山口県宇部市に拠点をおき、関西を中心に総合物流サービスを展開する「吉南株式会社」。モノを運ぶ運送業だけに留まらず、倉庫保管や製造請負などの関連サービスをトータルで提供しています。
2020年5月に代表取締役社長に就任した井本健さんの祖父が山口市で始めた運送会社は、現在では従業員の数は800人を超え、10社を束ねる「キチナングループ」の親会社です。
大学生の頃から10年以上ITや物流の世界と関わってきた井本さん。1度目の入社、東京でのベンチャーの経験を経て、2度目のUターンで事業承継した経緯を伺いました。
山口での二重生活と、父親との衝突
学生時代にIT関係の会社に携わり、東京で営業などの仕事をして25歳で山口にUターンした井本さん。東京での経験を活かして精力的に動きました。
井本さん「いつかは実家の会社を継ぐのかなと、なんとなく思っていて、一度目に25歳で山口に戻ったときには、営業などの仕事をしていました。学生時代の経験がきっかけで、物流とITは非常に親和性があると感じていました。
一方で、物流業界というのは今でもそうなんですけど、電話とFAXでのやりとりが続いていて、もっと効率化できるんじゃないかという思いを現場で働きながらずっと感じていました。そして父親には内緒で山口で会社を設立して、ニオクルというサービスを開発しました」
「ニオクル」とはモノを送りたい人とトラックのマッチングサービス。当時は昼間は実家の会社で働き、夜はエンジニアと一緒に遅くまでサービスの開発をしていたと言います。物流業界の効率化に対する思いは強かったものの、当時は中々理解してもらえませんでした。
井本さん「サービスの開発に加えて、ユーザーサポートもやり始めると段々と手が回らなくなってきて、当時社長だった父親に子会社化の相談を持ちかけました。最近でこそDXとよく言われますけど、これからは業界全体がどんどん人手不足になっていくという話をしても中々賛同が得られなくて、地方の会社がやっても難しいと言われました。
会社としてお金を出すことはできないから、やりたいのなら自分でやれと言われ、父親とは衝突しましたね。お互い感情的になっていて、月末には出ていけという感じで大した引き継ぎや周囲への挨拶もできないまま、バタバタと東京へと出て行きました」
現場のニーズに事業をマッチさせていった
山口で開発していたサービスの登録者の大半が関東の人だったこともあり、東京で改めて事業を始めた井本さん。物流は個人事業主から仕事の受注がしづらいと知り、事業の方向性を地域密着型の配送と宅配ボックスの開発へとシフト、ウィルポートを共同創業しました。
井本さん「事業はうまくいっていたしおもしろかったんですけど、2,3年くらいしてくると、当初思い描いていたことと事業とのズレを感じ始めました。元々は吉南のような地方の運送会社が生産性を向上できることを目標にして会社を作ったんですけど、結果的に個人の宅配を中心に商売をすることになっていました」
今の事業を続けるのか、新しい会社をつくるのか。迷っている時に、先輩経営者や事業承継をした人たちと勉強会やカンファレンスで会う機会がありました。
「会社を継げるのは君しかいないんじゃないか」
井本さん「その時に、会社を継げるのは君しかいないんじゃないか、という話をされたんですけど、当時は跡継ぎに対して、親のレールに乗って悠々自適に好きなことをやっているかっこ悪いイメージがあって、あまり良い印象を持っていませんでした。
色んな方と話をする中で、会社をリソースとして既存の事業を伸ばしながら、そこに自分の理想をのせていけば、やりたいことを早く実現できるんじゃないかという話もしていただき、確かにそうだなと思いました。
25歳で一度会社を辞めた時から父親とはあまり話をしていなかったんですけど、子どもができてからは話をする機会が増えました。継ぐつもりがあるんだったら、やればいいんじゃないかと言ってくれました。ただし、中途半端はやめろと言われましたね」
東京である必要も、宅配がやりたいわけでもなかった
父親の後を継ぐことを考え始めてから、3ヶ月ほどはかなり悩んでいたという井本さん。しかし営業で東京を訪れた社員や、お得意先の方に話をすると、周囲は応援してくれたといいます。
