福井県福井市、福井大学の目の前にある理髪店「H&M’s」。店内は昭和レトロな雰囲気漂う昔ながらの床屋さんですが、このお店がオープンしたのはつい3年ほど前。それまで三代に渡って営業されてきた「小嶋理髪店」を居抜きという形で引き継がれました。
閉店予定の理髪店を「居抜き」し、自分のお店をオープン
三寺さんは、福井出身福井育ち。福井県理容美容専門学校を卒業後、福井市内にある理容室で10年ほど勤務されていました。「いつかは自分の店を持ちたい」という夢はあったものの、開業資金のことを考えるとなかなか踏み切れずにいました。そんな中、福大前西福井駅にある「小嶋理髪店」のオーナーが店を畳むかもしれないという話を耳にします。
三寺さん「オーナーはご高齢のため、病気で休みがちになっていると聞きました。息子さんも理容師をされていますが、事業承継はせず、そのまま店を閉めようとされていました。その話を聞いた時、『これはチャンスかも』と思ったんです。というのも、美容院は椅子やシャンプー台など初期投資にかなりお金がかかります。例えばこのお店を居抜きで貸してもらえれば、低リスクで自分のお店を持てますよね。そこで早速、居抜きで貸してもらえるか打診することにしました」
前オーナーは快く承諾してくれました。せっかく自分の店を出すのだから、とお店の名前を「H&M’s」に変更し三寺さんは理髪店の新たなオーナーとなったのです。本来、新しいお店を出すとなると数百万円以上かかってしまいますが、理容室オープンの大きな障壁となる機材はほとんど流用できたため、オープンまでにかかった費用は数十万円程度。まだ小さな子どもがいるということもあり、家族も安心してくれました。
名前もオーナーも変わったのに、変わらず来てくれるお客さんがいる
三寺さん「オープンして一番びっくりしたことは、オーナーも屋号も変わってしまったのに、前の店に通っていたお客さんの大半がそのまま通い続けてくれたことです。ほとんどはご高齢のおじいちゃん達ですが、『なんか店の名前変わってる』『若いお兄ちゃんがやってくれるんだね』という程度で全然驚いていないことにこちらが驚きましたね(笑)。
この地域に限った話ではありませんが、やはり年齢を重ねるごとに行動範囲は狭くなり、行きつけの病院や理容室は固定されていきます。実際前の店から来られているおじいちゃんのほとんどが、この店でしか髪を切ったことがないという方ばかり。『続けてくれてありがとう』と喜んでいただけたのは嬉しかったです」
H&M’sはオープン後、三寺さんがもともと勤務していたお店の既存のお客さんを中心に、大学前ということもあり若いお客さんの来店も増えました。しかし、そんな矢先に新型コロナウイルスが流行。理容室も「不要不急」とされ客足は一気に減ってしまったのです。
未曾有の危機でも、お客さんたちは待っていてくれた
三寺さん「福井県で初の新型コロナウイルス感染者が出た2020年春頃は、この先どうなるのか本当に不安でした。この辺りは駅前で目の前に大学もあるのですが、いっときは町に人が全然おらず、シーンと静まり返っていました。『このままお客さんが戻ってこないんじゃないか』『もっと便利で早い散髪屋さんに乗り換えたのではないか』などと悩んでは、悶々とした日々を送っていましたね」
しかしゴールデンウィークを過ぎると客足は少しずつ戻り始めました。久しぶりに来店し、髪がいつもより伸びているお客さんを見て、三寺さんはホッと一安心。これまで散髪を自粛していたお客さんが一気に来店したため、6月はいつもより忙しくなりました。
三寺さん「どのお客さんも『いつ散髪に行こう』と悩まれていたようです。これまで、特にご高齢のおじいちゃんは予約なしでふらっと来ることも多かったのですが、店内が密にならないようにと事前に予約してくれる人も増えました。どのお客さんも安心して来店できる日を待ってくれていたんだな、と気づいた瞬間でした。
新型コロナウイルスの影響で理美容業界も大打撃を受けていますが、うちのお店はありがたいことに既存顧客がほとんどのため、ダメージを最小限に抑えられました。本当にお客さんのありがたみを感じましたし、お客さんにとってもH&M’sは必要な存在なんだと改めて感じました」
町の理髪店は、地域にとって欠かせない存在
最近では大型ショッピングモールや駅ビルなどを中心に1000円カットのようなお店も増えていますが、それでも町の散髪屋さんは地域になくてはならない存在だと三寺さんは話されます。
三寺さん「最近は過疎化が進み、一人暮らしの高齢者も増えています。そんな人たちにとって、理容室はただ髪を切るだけの場所ではなく、大切なコミュニケーションの場。わざわざいつ散髪しようかと楽しみにしてくれているおじいちゃんもたくさんいます。
しかし、理容室はなり手の減少によって年々数が減っており、業界では絶滅危惧種並みとも言われているのです。もちろん、大型ショッピングモールに行けばリーズナブルで手軽な散髪屋さんはたくさんありますが、田舎であればそこまでの移動手段がない人もたくさんいます。『町の理容室』は、私たち理容師が守っていかなくてはいけません」
人口減少に伴い理容室が減少することは不可避ですが、「いつか自分のお店を持ちたい」と考える理容師が事業承継を行うことで少しでも店を守ることにつながります。しかし、理容室は家族経営で行われることが非常に多い業種のため、自宅の中に店舗があるなど事業継承に向かないという側面もあり、課題は山積みです。
開業費用はほとんどなし!理髪店の事業承継はいかが?
三寺さん「居抜きは事業承継ほどリスクなく、少ない経費で店をスタートできますし、場合によっては顧客もそのまま引き継げます。特に田舎であれば高齢で引退を考えている人も多いので、そういったチャンスは多いにあると思いますね」
現在は、赤ちゃんへのカットサービス「赤ちゃんの筆」などを通し0歳から100歳までと幅広いお客さんの髪を切っている三寺さん。自分自身の夢はもちろんのこと、地域に住む人のためにもこの店を残していきたいと話されます。
三寺さん「当然ですが、店を残すためには資金が必要です。この店を守り続けるために、これからもいろんなチャレンジをしていきたいですね。現状維持は退化と同じですから、常に向上心を持って仕事に取り組んでいきたいです。最近は福井県理容協同組合の講師はじめ、資格取得や組合とのつながりにも力を入れています。理容室の事業承継の素晴らしさをもっと広めていきたいと考えているからです。
実際私は居抜きという形で事業承継をして本当に良かったと思っていますし、自分の仕事が地域貢献につながっているというやりがいも感じています。『地元で仕事をしたい』『自分の店を持ちたい』という夢のある人にはぜひ居抜きでの事業承継を検討して欲しいです」
取材中、ふらっと立ち寄るお客さんに『今から取材やから1時間後に来て〜』と話されていた三寺さん。地域の人から必要とされ、愛されているお店なのだと感じる一コマでした。自分のお店は持ちたいけれど、リスクはできるだけ抑えない、そんな人にとって「居抜き」は最適な選択肢かもしれません。
文:佐原有紀