福岡県古賀市に本社を構える老舗和菓子メーカー「株式会社 如水庵」。材料調達から製造、物流、販売に至るまでほぼ全てを自社で行い、福岡市内を中心に29の直営店舗を持ち、ECサイトでの通販も行っています。
2020年4月に新たに代表取締役社長に就任した森正俊さん。天正年間に初代が農業を営む傍ら、博多の地でお菓子作りを始めたことがきっかけとされており、非常に長い歴史を持つ和菓子の銘店です。
※言い伝えの他には記録や物証などの客観的な証拠が見つかっていないため、創業年は不明
大学を卒業後、福岡の大手広告代理店に16年間勤め、そのまま働き続けるつもりだったという森さん。お兄様が体調を崩されたことがきっかけで2016年11月に家業に戻り、社長に就任されるまでの経緯を伺いました。
兄から相談を受けて決めた、家業で働くということ
森さん「私は男四人兄弟の三男で、兄は音楽が大好きでアメリカに渡ったので、次男の兄が継ぐことになっていました。私と次男の兄はずっとラグビーをしていて、次男は大学を卒業してすぐ如水庵に入社しました。はじめは店長として不採算店舗の改善を担当していて、現場では猛烈に働く真面目な兄貴でした。
歴史のある家業に加えて、330人の従業員とその家族の生活を支えるということは、相当な困難と責任が伴います。その重責を一人で抱えていた兄貴が、当時の私が前職を辞めるつもりがないことは知っていましたが、非常に悩んだ末に相談されたというのが、家業へ戻ったきっかけです。
私は大学を卒業して電通九州に入社して、テレビや新聞などのマス媒体を中心としたメディアプランナーをしていました。仕事は楽しくて父親も応援してくれていたんですが、兄を支えるために2016年11月に家業に戻りました」
森さん「退社する前の最後の2ヶ月間くらいは毎日のように送別会をしてもらって、本当にありがたかったですね。私が家業に入社したあとも沢山の方々に応援していただいて、会社の人たちだけではなく、仕事ではメディアともお付き合いがあったので、地元のテレビ局や新聞社さんにはよく取材もしてもらっていました」
前職の広告代理店ではマスメディアを担当していた森さんですが、入社してすぐに取り組んだのは韓国人向けのインフルエンサーマーケティングでした。有形無形を問わない会社の価値の多くが伝わっていないと感じ、社長になる前から会社の歴史や理念などの埋もれた価値の棚卸しに力を入れたと言います。
無形の価値だからこそ、表に出して伝えていく
森さん「私は和菓子屋のせがれでしたけれども、会社のことをそれほど知っていた訳ではありませんでした。だからこそ、入社してから様々なことを知れば知るほど、素晴らしい価値を持っているにも関わらず、ちゃんと伝わっていないことがもったいないと感じました。
お菓子屋は基本的に農産物加工業ですので、素材一つをとっても非常にこだわっているんです。それに加えて、如水庵には代々引き継がれてきた職人の技があるんですが、外から来た私はおろか、職人たち本人でさえもあまり自分たちのやっていることの価値を意識していないんです」
2020年に行ったコーポレートサイトの大幅なリニューアルは、社外向けであるとともに、社内の人たちに向けて、会社の価値を伝えることも大きな目的だったといいます。以前はブログでとにかく新しい情報を更新していくという形でしたが、今では「大人のおやつ研究所」というオウンドメディアや、職人へのインタビューなどの豊富なコンテンツが用意されています。
森さん「職人はどこもそうだと思うんですけど、あまり表に出たがらないし出る機会もない。でも、彼らや技術の素晴らしさは無形の価値だと思うので、表に出してしっかりと伝えていくことで、自分の仕事に誇りを持ってもらうことが大切だと思っています」
来てくださったお客様に喜んでもらうために
かつて如水庵では、お祝い事や法事の引き出物として、家紋入りの落雁(らくがん)を作っていました。注文を受けてから作る落雁の木型は百種類以上あり、多くは福岡市博物館に寄贈しましたが、まだ倉庫に眠っているものもあるといいます。
森さん「寄贈してしまってもう会社には残っていないと思っていたら、兄が倉庫の奥にまだあることを教えてくれて、更に150体ほど見つかりました。博多駅の近くにあるホテル日航さんの隣に本店があるんですが、今年リニューアルして隣に15坪ほど増床する予定なんです。そこの壁に落雁の木型を並べて、ご来店頂いたお客様に少しでも喜んで頂ければと思っています」
如水庵の強みを活かして、対極にある価値を伸ばす
