沖縄県那覇市にある外間(ほかま)製菓所の3代目、外間有里(ゆり)さんは、2019年、28歳のときに事業承継しました。
外間製菓所は1953年創業。第一牧志公設市場(現在は整備のため仮設市場に一時移転中、2022年3月に元の場所に戻る)へ続く、約150mのアーケード商店街「市場本通り」の一角にあります。
この通りは、菓子屋やもち屋が多く軒を連ねていることから「お菓子通り」と呼ばれていたこともあったとか。
変わりゆく時代の中で、有里さんが事業を承継した背景には、「家業を再生させたい」という思いとともに、「沖縄の文化を伝えていきたい」、そして「商店街を元気にしたい」という思いがありました。
郷土菓子の市場が縮小、父の代で廃業も考えていた
外間製菓所は、琉球王朝時代から受け継がれる琉球銘菓や、年中行事および冠婚葬祭、仏壇のお供え物に必要な郷土菓子などを手作りで製造・販売しています。
旧正月のお供えに欠かせない色鮮やかな粉菓子「コーグヮーシ」は250円〜、旧暦5月4日のユッカヌヒーにいただくクレープを巻いたような「ちんぴん」は5本で500円。
リーズナブルな価格で「まちぐゎー(商店街)のお菓子屋さん」として地元の人々の愛されてきました。
製造を担っている創業者の清功さんは現在80代、2代目の父・清主さんは60代。三姉妹の長女・有里さんはもともと家業を継ぐ気はなかったと言います。
有里さん「父も『継がせたい』というつもりはなく、自分が営業できるまで営業して廃業するつもりだったようです。顧客が高齢化し、若い世代はお菓子を供える伝統行事に参加していても、『自分たちではできない、やり方がわかない』という人が増えてきました。
そのため郷土菓子の需要は徐々に下がり、近年は祖父の代と比べて6割くらい。ビジネスの規模としても続けていくことは難しい状況でした」
有里さんは琉球大学を卒業後、地元のブライダル企業に1年半ほど勤務し、その後、東京にある事業構想大学院大学に進学。2年間、起業や経営について学ぶ中で、家業を承継したいという思いが強くなったそうです。
有里さん「初めて沖縄の外で暮らして県外の方々と交流しているなかで、沖縄の文化や自分のバックグラウンドに興味を持っていただく機会がありました。そうした経験を通じ、『次の代としてつないでいきたい』と考え、承継を決意しました」
そもそも東京の大学院に進学したのも、「沖縄の雇用環境を改善するための人材育成会社を起業する」という地域社会へ貢献、沖縄への思いから。
沖縄は、独自の生活文化がまだ根付いている地域。子どもたちは夏になるとエイサー(伝統芸能)を踊り、授業でやちむん(焼き物)を作ります。そのための窯を設置している小学校もあるそうです。郷土文化に小さいころから親しむことで、沖縄への愛着が育まれているのかもしれません。
国立社会保障・人口問題研究所の「人口移動調査」(2016年)によると、沖縄県から県外に移動した人のうち再び沖縄県に戻ったUターン者は70.9%(全国平均43.7%)と群を抜いて高い数値となっています。
体験教室やオンラインショップの開設など新たな事業を展開
有里さんが事業承継することについては、清功さんも清主さんもすんなりと認めてくれたそうです。
有里さん「大学院で自分のやりたいことをブラッシュアップしていたので、両親、祖父に自信を持って説明できたと思っています。ありがたいことに私がやりたいことを尊重してくれる家族なので、衝突も不安もなく承継できました」
有里さんの「やりたいこと」というのは、事業のリブランディング。郷土菓子のマーケット自体が縮小している時代、製造販売以外の収入源の確保が必要と考え、店舗を改装してイートインスペースを設置。
「手作りちんすこう体験教室」を企画し、若者や子どもたちに向けて郷土菓子の興味を喚起する活動を始めました。
