事業承継ストーリー

サッカー少年からめっき業界を牽引する跡取りに。業界の常識を打ち破る3代目の挑戦

「めっき」という言葉を聞くとどんなことを思い浮かべるでしょうか。金属の表面を加工する技術ということは想像できても、いまいちピンとくる言葉ではないかもしれません。

戦後まもなく山形に創業しためっきのプロ集団、ジャスト株式会社(前身:東亜メッキ工場)。半世紀以上培われてきた伝統と、最先端技術への挑戦により発展を遂げてきた会社です。中でも近年は自社独自の加工技術で医療分野への新規参入に挑戦するなど、業界の常識を打ち破るような技術と挑戦が生まれています。その挑戦を牽引してきたのが3代目となる岡崎淳一さんです。

プロサッカーの夢を諦め、3代目を継ぐ

岡崎さんへ継承の話が持ち上がったのは岡崎さんが高校3年生の春先。それまでは岡崎さんの叔父、創業者の長男が2代目となり、その息子が3代目を継ぐ予定でした。しかし、その継承の話が岡崎さんの父へと流れ、進路を決める高校3年生の時に岡崎さんは急遽3代目となる使命を負うことになりました。

岡崎さん「まさか自分が会社を継ぐなんて思っていませんでしたし、自分はサッカーで身を立てていこうと思っていました。」

小学校から高校までサッカー一筋のスポーツ少年で、高校卒業後はプロサッカークラブから声がかかるほどの実力でした。それが突然のメッキ工場の跡継ぎとなる話が持ち上がり、小学校のころから憧れていた夢があと一歩のところで絶たれてしまったのです。

岡崎さん「後継者となるなら大学は出ないと、ということで受験まで数か月という所で急遽受験勉強をして進学をしたのですが、どうしてもサッカーへの夢を諦められず大学2年生くらいまではずっと父へ不満ばかり言っていました。その頃丁度Jリーグも発足して、幼馴染がプロとして活動をしているのと見るとどうしても羨ましいという気持ちが抜けませんでしたね」

大学卒業後は武者修行のため、関東の製造会社で営業として勤務。様々な大手メーカーの設計部門を担当したり現場へ赴いたりと、多くの経験を積みました。その時の人脈が今の仕事でも活きていると岡崎さんは語ります。

大きな仕事ができるやりがいからその職場に長く勤めたいという思いもありましたが、「山形へ戻ってこい」という父の声がだんだんと大きくなり、東京で昼間はめっきの薬品を取り扱う会社に勤めながらめっきの高等職業訓練校で1年学び、めっきとは何かを頭に叩き込んでから山形へ戻ることとなりました。

町工場から組織へ。跡継ぎの社内改革

実家へ戻ってからまず現場へ入り、さっそく会社の現状を目の当たりにした岡崎さん。会社の様子は、経営スタイルも作業環境も従業員の教育も決して行き届いているとは言えない状況でした。

そこで、まずは組織へと成長させるため社内改革に取り組みました。社員とコミュニケーションを取りながら、最低限のルールとマナーの周知を地道に進め、作業環境改善のための取り組みも自ら率先して行いました。工場の床を塗るなど自身の姿を見せた結果、徐々に社内の雰囲気がよくなっていきました。

岡崎さん「もちろん自分が戻ってきたことで不満に思う社員もいました。離れていった社員も少なくはありません。しかし、積極的に会話をし、自ら率先して取り組んでいる姿を見せることで徐々に社内へと受け入れられました。また社内改革の際、これが現状足りないからこれに取り組む、といった理由も説明することで自然と協力してくれる人も増えていきました」

「先代と同じことをやるだけなら誰が継いでも一緒」

入社して4年目にさしかかり、突然父の体調が崩れ、会社の運営は岡崎さんへ任されることになりました。その2年後の2008年、リーマンショックの最中父は他界し、3代目を引き継ぎました。

岡崎さん「不景気の真っ只中でしたが、社長になって取り組みたい事は頭の中にありました。今の仕事はきっと無くなりはしないけれど徐々に縮小してゆく、そしてこの不景気を考えると新しいことに取り組まなければいけない。そこでダイヤモンドを活用した技術で医療分野へ参入することが事業の柱になる可能性を秘めていると思い、その事業化を推し進めました」

前人未到の挑戦に社内からは不満の声も大きくあがりましたが、長い時間とお金を投資した結果、今では自社独自のメッキ加工技術「ダイヤモンド電着」は5-6割の利益率を誇る事業の柱となっています。

岡崎さん「先代と同じことをやるだけなら誰が継いでも一緒なんです。しかしどうしても落ち込むこともある。自分独自のビジョンを持ち、落ち込んだ時でも助けてもらえるような事業を持つ必要があります。結果が出るには時間がかかりますし不安もありますが、本気で取り組めば結果に繋がり、それが信頼となります。これはきっとどの業種でも同じことです」

「出会い」が改革の原動力

医療分野への新規参入に加え、海外の展示会へ出展し海外の顧客獲得を達成するなど、めっき業界の常識を打ち破るような挑戦を行っている岡崎さん。そのほか生産ラインの省力化、給与体系の見直しなど社内の組織改革にも取り組んでいます。これからの少子高齢化、そしてグローバル化の波に備え、人だからできる仕事、機械に任せる仕事を切り分け、「めっきのプロ」としての成果報酬型の給与を導入し海外の優秀な人材の登用も積極的に行おうとしています。

そんな革新的な改革を進める岡崎さんの原動力は「出会い」だと言います。

岡崎さん「自分が会社を継ぐことになって、本気でこの道を究めようとスイッチが入ったのは、海外の展示会に出展したときでした。自分で考えた事業の可能性が海外で認められ、新しい世界からもたくさん刺激を受けました。展示会に出展したきっかけは滋賀出張時に見学させてもらった会社から。そういった出会いによって得た情報から行動が生まれています」

「面白いことをしている会社は地方にある」と積極的に外へ出て、事業の新たな目的を見出したり、最新の情報を得たりしながら会社の舵を切る岡崎さん。そんな岡崎さんが大切にしている変わらない理念は「何のために商売をしているのか」でした。

創業者の想いを胸に、会社の未来を描く

ジャスト株式会社の前身である東亜メッキ工場は、第二次世界大戦中故郷山形へ疎開した岡崎さんの祖母が家族を養うために戦後立ち上げた会社でした。そこから徐々に成長し地域の人からも必要とされる会社となった今、何のために誰が事業を始めたのかを忘れずに、少しずつ進化しながら会社が永続的に続くよう経営をしていこうとしています。

岡崎さん「創業者の想いを受け継ぎつつ、今後はめっき業にこだわらず会社を経営していくつもりです。今もすでに一部次の事業に向けての動き出しをしています。コロナ禍で思うように進まないこともあり歯がゆさもありますが、やめてしまったらそこで終わってしまうので、踏ん張りどころだと思っています。」

調和と変革のバランスを取りながら、めっき業界のあたらな道を切り拓いてきたジャスト株式会社の3代目、岡崎さん。今は新たな挑戦がコロナ禍で足止めされ難しい状況にいますが、これからもきっと業界の新たな道を拓く開拓者として活動し続け、日本にとどまらず世界のものづくりを牽引する一人となることでしょう。

ジャスト株式会社

文・日野ひかり

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