事業承継ストーリー

伝統の手法「高温山廃酛」を守りつつ「古酒」を世界へ。木戸泉酒造の良きうまき酒造り

九十九里浜など外房の海が美しい千葉県いすみ市。造り酒屋の木戸泉酒造は、市の中心市街地にあり、1879年(明治12年)に創業した個性的な商品づくりが評判の酒屋です。

高温山廃酛(こうおんやまはいもと)という独自の酵母造りを、60年以上続けてきた木戸泉酒造。現在その伝統をつないでいるのは、5代目の荘司勇人(しょうじはやと)さんです。地域に寄り添いつつ世界も視野に入れた荘司さんならではの「酒造り」について伺いました。

他社と一番違うところは、工程の中に酒母造りがあること

木戸泉酒造5代目 荘司勇人さん

荘司さんが先代から事業を承継したのは2016年。入社してから約15年後のことでした。

荘司さん「弊社は酒蔵業界的に言うと小規模の分類です。小さいながらも生き残ってこられたのは、自分たちが守るエッジが立った味を追求してきたからだと思います」

木戸泉酒造が代々追求し守ってきた「個性」。それが、独自の醸造法「高温山廃酛」の伝承と「古酒(こしゅ)」の開発です。

荘司さん「うちが他社と一番違うところは、酒母造りの工程です。3代目の祖父が昭和31年にその造り方を確立し、それを引き継ぎながら続けているのが根幹にあります。

天然の乳酸菌を用いて、高温で酒母(※蒸した米・麹・水を用いて酵母を培養したもの。日本酒のもととなる)を仕込む方法です。山廃(やまはい)といわれる昔ながらのつくりを、千葉の気候風土に合った形にアレンジしたものです。今も原料や造り方において自然醸造という方法をとり、本来のお酒造りに関わるもの以外は極力添加しないようにしています」

古酒の価値を世界に向けて価値を高めていく

昔から守られてきた酒母造りをする、そのための部屋

木戸泉酒造では、ワインやウイスキーのように日本酒で長期熟成酒をつくることにも挑戦しています。いわゆる古酒(こしゅ)というものです。

荘司さん「古酒について、父の代でやったのはまずは普及させることで、私の代でその価値をいかに高めていくかということに注力しています。手元に残るいちばん古いお酒は、1969年製造のもの(販売は1974年製造のものから)。毎年、製造したお酒のうち、一定量を古酒づくりへと回してきました。

古酒をテーマにした『刻SAKE(ときさけ)協会』というのがあり、昨年弊社も仲間入りさせてもらい、全国7社で、熟成酒の価値を世界に向けて価値を高めていく取り組みをしています。ある一定層は、需要があることが分かっています。さらに海外に目を向けると熟成酒は伸びしろが大きい市場です」

大学時代に自社の素晴らしさを発見し、酒造りに目覚めた

木戸泉酒造には築100年を超す古民家があり、現在は打ち合わせスペース

積極的に酒造の発展に取り組む荘司さん。酒造りに興味を持ったのは、大学進学後だったと言います。

荘司さん「東京農大に進学し醸造を学んだものの、当時は高い志があったわけではありませんでした。正直、勉強はあまり好きではなく、高校時代は大好きな野球に打ち込んでいました。

しかし結果として、 自分の家業のお酒と向き合う機会となり、酒造りの出発点になったのは事実です。学生時代にいろいろなお酒を飲む機会があり、うちの木戸泉の酒は、こだわった良い酒だと気づけました。お酒によって悪酔いするなど、違いを認識し、そこから酒造りに興味が俄然わいてきました。酒蔵を継ぐというよりかは、酒造りをしたいと思うようになりました」

