事業承継ストーリー

承継のきっかけは先代の急逝 会社の存続危機を救い、V字回復を成し遂げた“想い”とは

渋谷スクランブル交差点や渋谷センター街など、誰もが知る東京都渋谷区。ここ渋谷区の一角にある「株式会社ハステック」は、不動産のコンサルティング事業を担う会社として1987年にスタートしました。

現在、二代目として代表取締役社長を務めるのは、田島太郎さん。役員として誘われ入社したものの、わずか1か月で先代が心臓発作で他界。ある日突然に、他人の会社を承継することになったのです。しかし、蓋を開けてみると多額の借金があることが発覚します。それでも尚、先代の「もう一花咲かせたい」という気持ちを受け継ぐために走り続けた田島さんは、会社を大きくV字回復させました。

先代との出会い、すぐに意気投合した2人

田島さん「事業承継した株式会社ハステックは僕にとって2つ目の職場でした。新卒で務めた会社は不動産のベンチャー企業。その企業が株式上場しかけたころ、なぜか次のステップに行きたいと考え、退職を決めました。

その後、僕が退職をしたことを知った先輩が『紹介したい人がいる』と。それが、不動産事業を展開する株式会社ハステックの、当時の社長でした」

すぐに2人は意気投合し、わずか1ヶ月余りのあいだに多くの会話を重ねることとなります。株式会社ハステックは、先代によって一代で築かれた不動産業者。一時は事業が大きく伸びたときもありましたが、田島さんが先代と出会った頃は、社長を含めて3人で会社を回し、かなり事業を縮小していました。

田島さん「僕と先代は年齢が40近く離れていましたが、気に入ってもらえたんでしょうね。夕方になると、ほぼ毎日『飲まない?』と電話で誘われていました。回数を重ねるごとに、プライベートな話もしてもらえるようになって、先代が抱える持病の話や、そのことで事業を縮小した話などもしてもらいました。その会話の中で、先代の心の中には再び事業を回復させたい気持ちがあることもヒシヒシと伝わってきていましたね」

ほどなくして先代から「もう一度、一花咲かせたい」「若い力を貸してほしい」と頼まれた田島さん。退職して1ヶ月が経過しようとしていたころ、田島さんは先代の熱い想いに共感し、役員として入社することを決めました。

株式会社ハステックに役員として入社したが、すぐに先代が他界

田島さん「入社して1ヶ月がたった頃の2月末のとある夜。『社長が他界した』と連絡が届きました。会社帰りに突然の心臓発作が起き、そのまま逝ってしまわれたそうです。あまりにも急なことで、とにかく驚いたのを今でも覚えています」

先代との突然の別れに悲しむ田島さんでしたが、驚くべき事実が発覚しました。会社には多額の未納の税金があること、会社の通帳には残額がほとんどないことが明らかになったのです。

田島さん「このとき、会社を畳むという選択もありました。なんといっても他人の会社ですし、僕自身もまだ20代でした。働いてくれている人や先代のご家族も、会社は畳むだろうと思っていたでしょうね。

ただ『これも縁かな』と思い、継ぐことにしました。僕は社長に『もう一度、一花咲かせたいから、若い力を貸してほしい』と、言われて首を縦に振ったので、約束を守りたかったですし、もらったバトンを落とす訳にはいかないと感じましたね」

ふと思い出した先代の夢『分譲事業』、方向転換が功を奏しV字回復へ

事業承継を決めた田島さんの目の前に残るのは、多額の負債。多額の負債を返済するために、田島さんは死に物狂いに働き続けたといいます。その原動力となったのは、やはり先代との「もう一花咲かせる…」という約束。先代の言葉を思い出し、不安をかき分けて業種転換にも乗り出しました。

田島さん「ハステックに入社するまでは分譲事業を手掛けるベンチャー企業にいました。ハステックと同じ不動産でもやることが全く異なります。先代は、僕の話を聞きながら『私もいつか、分譲事業とかやりたいよ、それが夢だよ』と、語ってくれていたんです。

その言葉を思い出して、僕の過去の経験をもとにハステックでも分譲事業をスタートさせました。業種転換は勇気のいることでしたが、スタートさせてみると手ごたえがあったので、続けてアパート事業も展開。運が味方したのか努力が実ったのか、これを機に事業がぐんと伸びて多くの社員の方々を雇うことができるまでになりました。それだけでなく、子会社としていた分譲事業とアパート事業を売却するまでに至りました」

その後、株式会社ハステックでは渋谷を中心としたビルメンテナンス業として、企業の衛生管理・清掃事業を展開しさらに事業拡大していくこととなりました。

先代が他界後、多額の負債を背負い綱渡りのような事業承継した田島さんでしたが、わずか数年で事業をV字回復させたのです。先代と約束を、自身の真っすぐな行動力で叶えた田島さん。しかし、コロナ禍で再び厳しい現実がハステックを襲うこととなってしまいました。

コロナ禍で再び全てを失うものの、人の役に立ちたいと奮起し立ち上がる!

