江戸時代の天明年間(1781-1789)に熊本・玉名で製飴業として創業。後に肥後藩の物流拠点として栄えていた川尻地区に移り、時代の流れに応じて業態を変えながら食にまつわる様々な事業を営んできた「天明堂」。
和菓子職人歴50年以上の7代目・北川和喜さんが長年守ってきたこの店は、2019年10月、8代目の北川広美さんに親子承継されました。
一度は日本を離れ、メキシコで暮らしていた広美さんが、現地で出会ったご主人・サウルさんとともに帰国し、事業承継するに至った経緯ついて、お話を伺ってきました。
当初は1年間の期間限定で帰国。いずれメキシコに戻る予定だった
中学2年生のとき、父・和喜さんが参加する予定だった研修旅行に代打で参加した広美さんは、渡航先のラスベガスで自身の進路に大きな影響を与える人物と出会います。
広美さん「ラスベガスでガイドをしてくださった日本人の女性がとてもパワフルな方で。私もこんな女性になりたいと憧れ、将来は海外で働くことを夢見るようになりました」
高校を卒業後、海外へ行くための資金を貯めるべく「天明堂」に入り、販売や配達・事務などの業務を担当。4年後、カナダへ旅立ちます。
広美さん「カナダの語学学校で出会った友人たちの多くがメキシコ人でした。ワーホリでしたので1年間はカナダにいる予定でしたが、メキシコ人の気さくで陽気な人柄に惹かれ、メキシコに移り1年近くをメキシコで過ごしました」
帰国後、旅行に携わる仕事がしたいと地元・熊本の旅行会社に入社し、国内旅行の添乗員になったものの、「やっぱり大好きなメキシコでメキシコの魅力を伝える仕事がしたい」と考え、再びメキシコへ旅立ちます。
広美さん「当時はメキシコを大きなハリケーンが襲った直後で、現地の人たちからは『今来ても仕事はないよ』って言われていたんですよね。
でも居ても経ってもいられず、仕事が見つからなかったら帰ってくればいいかという気持ちで現地へ向かったんですけど、運良く仕事が見つかり、6年ほど現地でガイドの仕事をしていました」
ガイドとして多忙な日々を過ごしていた広美さんですが、豚インフルエンザの流行やハリケーンなど、自分たちではどうしようもできないことで、仕事が脅かされる旅行業界に不安を覚え始めます。
広美さん「そろそろ、違うことを考えようと思っていたときに、実家でお菓子づくりを学んで現地で販売できたらいいのでは?といったことを考えるようになりました。
ちょうどその頃、主人と出会い結婚。2011年春、1年間という期限を決めて一時帰国したんです」
売上を伸ばすことを考え続ける7代目と、経費削減や効率化を進めようとする8代目が対立!
帰国した広美さんは、『天明堂』の状況を目の当たりにし、かなり驚いたそうです。
広美さん「両親は365日休みなく働いていて、とにかく忙しそうでした。母は経理も資金繰りも1人でやっていて、ときにはお店にも出なくちゃいけなくて。
母の仕事を一つひとつ紐解いていくうちに、大変な状況になっていることが見えてきたのです。主人に『もう少し残ってサポートしたい』と相談し、帰国を延長することにしました」
本格的に『天明堂』の経営に携わるようになった広美さんですが、経営に関しては素人同然だったので、イチから勉強したと言います。
広美さん「経営を勉強し始めると、意外と面白いと感じるようになりました。大変な状況だったため、私が何とかしなくちゃという想いも強かったのかもしれません。いろいろ学んでいく中で、私も父に意見することが増えてきたのですが、父と私の考え方は全く違いました。
私は経費を削減して経営を立て直そうという考えだったのですが、父は『そんなネガティブなことよりも、売上を伸ばすことを考えないといけない』と言うのです。
私の意見を飲むことは自分がしてきたことを否定することになると感じたのでしょう。父は事業を拡大し売上も伸ばしてきましたが、一方で経費が嵩んでいたのです。社長である父が“うん”と言ってくれなければ、私は何もできません。次第に早く代替わりして欲しいと考えるようになっていきました」
2015年頃から事業承継を考え始めた広美さんは、和喜さんに相談したところ、意外なことに「代替わりをするのは構わんよ」と言われたそうですが、多忙な日々を過ごす中でタイミングを逃し続けていたそうです。