学生時代は、帰省しては家業を手伝い、酒づくりにのめりこんでいきました。

荘司さん「手伝いながら木戸泉酒造の酒造りのこだわりを理解するようになっていきました。大学で一人暮らしをして自分で自炊して外食する機会が増えると、自分の育てられた食事環境が良かったということにも気づきました。食に対するこだわりが、家風でもあったのです。今で言う食育を受けていたのですね。それと同じように実家の当たり前だと思っていた酒造りは、体を大切にした考えでした。だから悪酔いをしなかったのです」

木戸泉酒造の特徴ともいえる酒母造りに励みます

大学卒業後は、ユーザーの声や他のお酒を知り、広い視野を持てるようになりたいという思いから、東京の酒販店で働き始めました。

荘司さん「1年半ぐらいそこにいて、実家に戻ったのが2001年の1月です。 本当は30歳ぐらいまでいるつもりでしたが、父からの提案で、早い帰りを決断しました。当時の酒造りは新潟から蔵人さんが来ていて、皆さん年配になっていて、あと何年来られるからわからない。彼らから酒造りを学ぶのは、早いほうが良いと父からの助言があったのです」

戻ってからは、酒造りについて貪欲に学びました。そして地域との関わりにも参加し、地元の消防団や商工会の青年部、青年会議所にも加入しました。青年会議所で理事長をして、リーダーとしての学びも多かったそうです。年配の杜氏も亡くなり、造り手も若手に変わっていき、いよいよ2016年に荘司勇人さんは社長になります。

時代は酒から「SAKE」へ

お酒を発酵させるための大きなタンクが並ぶ

荘司さん「承継する以前から父とは製造についてはぶつかることはありませんでしたが、販売や経営に関しては衝突が多々ありました。世代間の考え方の違いもありますから当然でしょうね。

話し合いを重ね、お互いに事業承継の一番いいタイミングを探って、2016年に落ち着いたのです。情報化社会という外部環境が変化して、酒の販売方法も変わってきました。当然、お酒の価値も変わります。父の経験による考えより、私たちの世代の方が、今後の発展に役立つと判断したのです。すでに酒造りは熟知していたので、今後の販売戦略やブランディングが経営者に求められます。

社長交代して以降、父は応援してくれていて、譲った以上はお前が好きなようにやれというスタンスです。もはや衝突することはなくなり、非常にやりやすくなりました」

年に1回の蔵開きには、木戸泉酒造のファンが遠くからもつめかけます。そこで親子で恒例の鏡開き!

伝統や個性は守りながらも、日本酒の国際化も視野に入れ杜氏に外国人を採用するなど、新しい取り組みも始まっています。

荘司さん「高温山廃酛などの良さをしっかり受け継ぎつつ、変えられるところはどんどん変えて、色々な味のバリエーションを追求しました。消費者側もエッジの立つ味を受け入れる環境に変わってきました。

酒造りは、もはや日本人にこだわらず、外国人も関わった方がいいです。酒からSAKEという時代にまもなくなるでしょう。スタッフも新しいことへの意欲が高まっています」

木戸泉酒造の販売コーナーに並ぶお酒、酸味系の尖った味も人気だとか

日本酒業界は、量をさばく商売から価値を認めていただく商売に切り替えていかないと、 生き残るのは難しいと荘司さんは言います。そしてもう一つの構想は、この酒蔵に、地域に貢献できる物産館のようなものをつくることです。

荘司さん「ここは大原駅(JR外房線・いすみ鉄道)からも近く、幹線道路も近く、港や海水浴場も近い立地です。将来的に観光客等がもっと立ち寄ってもらえるような場所にしていきたいですね。お酒の販売だけではなく、地元の物産を揃え、いすみ市の玄関口になるような取り組みをしたいのです。先々代が、地域に貢献できる商売として酒造りに絞り、私もその考えを継承していきたいと思います」

元々、3代目が街全体が潤うことに貢献すべく地酒造りに絞ったという木戸泉酒造。5代目にも地酒と地域貢献という考え方が受け継がれ、今後、木戸泉酒造は、いすみ市に何度も足を運びたくなる場所になるかもしれません。実現するのが楽しみです。

文・此松武彦

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