出雲大社で有名な神の国、島根県出雲市大社町。ぶどう栽培も盛んで、種なしぶどうとして有名な「デラウェア」は日本有数の生産量を誇っています。のどかな田園が広がる中、ぶどうハウスが数多くひしめき合っていますが後継者不足も課題となっています。
そんな中、ぶどうハウスの一角で野菜や果物作りに励む在日ブラジル人の方々がいます。
「僕はね、ここで楽しんでいるんだよ」と、笑いながら語る代表の滝浪セルジオさん。
セルジオさんはブラジルで生まれ育った日系2世で、日本に来て29年になります。外国人労働者の多い出雲市でブラジル料理店「paizao(パイザオ)」をご夫婦で経営するかたわら、生産者のいなくなったぶどう畑を引き継ぎ日系ブラジル人による農業プロジェクトを2020年3月から始動しました。
なぜ、ぶどう畑を引き継ぎ「農業」を始めることなったのでしょうか。お話を伺ってきました。
「人の役に立ちたい」と行動し続けた結果が、畑の承継に繋がった
セルジオさんはいつも心の中で「移住してきたブラジル人達の役に立ちたい」と考えていました。
出雲市に在住するブラジル人の方々の多くは、工場で働いています。文化も言葉も違う、地球の裏から移住してきた同じ国の人たちの苦労は痛いほど分かっています。
セルジオさん「工場での労働をするブラジル人達の働く場所が限定的なことや、ストレスを抱えながら生きているのは見ていてわかりますよ。もっと、生き甲斐やコミュニケーションの飛び交う場を作りたいと考えていました。どのようにすれば在日ブラジル人の生活をサポート出来るのか、自分には何が出来るのかをずっと考えていましたね」
日本での生活経験が長いブラジル人として、今までさまざまなチャレンジと挫折を繰り返していたそうです。そんな暮らしの中で、ぶどう畑の承継の話がやってきました。
セルジオさん「“何かしたい”と行動を続ける中で、ぶどう畑の承継に困っているという話を知人の伝手で知り、無料で畑を貸してもらえることになったんですよ。その代わり、ぶどう畑だった土壌は砂で、野菜作りには適していない状態でしたけどね。でも、とても嬉しかったですよ」
これがキッカケとなり「イズモ・アグロブラジル」を立ち上げ、現在では16人のブラジル人メンバーで、引き継いだぶどう畑を新しい農業へと発展させています。
縁結びの土地で「縁」で紡がれたのは、支援やメンバーたちだった
セルジオさん「畑は引き継いだのだけれど、資金も人手もどうすればいいのか分からないし、農業の知識についても知らない状態で、全てが手探りでしたよ」
努力を積み重ねるセルジオさんに、支援やメンバーが次々と現れました。出雲大社の神様が、地元大社町での継承を縁で紡いでくれたようにも感じます。
セルジオさん「現在イズモ・アグロブラジルを支える16人のメンバーは、もともとブラジルで農業をやっていたような人たちばかりで即戦力にもなるし、何より明るい。みんな畑作りを楽しんでいる人ばかりです。
多くのメンバーが工場で働くかたわら、自分の休みの日に畑仕事をすることを楽しみにしてくれています。畑で育つ野菜や果物を我が子のように愛しく感じてくれていますし、中には仕事前に畑を覗きに来る人までいます。
“仕事前に何してんの”と冗談交じりに言ってしまいますが、そのような姿が微笑ましくも嬉しくも感じています。会話を交わしながら笑顔で仕事が出来るのが嬉しいですね」
”ここに長く住もう”そう思わせる力が、農業にはある
また、活動を広めたいと考えるセルジオさんはテレビ・新聞の取材にも積極的で何度か取材も受けていました。
セルジオさん「僕たちの活動を知ったふるさと財団の方がね“とても良い活動だ”といって、少し出資してくれたんです。ビニールハウスや肥料といった多くの費用のことで困っていたから、財団からの協力金と僕の自己資金を元手に、農業をリスタートすることが出来ました。
とはいえ、畑を引き継いで1年と3か月が経ちますが、まだ金銭的に潤わせることは厳しいですよ。ほとんど、ボランティアに近い状態で周囲に”なぜそこまでしてやるのか”と言われることもありますね」
外国人として日本に在住する葛藤や苦悩を話してくださいました。
セルジオさん「僕はね、お金もうけとしてこの事業を考えていないんですよ。移住して日本で暮らすブラジル人達が畑を通じて楽しみながら暮してくれれば、それで嬉しい。
同じ在日ブラジル人達に縁あって出会ったこの土地で楽しく暮らし、出来れば長く心地よく暮らして貰いたいんですよ。”ここに長く住もう”そう思わせる力が、農業にはあると信じています」
畑でブラジルの果物も育てて行きたい、心の底にある理由とは
セルジオさんたちは、ケール、ビーツ、ルッコラ、キャッサバ(タピオカとなる芋)、ナス、ピーマンなど多くの野菜も同時に育てています。
セルジオさん「これからは、ブラジルで育つ果物を育てて行きたいですね。果実そのものも強いし、南国のフルーツはエネルギーもありますからね。具体的には、ジャブチカバ、ピッタンガ、アボカド、マンゴーとかね。知らない名前ばかりでしょ、でも美味しいですよ」
と、セルジオさんは優しく笑って話し、続けてブラジルのフルーツを作る理由についても語ってくれました。
セルジオさん「メンバーとね、一緒にブラジルのフルーツを育ててみたいという夢もあります。でもそれ以上にね、ブラジルに帰って欲しくないんですよね。悩んで決心して地球の裏からやって来たんですよ。だから、暮しにくいとか、文化の違いのすれ違いくらいで帰ってほしくないんですよ。
工場で働くのと違って、野菜や果物は育っていくから子どもみたいで気になって帰れないでしょ」
今度は苦笑いするセルジオさんですが、やはり優しさで溢れた顔で語られています。
農業には力があると考えるから、頑張れる
セルジオさんは「地域に根付いた農業」を広めたいと考えています。そこには「人と人との繋がり」や「満たされる仕事」を多くの人に伝えていきたい思いもあります。
セルジオさん「人種関係なく、みんなが楽しくやっていくことが大切ですよ。でも、せっかく地球の裏の国ブラジルからやって来た人達が出雲で出会ったんですからね。
そこで、外国人としてできることとして何かを受け継ぐことに、とても価値があるのではないかと考えます」
そのキッカケの第一歩が、イズモ・アグロブラジル。現在は収穫した野菜を地域に出荷したりご自身の店「paizao(パイザオ)」でも販売して活動を広めています。
「人の役に立ちたい」と思うその気持ちと行動が、ぶどう畑の承継にも繋がりました。移住者と出雲の方の円滑な共存社会の実現に向けて頑張るセルジオさんに、今後も目が離せません。
文:瀬島 早織