「ホームなのにアウェイ」「浦和にあるのに鹿島湯」
自虐的なキャッチコピーで一躍有名になったのは、埼玉県庁のほど近くにある銭湯「鹿島湯」です。今年で創業65年を迎える銭湯は、現在3代目の坂下三浩さんが経営しています。
坂下さんの前職は議員秘書。いつか議員になることを夢見ていたと話す坂下さんは、なぜ銭湯の承継を決めたのでしょうか。一度は廃業を考えたという鹿島湯を存続させるに至った背景と承継までの経緯を伺いました。
地域の人たちの居場所をつくりたい
鹿島湯は、坂下さんの祖父が昭和31年に創業しました。創業以来、水は井戸から汲み上げ、ガスではなく薪を使って湯を沸かしています。
坂下さん「ガスと違って、薪だと温度調節が難しいんです。15分毎に薪をくべて火加減を調節しなきゃいけないので、普通の銭湯より忙しいし(笑)。でも、お客さんから『いい湯加減だった』って声をかけてもらえるとすごく嬉しいんです」
昨今では、ほとんどの銭湯がガス釜を採用しています。その方が効率が良いように思えますが、なぜ労力や時間のかかる薪釜を採用しているのでしょうか。
坂下さん「鹿島湯は電気・ガス・水道が止まっても、お湯を沸かすことができる数少ない銭湯。万が一災害が起こったときでも、地域の人たちが集まれる場所になれればという思いで続けています」
銭湯嫌いから一転、銭湯の存在意義に気づく
今でこそ、「鹿島湯を守っていきたい」と話す坂下さんですが、幼いときは友人から「風呂屋!」とからかわれ、銭湯が大嫌いだったといいます。「絶対に継ぐもんか」と、意識して別の道を生きてきたのだとか。
しかし、2011年に起こった東日本大震災で、銭湯嫌いだった気持ちに変化が訪れます。議員秘書として働いているとき自主的に足を運んだ、南相馬市でのボランティア活動がきっかけでした。
被災地では遺体安置所で受付をしたり、ご遺体を運んだりする役目を担い、「見たこともない悲惨な光景に言葉が出ませんでした」と当時を振り返ります。
坂下さん「避難所には当然浴場がないので何日もの間お風呂に入れないんですが、震災から一か月ほど経ったとき、自衛隊の方が仮設浴場をつくってくれて。大勢の被災者が、『落ち着く』と涙を流しながら風呂に入っていたんです。これまで考えたこともなかった、銭湯の存在意義を見つけた気がしました」
その後も「人の役に立ちたい」という一心からボランティア活動を続けていましたが、同年、先代が病で倒れます。
常連さんからのひと言で承継を決意
坂下さん「父が緊急入院したのを機に、鹿島湯を手伝い始めました。でも、被災地でもっとできることがないか模索していた時期だったので、そのときはまだ継ぐつもりはなくて。父が復帰できないなら廃業するつもりだったんです」
しかし、たまたま店に来た常連さんからのひと言で考えが一変します。
坂下さん「その方は高齢の女性だったんですが、『みっちゃん、店を無くさないで』と必死にお願いするんです。私が『おばちゃん、家にお風呂あるんだし銭湯がなくなっても別にいいでしょう?』と言ったら、『銭湯にきて友達と会ったり、広いお風呂に浸かったりするのは大切な習慣なんだよ』って」
そのとき「ここでも自分にできることがあるかもしれない」と気づいた坂下さん。前職に比べると収入が不安定になるため悩んだそうですが、手伝いをするうちに「銭湯に愛おしさが生まれていた」といいます。これまで踏み切れなかった坂下さんも、いよいよ本腰を入れて鹿島湯の経営に乗り出しました。
鹿島湯再生プロジェクト発足
坂下さんが鹿島湯で働くようになってしばらく経った頃、経営が脅かされる決定的な出来事が起こりました。近隣に新しく、浴場やサウナ、レストランが併設された温浴施設ができたのです。
