神々が宿るまち高千穂町にある自家製漬物・加工品の店「ひやくしようや」。着色料や保存料は使用せず、素材もできる限り宮崎県産、しかも自分たちで収穫したものを使用。安心安全で素朴な味わいが人気のお店です。近年はオリジナル特製だれが全国放送の人気番組で紹介され、その勢いはますます加速しています。
先代が体調を崩し、後継者がおらず事業継続が危ぶまれたひやくしようやでしたが、2020年1月、新しい経営者にバトンが渡されました。継いだのは2人の地域おこし協力隊員。まさに今、事業を伝承すべく奮闘中の皆さんにお話を伺いました。
「飛躍しようや」×「百姓屋」=「ひやくしようや」
2000年からひやくしようやを営んでいたのは、奈須國生さんとカズ子さんご夫婦。「ひやくしようや」は「飛躍しようや」と「百姓屋」をかけた造語で、元JA職員の國生さんが考えました。
國生さん「JAに勤めていた頃、55歳で定年になったら何かしら農業に関する店を開きたいと思っていて、何をするかよりも“ひやくしようや”という名前だけ先に決めていました。思い入れがある名前を一緒に受け継いでくれて嬉しいです」
カズ子さん「主人が退職する前からものづくりが好きだったんです。電気のメーター検診の仕事をしていた頃、家を回るとお野菜をいっぱい頂いていました。それをちょっと工夫して漬物を作って、次に行くときにお客さんに持って行ったら美味しいってすごく喜ばれて。はじめは配る分だけ友達と二人で作っていたんですけど、作り置く場所がなくなってきたので退職金で小屋を作って、というのが始まりでした」
▲高千穂の小高い丘の上にたたずむ「ひやくしようや」
こうしてスタートしたひやくしようや。東京や大阪、福岡などの大都市に売り込みに行ったりしながら販路を開拓し、徐々に軌道に乗せていきました。ところが、近年になり國生さんの腰の具合が悪化。漬物石など重いものを扱う業務が困難になり、承継を決意しました。
食品加工業で跡継ぎを探している会社を探していた
一方、ひやくしようやを引き継いだのは、宮崎で地域おこし協力隊として活躍していた曽根啓明さんと大内康勢さん。2人も2017年に宮崎にIターンし、曽根さんは延岡、大内さんは都城で活動をしていました(※大内さんは現在も任期中)。
曽根さん「協力隊の業務の一環で、道の駅の販促支援をしていました。レジに立ったり商品の棚卸、陳列などを行うなかで、地元の方たちが作ったお惣菜がばんばん売れていく様を目の当たりにし、自分もそういう商品を売りたい、開発したいっていう気持ちが芽生えてきたんです。もし食品の加工業で跡継ぎを探している会社があったらいなと、事業引継ぎ支援センターに登録をしました」
こうして運命的に出会った両者。初めての面談で互いに快諾、約半年で承継にいたりました。2人で新しい会社を立ち上げ、大内さんが主に営業を、曽根さんが実務を担当。現在はカズ子さんがお店に残り、曽根さんが製造法や販路引き継ぎなどの実務を学んでいます。
曽根さん「個人的に漬物は好きだったのですごく好印象でしたし、高千穂という場所も魅力的。冷静に漬物のもつ商品力を考えたときにインバウンドにももってこい、日本を代表する伝統食、保存食ということで、考えれば考えるほどやってみたいと思いました」
スマートにいこうと思ったけど、泥臭さが必要だった
カズ子さんから熱烈指導を受けている曽根さん。レシピをはじめ、数字にはできないひやくしようやのスピリットも習得中です。
曽根さん「はじめは顔を合わせたら怒られてましたよ(笑)。最初はね、スマートにいこうって思っていましたけど、泥臭くいかないと無理でしたね。思い切って飛び込んで聞いていかないと前に進めない時もありました。
あと、レシピの伝授はもちろんですが、事業として数字を把握しコントロールしていかなあかんので。大内さんが担当ですがそこが一番大変でしたね。レシピは師匠の熱意があるので、ついていけばなんとかなるっていうのがあるんですけど、会社として生き残っていくというのが一番大変かなって思います」
手間暇かけるからこそ、安心安全な商品ができる
ひやくしようやの素材は、なるべく自分たちで収穫したものを使用しています。それはひやくしようやの最大の魅力であると同時に、作り手にとっては手間と時間、繊細さを必要とする作業でもあります。
曽根さん「例えば梅のカリカリ漬けは、梅の収穫から行い手作業で1つ1つ切れ目を入れていきます。しその葉っぱをちぎる作業は労力いりますよ。牛蒡を洗うのも山椒の実をちぎるのも、しょうがの皮をむくのも大変です!
