事業承継ストーリー

お客さんの「おいしい」の声で家業を承継。売上5億円を目指すフクハラファームの2代目

 琵琶湖のほとり、滋賀県彦根市の南部で農業を営む有限会社フクハラファーム。210ha(甲子園球場約52個分)の農地で、米を中心に、小麦やもち麦、キャベツなどを育てています。

2代目社長の福原悠平さんは5年前、創業者の父・昭一さんから事業を引き継ぎました。

もともとは家業に興味がなく、社長になるつもりはなかったという福原さん。なぜ、家業を承継したのでしょうか。承継の経緯や承継後の取り組み、今後の展望について伺いました。

休みなく働く父を見て、家業にいい印象を抱けなかった幼少期

さかのぼること、27年前。福原さんの父・昭一さんは、「今ある田園風景を守りたい」という想いから脱サラし、専業農家としてのスタートを切ります。今でこそ210haもの農地を抱えるフクハラファームですが、当時の栽培面積は2haでした。

創業時、小学生だった福原さんは、当時の家業への印象をこう振り返ります。

福原さん「父は休みなく働いていて、運動会などの行事に一切来なかったんですよ。遊びに連れて行ってもらった記憶もありません。

今では、そこまでして僕たち兄弟を育ててくれたことに感謝しています。それに、父一人で農業をしていたので、簡単に休みを取れる状況ではなかったことも理解しています。

でも当時は、家業に対していい印象を抱いてはいなかったですね」

家業に全く興味を持てなかった福原さんは、大学進学後、地元企業の飲食部門に就職しました。

社内でのポジションを作るために農業者大学校へ

社会人二年目の年に、リーマンショックが発生。会社の事業縮小を機に、福原さんは退職しました。次の仕事も決まっておらず、暇を持て余した福原さんは、父・昭一さんに「うちでアルバイトをさせてほしい」と頼みます。

家業でアルバイト。それが、家業に関わり始めたきっかけでした。その後福原さんは、茨城県の「農業者大学校」で二年間、農業経営について学びます。

福原さん「別に、『父の後を継ごう』という思いがあったわけでないんです。二人の弟がすでに家業に携わっていて、現場をメインで担当している。だから、会社で僕なりのポジションを作らないといかんな、と思いました」

農業者大学校を卒業した後、再び家業に戻りますが、気持ちは変わりませんでした。

福原さん「当時、妻との結婚を考えていて、『自分が家庭を持ったとき、父と同じ働き方はしたくない』と思ったんです。そもそも僕自身、社長になる能力があるとは思わなかった」

お客さんの「おいしいおいしい」という声で農業への姿勢が前向きに

そんな福原さんに、心境の変化が訪れます。父に連れられ、農家の集会や勉強会に参加するうちに、家業を客観的に見る機会が増えたのです。また、実際に農業に取り組んだり、お客さんと触れ合ったりするうちに、農業そのものに対して前向きなイメージを持つようになったと言います。

福原さん「百貨店の物産展に出店したとき、うちのお米を普段から買ってくださっているお客さんが『おいしいおいしい』と言ってくれたんです。それも、農業に対して前向きになれた、きっかけの一つでした」

「60歳になったら経営をバトンタッチしたい」という先代の希望のもと、2017年、福原さんは社長に就任します。

創業時2haだった農地は、このとき約180haへと拡大。JAの調査によると、50ha以上の面積は全国でも20%しかありません。この規模のメガファームを継ぐことに、不安はなかったのでしょうか。

福原さん「不安はもちろんありましたし、今でもありますよ。どこに行っても父の話を聞きますしね。『すごい親父だな』と思い知る機会が増え、プレッシャーを感じることもあります。

ただ、父が元気なうちに事業を引き継いだので、いつでも気軽に相談できます。その点は、ありがたいですね」

先代とは日々衝突。一方、”技術の見える化”には一丸となって取り組む

福原さんの社長就任に伴い、会長に就いた先代は、今も現役。福原さんと共に、農作業へと繰り出します。意見の食い違いで、福原さんと衝突することも多々あるそうです。

福原さん「肥料をあげるタイミングや、米の販売先など、細かい衝突が、毎日二つ三つありますよ。午前中言い合いをして、お昼を食べたら、お互い忘れているくらいのレベルですけどね」

