新潟県といえば、全国に知られた米どころ。生産量の多さはもとより、そのおいしさでも高い評価を得ています。新潟市のお隣、五泉市にある「ヒカリ食品」は、そんな新潟県産のコシヒカリを100%使用したおかゆや煮豆などの製造販売を手がけるメーカーです。商品は首都圏や関西の高級スーパーなどで販売され、リピーターを増やしています。
代表を務めるのは、前社長より第三者承継で事業を引き継いだ中山大さん。なんと、元プロ野球選手という経歴の持ち主です。長年、スポーツの世界で活躍してきた中山さんがなぜ食品メーカーの社長になったのか、話を聞きました。
独自の製法で作るおかゆに勝機あり
中山さんが「ヒカリ食品」を事業承継したのは2020年。きっかけは、高齢となった前社長がM&A先を探していると人づてに聞いたことでした。もともとイベント業などを手がける会社で働いていた中山さんでしたが、かねてからメーカーを経営してみたいと思っていたことと、「新潟にいる以上はお米に携わりたい」という思いがありました。
会社員でありながら、個人で株式を取得。資金はいずれ起業するときのため、学生時代より貯蓄感覚で運用していた金取引の利益を活用しました。
中山さん「ヒカリ食品は前社長が立ち上げた創業34年の会社です。ゼロから1を作り出しながら売り上げを作るのはリスクが高いですが、すでに1あるものをどう売っていくかには自信があったので、ぜひトライしてみたいと思いました」
先代の希望通り、働いていたスタッフごと事業を譲り受けた中山さん。独自の製法は守りながら、お米の産地など品質にこだわりブランド力を高めています。また、パッケージデザインをより親しみやすくおしゃれに変更し、ギフトセットも新たに考案。近くに取り扱い店のない人にも味わってもらえるようECサイトでの販売も開始しました。事業譲渡以前から徹底的に課題を洗い出し、戦略を立ててきたことで戸惑うことなく経営に向き合えたと言います。折しもコロナ禍で、おかゆの需要も増加。自宅療養の際に食べておいしかったから備蓄したいという声に押され、今では年間100万個以上を出荷するなど業績を伸ばしています。
プロ野球選手と経営者の意外な共通点
そんな中山さんですが、サラリーマンになる前は独立リーグで活躍するプロ野球選手でした。小学生の頃から野球漬けの毎日を送り、社会人チームを経て「新潟アルビレックスBC」に入団。当初はスタッフ採用でしたが、選手の才能を見込まれ2008年より2年間、ピッチャーとしてマウンドに立ちました。その後は投手コーチに任命され選手の育成に励み、移籍した「富山GRNサンダーバーズ」では球団代表補佐も経験。自らがプレイするだけでなく、営業や広報、経営とあらゆる業務に携わったことが、実業家としての今に生きています。
中山さん「私は才能に恵まれていたタイプではないので、とにかくどうしたら勝てるか、そのために何をするかを常に考えていました。会社経営も根本は一緒。売り上げをどう上げるかと、チームをどう勝利に導くかは、実は同じ課題なんです」
独立リーグ時代には、現東京ヤクルトスワローズの高津臣吾監督や、現役時代に”超二流”と呼ばれた橋上秀樹さんら、第一線で活躍した野球人の背中を間近で見られたことも大きかったそう。
中山さん「ふたりとも自分が活躍できるために考え続けたタイプの選手だからこそ、吸収するものは多くありました。人よりも深く物事を考える癖がついていたから、新しいことにも飛び込めたのかもしれません。大変だったと思ったことは、実はあんまりないんです。自分を追い込むことができるのも野球をやっててよかったなと思うところですね」
人生の半分以上を野球に捧げ、ストイックに練習を重ねてきたことから「どんな大変さも成長につながる」と実感していると言います。
おかゆを療養食から「日常食」に
事業承継をして今年で2期目。中山さん自身が商談などで全国を飛び回る毎日を送るなか、会社を預かるのは全員女性のスタッフたち。やりたいことや変えたいことも積極的にアイデアを出してくれるそうで、いいチームワークが生まれていることが伝わります。
中山さん「当たり前ですが従業員あっての会社ですから。極論私がいなくてもいいんです(笑)。その分、やってくれたことに対しては精一杯還元したいし、感謝を伝えるようにしていますね。実は今度、社員全員で研修に行くんですよ。商品が実際に売られている都内のスーパーを見学して、今後の売り方をみんなで考えたいなと思って」
「みんなでアイデアを出し、みんなで作っていく。そうしたら強いチームになる」と生き生きと話す中山さん。まるで“全員野球”のようなその経営姿勢もスポーツの世界で培ったものかもしれません。
これから事業承継を考える人に伝えたいことを尋ねると、「覚悟を決めてほしい」という答えが返ってきました。
中山さん「やはり最後は自分で責任が取れるかどうか。実は私も最初はちょっとフワフワしていて、前社長の『頼むね!』という思いに対し、素直に受け止められない部分があったんです。ですが、スタッフに給料を出すタイミングで『彼女たちにお金を支払わない選択肢はない』と心が決まり、営業にも熱が入るようになりました」
しかも中山さん、現在はヒカリ食品の経営に加え、スポーツジムや金属加工会社、納豆工場など、計5つの企業やサービスの代表を務めており、そのすべてが事業承継したもの。
中山さん「イチから起業する人は当然すごいと思いますが、後継者不在で困っているところがあるなら、力になりたい。しっかりしたスキームがあり自走する力があるところなら、比較的経営しやすいと言えます」
今後の中山さんの目標は「おかゆを日常食にすること」。体調が悪い時の療養食のイメージを払拭し、新たな価値観を根付かせたいと考えています。実際におかゆは消化がよく水分も取れるため朝食やダイエットの食事にもぴったり。また、最近では「災害時に強いストレスを受けた方に食べ慣れたものを」という思いから災害備蓄用のニーズもあり、自治体や企業から注文が相次ぐようになりました。「いずれは海外への販路も拡大し、世界中に地元・新潟のお米を広めていきたい」と力を込めます。
そしてもうひとつ、中山さんが担う大事な役割があります。それはプロスポーツ選手のセカンドキャリアの道しるべになることです。
中山さん「プロ選手がいざ引退した後に何をしていいかわからなくなってしまうケースは多々あります。これまでスポーツに打ち込んできた人がいきなりサラリーマンは難しいですよね。そういうときに、後継者不在の会社を引き継いで経営していくという道もあるよと示してあげたいんです。今後はキャリアに悩む若手のサポートもできたらいいですね」
「それが自分の仕事の意義」と力強く語る中山さん。熱いスポーツマンシップは、会社経営の場へとフィールドを変えてもしっかりと息づいていました。
文・渡部あきこ