森さん「如水庵は長く続いているとはいえあまり利益が出ていない会社でして、それはうちが労働集約型の会社だからなんです。これまでは、なんでも人の手でやってしまうことが多かったのですが、最近では、人間にしかできない価値のある仕事に集中し、その他の仕事はデジタル技術に任せるようにしています。
一方で、DX化やAI、Iotによって世の中がどんどん便利になっていくと、人のぬくもりやおもてなしといった対極にある価値は高まると思っています。手前味噌ですけれども、如水庵の接客はすごくいいねということは昔から言われているので、私たちの強みや長所を活かすために、パートさんやアルバイトさんも含めて心を込めた接遇に取り組んでいます。
今まさに構築しているのが、エビラボが提供しているAIを活用した販売予測システムです。過去のPOSデータ*や出荷のデータ、天気をAIに読み込ませ、メディアでの紹介実績やコンサートなどのイベント情報といった外部要因を入力することで、仕入れや製造の計画がしっかり立てられます。うちは生菓子も多く扱っていますので、食品ロスを減らすことは経営改善や環境負荷の軽減にも繋がります」
2020年は新型コロナウイルスの影響で交通系販路に大きな打撃を受けましたが、一方で如水庵が実践してきた心を込めた接遇によって、会員の方々の来店比率は逆に上がったという森さん。また、会社という組織である以上、基本的には経営者が方針を決めるものの、コロナという未知の課題に対して社員から様々な意見が出てきたことで、臨機応変に対応する能力が向上したといいます。
コロナで変わった社内の雰囲気
森さん「父は50年社長をしてきて、それほど厳しい人ではないんですが、入社して始めての会議で不思議だったことは、社長以外の人達があまり発言をしていなかったことです。最終的には社長が全て決めるし、経営者が朝令暮改というのは当たり前だと思うんですが、現場の人たちの課題解決能力が引き出せていないと思いました。
私が社長に就任してからは会議をできるだけ減らして、今は週に一度、ビヨンドコロナ会議というのをやっています。先行き不透明な中で、正解を探すのではなく作ろうという姿勢で会議をしていると、どんどん色んな意見が出てきて、社内の体質は非常に良くなりましたね」
入社してから様々な価値の棚卸しをして、会社だけでなく自分がどういう人間なのか、何を考えてきたのかを改めて整理したという森さん。お菓子屋とはどういう職業で、どうあるべきかという森さんの考え、そして今後のビジョンを伺いました。
人を喜ばせることを商いとする、お菓子屋という商売
森さん「私は小さい頃から人を喜ばせることが好きだったんです。そう考えた時に、お菓子屋も人を喜ばせることを商いとしていて、こんなに恵まれた商売はない、自分にとっては天職だと思いました。私は、幸せではない人が人を幸せにすることは出来ないと思っていますから、如水庵で働く人が成長を実感しながら幸せを感じ、お客様にはお菓子を通して幸せをお届けするという良い循環を作っていきたいですね。
お菓子屋というは、業界の中でも給与水準が低い方なんです。だからこそ、私が経営者として従業員一人一人の能力を最大化させ、効率化できるところはしっかり取り組んで、利益の出る体質にしたいと思っています。待遇も含めての幸せですから、価値を高めることで会社の利益に繋げて、従業員がやりがいや成長を感じられるようにしたいと思っています」
福岡で一番ということは、世界で一番だということ
森さん「私が社員に言っているのは、福岡で一番のおもてなし企業を目指そうということです。福岡は歴史的に様々な文化を吸収して、人の往来を歓迎してきました。福岡市が観光都市として世界一のおもてなし都市を目指す中で、如水庵はその一端を担おうと思っていました。
でもそうではなくて、福岡で一番を目指す。そうすれば世界で一番のおもてなし企業になれる。事業の目的は永続ですから、福岡の人たちに信頼され、愛され続けることが大事だと思っています。そのために地域の文化にも貢献していく。昨年会社を継ぐきっかけを頂いた私の役目はそこだと思っています」
五感の芸術とも言われる和菓子は、見ているだけでも楽しく、美しいものです。如水庵の和菓子は全国からお買い求め頂けますが、福岡にお越しの際は是非一度、お店で幸せなひと時を味わってみては如何でしょうか。
*落雁:米などを原料として型に押して固めて乾燥させた干菓子
*POSデータ:物品販売の売上実績を単品単位で集計したデータのこと
文・清水淳史