冬は暖かく、夏は涼しい千葉県銚子市の沿岸部に広がる12000坪の畑は、坂尾家が12代に渡って育ててきました。昭和28年に始まった坂尾家の農場で作られる野菜たちは、潮風に含まれる豊富なミネラルのおかげで甘いのが特徴で、キャベツとトウモロコシを中心に生産と販売をされています。
今では「へねりーふぁーむ」として、イベントの企画や「農」を起点とした様々な取り組みをされている12代目の坂尾英彦さん。実は農家になることに抵抗して、しばらくの間は音楽の道を志していたそう。
東京での生活と並行して家業を手伝う中で、農業にはさまざまな可能性があることに次第に気付いていきます。一度は抵抗していた家業をなぜ継ぐことにしたのか、その経緯や想いについて話をお聞きしました。
18歳で就農するも退屈な日々。DJになるために東京へ
坂尾さん「高校を卒業してすぐに家業を手伝い始めました。ただ、その頃は農作物を育てて仲買人に卸すという機械的な流れに楽しみを見いだせず、2年ほど経つとDJになるという夢を追いかけるために上京したいと思い始めました。といっても否定されることは目に見えていたので、アルバイトでお金を貯めて、東京でも自分ひとりで生きていけるように準備していました」
予想通り先代は、坂尾さんの上京に否定的でした。しかし最終的に、忙しい時期だけは家業を手伝うという条件で東京へいくことに。意気揚々と東京での暮らしを始めた坂尾さんですが、DJとして生活していくのは難しかったといいます。
坂尾さん「レコードをたくさん買う必要があったので日中はアルバイト、夜にはDJという生活を繰り返してました。そんな時にふと、『アメリカに行けばもっと安い値段でレコードが手に入るのでは?』と思いつきました。
お金を貯めてアメリカのニューヨークに行ってみると想像以上に安く購入できたので、たくさん買い付けて日本で販売することにしました。この時、ヒップホップの本場アメリカでは、東海岸や西海岸の強い地元意識がヒップホップの音楽にも現れていることを身を持って感じて、自分も地元でヒップホップをやりたいと思って銚子に戻ることにしたんです」
銚子にUターン。事業の伸び悩みを打破してくれたのは家業だった
銚子に戻ってすぐにレコード屋を始め、農業との兼業をはじめた坂尾さん。そして6年後、28歳の時に奥さんと結婚し、アメリカでレコードの買い付けついでに子供服も買い付けられるため、子ども服の販売も始めたそうです。
坂尾さん「子供服は売上好調でした。月日がたつとインターネットでの売買が活発になっていき、店頭に足を運ぶ人が少なくなったので、店舗を畳んでインターネット販売に特化していきました」
受注生産で子ども服のブランドをセレクトした福袋を販売し、売れ行きは好調でした。しかし、経費を考えると手元に残る利益のは少なかったそうです。オリジナル商品を開発・販売すれば利益率は良くなりますが、在庫を抱えるリスクがあるため悩んでいたところ、実家の野菜を思い出しました。
もともと周りからおいしいと評判だったという坂尾家の野菜。農作物は土地や栽培方法の違いが個性になるため、オリジナル商品と言えるのではないかと坂尾さんは考えました。そして2015年、子ども服のECサイトやレコードショップをすべて閉めて、本格的に農業の道へと方向転換をしたのです。
坂尾さん「高い年商を目指したり競争するのではなくて、オンリーワンの商品を作って売りたかったんです。もちろん葛藤はありましたが農業は可能性を秘めていて面白いという確信もあって、続けていけば必ず成功する自信がありましたね」
そこで、坂尾さんが一番最初に始めたのは農業体験でした。農作物そのものの出来や収穫のタイミングにより売り物にならない商品がでてきてしまうのがもったいないと考えていたため、食品ロスを減らすためにも農業体験はぴったりだったと言います。
坂尾さん「例えば、とうもろこしは1本に3個の実をつけるので、1本目は出荷して2本目を体験用、そして3本目はヤングコーンとして販売しています。体験者には楽しんでもらえて、さらに食品ロスも減らすことができます。近所の幼稚園のお母さんたちや希望者を募るところから始めて評判がとてもよかったので、事業を拡大していきました」
農業のイメージ改革に先代は大反対!小売業者としてリスタートすることに