コロナ禍の猛威は、ハステックの経営にも影響を及ぼしました。

田島さん「2020年3月、ハステックの中心核となっていたビルメンテナンスのお客様全員が契約をストップすることになりました。そのときは『3月だけなら大丈夫だろう』程度に考えていたんですが、その後も緊急事態宣言が発令され回復しませんでした。正直なことを言うと、年間契約だったためにお代を頂くことは可能だったんですが、みんなが苦しい中で必要のないものまでいただくわけにはいかなかったのです」

コロナ禍によって、メンテナンス事業でこれまで積み上げてきたものがゼロになり、強い喪失感を味わったと話す田島さん。政府の緊急事態宣言を受け、あれだけ活気があった渋谷の街に人通りが無くなった様子をみて、ショックだったと振り返ります。そんな渋谷の街の静けさを見て、活気を取り戻したいと思った田島さんは「人の役に立とう」と、立ち上がりました。

田島さん「誰もが苦しい生活となったコロナ禍で、自分達のお客様であった飲食店の方々に『今、何に困っていますか』と、聞いて回りました。すると『店の消毒や衛生管理を任せたい』という声がとにかく多かったんですよ」

田島さんは、その期待に応えたいと飲食店の深夜閉店後における清掃・除菌業務を展開します。

田島さん「あの活気ある渋谷の街を、早く取り戻したい一心でした。飲食店や企業に、事業を再開して元気になってほしいと願っていましたね。そのために、僕たちハステックができることといえば、求められていることを負担のない価格設定で行い、街を活気づけるための後押しだと思いました。多くの人が喜んでくれたら嬉しいという思いだけで動いていました」

「人の役に立つ」と決めた田島さんを、周囲は見放しませんでした。認定された薬剤を使用し店内の消毒を行うサービスを展開したことで、官公庁や民間問わず、ハステックに声がかかるようになりました。それだけでなく、消毒を行ったお店から信頼され、新規に清掃の仕事を依頼されることが増えています。

IT開発で、コロナ禍以前の事業収益へ!

仕事依頼が増えたハステックでは、スタッフの負担を緩和しようと自社開発した管理アプリを導入をしました。

田島さん「これまで、アナログでやっていた仕事の管理をデジタル化しました。働いてくれる人たちも、業務の報告や確認をひとつずつ紙ベースでやるよりは、時代に合わせてスムーズに出来たほうがいいと思ったんです。そこで導入した管理アプリの活用によって、これまでの何倍も消毒作業をこなすことができ、コロナ禍以前の事業収益となっていきました」

今後も、自社ITプラットフォームを利用しながら「いつでも・どこでも・だれでも」働くことが出来る人的サービスを提供したいと話す田島さん。いずれは、サービス業のAmazonのような社会になっていきたいと語られています。多様なものをすぐに提供できるAmazonのように、多様なサービスを皆さんに提供できる企業を目指しているそうです。

事業承継だからこそ繋いでいきたい思いがある

ひとつの出会いから、事業承継という形を選んだ田島さん。当時20代の田島さんが引き受けるには重すぎる責任があり、今に至るまでには計り知れない苦労があったことでしょう。しかし、田島さんは事業承継をして良かったと言います。

田島さん「もしかすると、自分が創業した会社だったら何か大きな問題に直面したときに、逃げ出していたかもしれません。ただ、承継だからこそ、先代をはじめ多くの方々が紡いできたものを僕で途絶えさせるなんて出来ないですよね。それに僕のミッションは『一花咲かせること』でしたし、このバトンを次にも繋ぎたいです」

田島さんは、自分たちの仕事を「健康な体さえあれば出来る」と話しながらも「とても社会的価値のある仕事」だとも話されています。今後、全国展開も視野に入れている田島さんから目が離せません!

文:瀬島早織

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