坂下さん「お客さんが激減して、何か策を練らなきゃやばいぞって。そこで、銭湯好きなコピーライターの友人に相談したんです。そしたら鹿島湯のキャッチコピーをつくってくれて、SNSで大当たり(笑)。色々なメディアで取り上げてもらいました」
そのほか、銭湯をコンサート会場として貸し出したり、地域の子どもたちが楽しめるお祭りを企画したり。改革の甲斐あって鹿島湯の知名度は急上昇、さいたま市内外から多くのお客さんが訪れました。
創意工夫を凝らし経営難を脱してきた鹿島湯。しかし2021年、今度は設備に深刻な問題が発生。銭湯の心臓ともいえる薪釡からたびたび漏水し、湯がすぐに冷めてしまうという致命的な状況に追い込まれたのです。
坂下さん「配管や湯温調整器なども老朽化し、いよいよ経営が困難な状況で。自力で捻出できる資金にも限界があり、廃業も覚悟しました」
何度も諦めかけましたが、地域の方々からの応援や、病床の父からの「絶対に鹿島湯を閉めないでくれ」という言葉で再起を決意。2021年9月にクラウドファンディングを開始し、たった1ヶ月間で目標額を超える654万円を達成します。
坂下さんを奮い立たせた出来事は他にもありました。
坂下さん「いつもTシャツでくる常連さんが、ある日スーツで来たんです。分厚い封筒を渡されて『これ使って』って。なかには100万円入ってました。驚いて言葉が出ませんでしたよ。また別の日には、『募金 鹿島湯様』と書かれた箱が店先に置いてあって。箱の重さを測ったら5キロもありました」
そのほか、学生時代の同級生たちが声を掛け合い、100万円以上の寄付をしてくれたのだそうです。人生で、こんなにも多くの人に応援してもらい、励まされた経験はなかったという坂下さん。周囲の方からの協力で、諦めかけていた大規模改修を実現できることになりました。
先代に見せたかった「赤富士」
銭湯といえば富士山のペンキ絵ですが、鹿島湯の浴場には「雲海に浮かぶ赤富士」が描かれています。描いたのは、とあるテレビ番組の企画で出会った、デザイナーでも絵師でもないベルギー人の一般女性。
坂下さん「銭湯には国境を越えて色んな人が集まります。不思議ですよね。彼女は何度も練習を重ねて、16時間かけてたった一人で描き上げてくれたんです。完成した絵を見たときはびっくりしましたよ。新しくなった鹿島湯を親父にも見せたかったんですけどね。間に合いませんでした」
前立腺がんを患っていた先代は、2021年9月7日に逝去されました。「お客さんが困るから、店を休まないでね」という先代の言いつけを守り、亡くなられた当日も通常どおり営業したのだといいます。
坂下さん「悲しむ暇もありませんでした。でも、だからこそ父は『絶対店を休むな』と言ったのかもしれませんね」
お客さんとの合言葉は「目指せサウナ」
新型コロナウイルスの影響は深刻で、月によっては売り上げが7割減。見通しが立たない状態が続いています。経営を安定させるためにも、今後は若いお客さんを増やしていきたいのだそう。
坂下さん「最近『サウナがほしい』って色んな人から言われていて、たしかにサウナがあれば若いお客さんも増えるかもしれないなって。ただ、サウナ増設には数百万かかるんですよ。現状、お客さんとの合言葉が「目指せサウナ!」なんです(笑)。近い将来、実現したいなと思ってます」
また、まだまだ先にはなりますが、坂下さんにはもうひとつ夢があります。それは、銭湯が大好きな人に鹿島湯を継いでもらうこと。
坂下さん「銭湯って、信用がなきゃ絶対にできない。だから、いつか銭湯が大好きな人と一緒に働いて、僕の思いを共有したうえで継いでもらえたらベストだなって思ってます。山あり谷ありですけど、それまでは鹿島湯を守らなきゃいけないですね」
これまで、家族や友人、お客さんに支えられながら、いくつものピンチを乗り越えてきました。「お客様が第一」という先代の言葉を胸に、坂下さんは今日も薪釜で湯を沸かします。
文:白石果林