農業体験を続ける中で、坂尾さんは天候や需要によって値段が上下する農作物をブランディングしていこうと考えます。そうして生まれたのが「アフロきゃべつ」でした。
坂尾さん「自分の髪型がアフロだったのでアフロきゃべつという名前にしましたが、名前をつけた理由の裏には、『大変』『汚い』『辛い』という農家のマイナスなイメージを変えたいという思いがありました。『アフロきゃべつって何?』と食いついた人がキャベツを通して農業の面白さを知ってくれればいいなと」
アフロきゃべつを商標登録し、「へねりーふぁーむ」という名前を畑につけることで、より自分たちが作っているキャベツに価値を見出したいと考えた坂尾さん。一方で、先代である両親はそのやり方に全否定でした。
坂尾さん「今まで通りにやれというのが親の考え方でした。道の駅に農作物を販売しに行く時も、『お前がいないから作業が進まない』と文句を言われるのは日常茶飯事。終いには『うちで作った野菜を勝手に持っていって売るな!』と言われることもありました」
親と折り合いをつけるために、自分が小売業として野菜を買い取る形にした坂尾さんは、生産者兼仲卸として活動を始めます。
先代の考えを変えてくれたのは農場に来てくれたお客さんだった
先代に認められなくとも、なんとか工夫してやりたい方向に進んでいった坂尾さんですが、徐々に先代の気持ちに変化が現れました。
坂尾さん「自分がやっていることを徐々に先代が分かってくれたのは、農業体験にきてくれた人たちのおかげです。体験で来る人たちが先代とコミュニケーションをとったり、手伝ってくれたことで、『体験の人たちがくる分の種を取っておこうか』と気にしてくれるようになりました」
農業体験を通しておいしい農作物を育てることの大変さを経験した人の中には、感謝の気持ちを先代に伝えてくれた人も。今まで直接出会うことのなかったお客さんたちとコミュニケーションをとれたことで、先代は坂尾さんがやっていることを徐々に認めるようになったそうです。
坂尾さん「お前が後継者なんだからお前がやれと言われていましたが、今では『農作業はバイトの人に頼むこともできるから、お前は自分がやるべきことをやれ』と言ってくれるようになりました。自分が畑に行けない時はアルバイトを入れるなど、臨機応変に動いてくれるようになりました」
キャベツから広がる可能性は無限大。銚子に人を呼び込むために
農業体験から始まり、今では加工品づくりや農泊まで事業を広げる坂尾さん。それらはすべて農作物や農業そのもの、そして銚子を知ってもらうために行っているそうです。
坂尾さん「おいしい農作物を通して農業を知ってもらう。そのために畑にきてもらう。そして銚子も知ってもらう。ただ単に物を作っているだけではなく、地域にも良いサイクルをもたらせればと思っています。
農業体験に来た人が銚子に宿泊できるように、2019年には古民家を買って改装して、宿をオープンしました。貸切営業のレストランも併設していて、地元の食材や野菜を使ったコース料理を出すことで銚子の食材を味わうことができます。畑でヨガイベントをやったりウェディングフォトを撮ったりと、農業や畑を軸に銚子の良さを知ってもらう仕組みづくりのために周辺の農家とも協力しています」
割れてしまって規格外になったキャベツを活用するために、餃子を企画し販売も開始。今では年間を通じて販売することで収益の1つの柱になっているそうです。
「農業はかっこいい」を発信。地域をリードして次の世代を作り出す。
農作物の販売から民泊、餃子販売に事業を拡大したことで、2020年のへむりーふぁーむの売上は過去最高だったそう。
坂尾さん「こうやって売上が出せているのも、先代とうまく協力しながらおいしい野菜を育て続けることができているからです。
農業体験をしたり加工品を作ったりと、農家として前向きに事業を運営していく人が徐々に増えています。このような輪を広げて、農業ってかっこいいと思ってくれる人を増やしていきたいですね。一次産業に体験を加えることでグリーン・ツーリズムを推し進めていく予定です」
今後は生産者たちに、自分たちが作っているものには価値があることを伝えていきたいという坂尾さん。先代と協力しあい、自分だけではなく地域を盛り上げる農家として活動を続ける坂尾さんの野菜が、銚子から全国、そして世界へと羽ばたいていくことを期待しています。
文・Fujico