一方で、技術の『見える化』については、長期的な課題と認識し、一丸となって取り組んできました。

福原さん「父は早くから、自分の経験や技術を『見える化』し、後の世代に伝えたいと考えてきました。

その一環として、作物の生育の様子や日々の農作業を動画で記録し、蓄積し続けています。どんな作業をして、どんな結果が得られたかがわかれば、改善できますから。

PDCAを回すために、データの蓄積は欠かせません」

スタッフの退職で関係構築のルールを決める

就任当初、スタッフとの関係構築に苦労したという福原さん。社長交代が原因で辞めていくスタッフを目の当たりにして、心を痛めたこともあるそうです。

スタッフと良い関係を築くために、福原さんが心に決めたルールとは?

福原さん「絶対に、命令口調にならないことです。

いくら僕が社長でも、スタッフが先輩であることに変わりはありません。そして彼らは、経歴が長い分仕事に対して誇りを持っています。後輩の僕が命令口調で指示すると、彼らの誇りを傷つけてしまいます。

だから仕事を頼むときは、『お願いしますね』と柔らかい口調で頼むようにしていますし、何かをやってもらったときは『ありがとう』と伝えるようにしていますね」

「案外、適所だったかもしれない」社長就任後に改善した課題

農業経験が豊富な父に、農作業が得意な弟。一方、「マネジメントや細かな作業が苦にはならない」福原さん。「社長職は案外、”適所”だったのかもしれない」と語ります。

社長就任後、大きく改善した点は二つ。一つ目は、在庫管理です。当初は、在庫がわからなくなることも多々あったようです。そこでExcelのような表計算ソフトを利用し、収穫時の在庫から出荷分を引くことで、在庫を明確にしました。

もう一つは、地権者の管理です。フクハラファームの農地は、ほとんどが借地。数百名の地権者の情報を把握していたのは会長のみで、福原さんやスタッフが地権者と連絡を取りづらい状態でした。そこで福原さんは、「地権者情報を棚卸し、台帳形式で整理していほしい」と会長に働きかけました。

また、父の働き方に対して複雑な想いを抱いてきた福原さんは、スタッフの働き方にも気を配ります。

福原さん「スタッフに、積極的に有給休暇を消化するように呼びかけています。休日はなるべく役員のみで業務を行いますし、休日出勤してくれたスタッフには代休を申請するよう促しています」

福原さん自身、作業を少し抜けさせてもらって、子供の行事に参加することもあるそうです。

農業は、思うようにいかないことが多い。だからこそ感じる「やりがい」

「僕が社長になってから、豊作だった年がない」と、悔しがる福原さん。台風に大雨、新型コロナウイルス。思いもよらぬ壁にぶつかりながらも、目標に向かって歩み続けます。

福原さん「まずは『売上5億』を達成したいです。社長になってから、ずっと目標としてきましたから。

目標に到達するには品目を増やす必要があるので、まず今年は、ネギの栽培を試験的に始めます。うちには機械設備がありますし、米の収穫後、春まで空いている農地がたくさんあるので、有効活用していきたいですね。」

同時に「財務管理にも力を入れたい」と福原さんは語ります。

福原さん「年間予算を立てて、それに沿って運営したいのですが、どうしても行き当たりばったりになってしまう。

昨年は、「ウンカ」という害虫が急に発生し、慌てて数百万円の農薬を取り寄せました。想定外の事態は避けられませんが、そういった点にも予算を当てられるよう財務を強化していきたいです。それが僕の一番の仕事だと思っています。」

農業は、生き物を相手にした仕事。「思うようにいかないことが多いからこそ、やりがいがある。『来年はもっといい年にしよう』と思える」と福原さんは語ります。

承継から5年。今日も福原さんは、スタッフや先代と共に農地へ繰り出します。

文:三間有紗

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