井本さん「ベンチャーや企業の物流担当として働くという選択肢もあったんですが、東京である必要もなければ宅配がやりたいわけでもなかったんです。それに、小さい頃から創業者である祖父にも継いでくれと言われていましたし、自分自身もいつかは継ぐんだろうなと思っていました。半分は使命感のようなものも手伝って、最終的に後を継ぐことを決めました。
社員の方たちとはチャットで繋がっていたりして、営業で東京に来たときにはご飯にも行っていました。なので、承継を決めた時は社内で反対する人はいなかったですね。
決断できた大きな理由はやっぱりお客様の言葉です。
経営者に求められる意思決定力
2度目の入社後は、経営企画として新卒採用や社内教育の強化、IT化などの改善を繰り返しました。子会社の社長を経て代表取締役社長に就任してからは、仕事に対してギャップはあまり感じていないものの、グループ会社ならではの苦労はあると言います。
井本さん「運送から電気工事まで、各社の事業が多岐に渡っているので、経営者は頭の使う部分が違うという大変さは感じてますね。だからこそグループ経営の推進には力を入れています。ただ、同じ人事制度を採用したり、業務では同じコミュニケーションツールを使うことの大切さは社長になる以前から感じていたので、そういう意味でギャップはあまりなかったですね」
井本さん「いざ社長になってみると、小さなことから大きなことまで決めないといけないことが山のようにあるんですよ。社員だった頃は社長に向かって、なんでやらないんですか?とか、早くやってください!とか、結構言っていたんですけど、改めて社長がみている視点の違いを感じました。
今のようなコロナ禍だと、意思決定の量が多いだけではなく、市場の変化に合わせたスピードと正しさが求められるので、この一年は何を優先すべきかという視点はとても鍛えられたと思います。」
お客様が本来の業務に集中できる一貫したサービス提供
東京ではサービス開発が中心で、物流業界にいながらトラックを一台も持っていなかったために、良くも悪くも現場の手触り感がなかったという井本さん。経営に参画してからは、現場を通じてお客様に価値を提供できていることにやりがいを感じています。
井本さん「今は新卒採用に力を入れています。これまでは物流というと夢がないネガティブなイメージで、辞めていく人も多かったんですけど、この3年間はそういった人はいないですね。社員がたくましくなって活躍してくれて、お客様からお褒めの言葉を頂くと、経営者としてはやりがいを感じます。
ビュッフェスタイルのように各社のサービスをかいつまんでもらうよりも、コース料理のように一貫したサービスを提供することで、お客様が研究開発やマーケティング、販売といった本来の業務に集中できる環境づくりを目指しています。そのためにも、今はグループ経営や社内のIT化を通じた生産性の向上に取り組んでいます」
物流業界のDXの先頭に立つ
自身の経験を生かして、バックオフィスの改革や社内のIT化を進める一方で、経営者として業界の未来も見据えている井本さんに、今後のビジョンを伺いました。
井本さん「グループとしては、地域ナンバーワンの物流企業を目指しています。ただ、売上だけではなくて、働きやすさや働きがいというのもすごく大切だと思うので、入りたい会社がたまたま地方にあった、そう思ってもらえるような会社にしたいですね。
そのためにも都会に負けない報酬であったり、企画系の仕事を増やすことで、山口だったら吉南という面白い会社があると思ってもらえるようにしたいです。
個人としては、元々抱いていた物流の非効率な部分を解決したいという思いが強いです。物流業界は6割が赤字と言われているんですけど、諦めずにやれば出来るんだということを、まずは自分たちの実践を通して体現していきたいですね」
経営者としての思いや社内での取り組みを、note や twitterを通して積極的に発信している井本さん。2020年は、物流や配達という普段は表に見えてこない人たちの仕事が、いかに私たちの生活を支えているかを実感した年でした。井本さんが見据える、業界のDXへの挑戦はこれからも続きます。
文・清水淳史