたえられなかったと思います」
嶋田社長「えびす堂は多角化したグループ企業の中の一員だったので、ダメージも軽減できました。また、『けんけらの工場を経営する』には、『福井県の伝統文化の継承者になる』の意味もあると思います。地元の人間としても、その伝統文化を絶やすわけにはいきません」
嶋田社長にとっては、まったくの畑違いから入った和菓子業界でした。しかし、前オーナー社長という心強い味方も得て、一説には400年の歴史のあるけんけらを、後世に残そうとしています。
文:柳本学