▲人気商品「梅のカリカリ漬け」
ワラビなどは自分たちで山に取りに行くんですよ。ある程度想像はしてたんですけども、製造過程は想像をはるかに超える世界でしたね。素材の選び方1つにもやっぱり経験がいりますね。衛生管理や品質管理なども、思っていた以上に繊細でした」
カズ子さん「初めて山に入ったとき、曽根さんの飲み物の量見てびっくりしました。2ℓの麦茶を持ってきてるんですよ。私たちは慣れてるからちょこっとしか500ミリので(笑)」
「そんなこと思ったんですか!?」と関西弁でツッコむ曽根さん。軽快なやりとりはまるでずっと昔からの知り合いのよう。カズ子さんは「曽根さんは息子のようだ」と目を細めます。
すでに認められている品質に、自分たちの味を重ねていく
順風満帆に思えた承継でしたが、想定外の事態にも見舞われました。承継した矢先に起こった新型コロナウイルス肺炎の流行により、これまで当たり前のように行っていた店頭販売や朝市出荷、出張販売などができなくなったのです。そんな中でも曽根さんは前向きに未来を見据えています。
曽根さん「主軸である観光客が訪れないというのは緊急事態でした。でも出荷の圧迫がない分、味や技術の習得に集中できるというメリットはありました。覚えることが山のようにありますから、悲観はしていません。
コロナウイルスが収束したらもっと県内外のイベントに積極的に出ていきたいです。製造体制や仕入れルートの開拓、雇用、SNSなど挑戦したいこともたくさんあります。お二人が築いてきた味やブランドを、さらに高められるよう頑張りたいです。
▲これまで作ってきた漬物のラベルの数々
事業承継のいいところは、既に実績のある品質があるいうこと。高千穂というブランドの冠があり、売れている=認められている商品がある。そこにプラスアルファで自分たちだからこそできることを重ね事業を拡大していく。それは非常に幸せとやりがいを感じています」
漬物を通して高千穂の魅力を全国に届ける
國生さん「これまで、ひやくしようやだけではなく高千穂全体の盛り上がりや知名度アップを願って店を続けてきました。これからも高千穂産のものをふんだんに使って、漬物を通して高千穂のイメージを全国に広めていってほしいと思います」
カズ子さん「早くコロナが収束して、曽根さんにはどんどん表に出ていってほしいです。今年いっぱいは留守は私が守りますし、後方支援もいくらでもします。曽根さんがきてくれて安心というか、肩の荷がやっと下りた感じですね」
最後に思わぬ課題も…!
カズ子さん「従業員と喋っていておもしろい話をしていても、全然ノッてこないんですよ。なんでだろうと思っていたら、高千穂弁が分からなくて、地元民同士で話していると何を言っているか分からないそうなんです!」
曽根さん「地域おこし協力隊はIターン者の集まりでみんな標準語なので・・!本当に全く分からなかったですね。最近は半分くらい理解できるようになりました(笑)」
漬物も方言もマスターして、ひやくしようやと皆さんのますますの「飛躍」に期待です!