商品開発においては、ブランド名を子どもにも親しみやすいよう「ほかませいか」と平仮名に改めてロゴを刷新。また、これまでは単品の販売だけでしたが、お土産や贈答品として買いやすいようにパッケージングしました。
ギフト用の箱入り「こんぺん」は、2020年、那覇市の物産展事業「那覇市長賞」で食品部門の優秀賞を受賞しました。
顧客の裾野を広げるためにInstagramやFacebookなどSNSも積極的に活用。ECサイトも開設したことで、沖縄出身者だけでなく、県外に住む沖縄ファンも気軽にネットで購入できると喜ばれています。
製造の承継については、今後を見据えて、業務が属人化しないよう製造工程の見える化に取り組んでいます。
こうした戦略は有里さんが大学院で学んだ事業承継や経営に関する知識が生かされています。
承継後、ほどなく新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、売り上げを上げていくにはもう少し時間がかかると見ていますが、オンラインショップの販売状況から新規の顧客が増えていることを実感しています。
有里さん「事業承継というと、先代の思いを大切にしなければと重荷に感じられる方も多いかもしれません。私の経験から言うと、第二創業の感覚で新しいことにもっとチャレンジしてもいいのではないかと思っています」
自分の店だけでなく地域を盛り上げていくため市議会議員に
かつては廃業を覚悟した外間製菓所。それは例外ではありません。沖縄では、経営者の高齢化により事業承継がうまく進まず、廃業にいたっている店は数多くあるそうです。
そこに追い打ちをかけたのが、コロナ。市場本通りは地元客だけでなく観光客の往来も多い商店街でしたが、長引くコロナ禍に人通りが激減し、廃業する店がさらに増えました。
有里さん「早い段階から、将来どのような方向に行くか親子が話し合うきっかけがあればいいのですが、家族経営の中小企業・零細企業の場合、財務を含めて見えにくく引き継ぎにくいこともあります。
10年後、50年後も続けていける企業体制をつくることが大切です。職人さんが承継する場合もあると思います。必ずしも経営者一人で背負うのではなく、客観的に見て考える伴走者的な存在と連携することも必要。その支援ができたら」
そこで、有里さんは新たな挑戦に踏み出しました。「まちづくりのありかたへの疑問を当事者意識を持って訴えることができるのではないか」と考え、2021年7月、那覇市議会議員選挙に出馬したのです。
もともと「将来は立候補を⋯⋯」と頭にはあったそうですが、それはもう少し先のことだったそうです。「しかし、今のタイミングで出ることに意義があると感じました」と有里さん。現在、経営者と市議会議員、二足のわらじで日々飛び回っています。
市議としては「中心商店街まちづくり」「伝統文化の継承・発展」「若者と女性の活躍推進」の3つを柱とし、現場の声を聞くことを重視。コロナ禍における商店街の影響について、現場の責任者と情報交換を行っています。また「広報誌-MUSUBI-」を発刊し、各SNSと合わせて那覇の様子や市議会の活動を積極的に発信しています。
有里さん「お店の経営も市議も、『まちを元気にする』という目標は同じです。経営者のビジョンとしては、沖縄の郷土菓子を通して家族のつながり、人とのつながりを育む機会を提供していきたい。それが郷土菓子店としての使命だと思っています。
市議としては、地域の人たちに行政の取り組みが地域に関わっていることをもっと実感してもらえるようにしたい。未曾有の時代、商店街をはじめさまざまな人たちと知恵を合わせて、一致団結して乗り越えていきたい」
店を承継するとき、創業者の清功さんから次のようにアドバイスされたそうです。
「周りのお店と支え合って、地域全体を盛り上げていかないと自分たちのお店も盛り上がらない。お店は地域の人に育てていただいているということを忘れずに」
店を、地域を、沖縄の文化を守る。その信念は外間製菓所の礎となっています。
文:安楽由紀子