経営者は変わったものの、先代は職人として現場に立ち、技術や知識を伝え続ける
事業承継を考えはじめて3、4年ほど経った頃、そのタイミングが訪れます。
広美さん「2019年の春ごろ、事業承継の補助金の存在を知りました。父が先々代から事業を受け継いだのは40歳のときで、私自身も40歳になる年だったんですよね。令和元年というのもキリがよかったですし、父と相談してこのタイミングで承継することを決めました」
2019年10月、『天明堂』の当主は広美さんになったものの、和喜さんは現在も職人として現場に立ち菓子づくりを行なっています。一方広美さんは、効率化や経費削減など、以前から取り組みたかったことに全力を注いできました。
広美さん「私は職人でないことが強みだと思っています。というのも、職人は自分で作り上げた商品への思い入れが強く、ずっと置いておきたいと考えてしまいがちなんですよね。
新商品を作ればつくるほど、アイテム数が増え製造効率も悪く在庫も増えてしまうのです。和菓子だけで30〜40ほどあった商品を10〜15にしぼり、単価も見直し必要に応じて値上げを行ないました」
広美さんはさまざまな業務改善を行なっていきましたが、変えなかったこともあります。それは、小ロットのオーダーや直前の注文も可能な限り受け入れること。
ケーキが苦手な人のお誕生日を和菓子でお祝いしたい、紅白饅頭を作って欲しいといった、お客のさまざまなニーズに事細かに応えてきたことで信頼を培ってきたからこそ、そこは守り続けたいと考えたそうです。
また、職人である和喜さんが使いたい素材は変えていません。もちろん、仕入先に仕入れ値の交渉はするものの、商品の質を落とすことのないよう、企業努力を続けているのです。
守るべきことは守りつつ、新しいモノを取り入れながら進化し続ける
事業承継を行なって2年と少し。広美さんは承継以前と現在の変化をこう語ります。
広美さん「経営的なことは自分の判断でできるようになりました。以前は『ここをこう変えたい』と父に相談しても、頭ごなしにNOと言われていましたが、承継してからは任せてくれていると思います。
これまでは経営面の立て直しに注力してきましたが、これからは『天明堂』や和菓子の魅力を伝えていくことにも積極的に取り組んでいきたいと思っています」
先述したように、広美さんは職人としての経験はありません。職人ではないからこそ、客観的な視点で商品の魅力を感じられるといいます。
広美さん「職人たちが当たり前だと思っていることも、技術力の高さや素材の良さなど、私から見ると凄いなと感じることがたくさんあります。たとえば、『天明饅頭』は最後、手作業で仕上げるんですね。
職人に聞くと『昔からこのやり方やけんね』と言うけれど、機械では出せないほろほろとした食感は、この製法だからこそ生まれるものです。店頭に立つ私たちはお客様に、そのような付加価値を伝えていくことが大切だと考えています」
『天明堂』としての付加価値をお客様に伝えると同時に、広美さんは、お客様の喜びの声を現場に伝えることにも取り組んでいます。
広美さん「店頭に立つ私たちは、お客様から『ありがとう』『美味しかったよ』という言葉を直接いただけますが、製造部門のスタッフはその声を聞くことができません。現在は朝礼でお客様の声を伝えたり、いただいたお手紙を回覧したりしながら、お客様の声を伝え製造部門のスタッフのモチベーションアップにつなげています」
最後に、今後の展望について話していただきました。
広美さん「人数を増やすとか、店舗を増やすといったことは考えていません。まずは今いるスタッフで、手づくりの良さを活かしつつ、必要に応じて機械を使ったり、SNSを活用して多くの人に情報を届けたりしながら、もっと効率よく多くの人に商品を届けられる環境を整えていきたいですね。
EC事業や工場内部の多能工化など、まだまだやりたいことはたくさんあります」
親子承継の場合、そのタイミングを決めるのはなかなか難しいものです。一般企業のように定年がないため、元気でいるうちは現役でいたいと考える親世代も少なくありません。
『天明堂』の場合は、補助金がきっかけとなり事業承継に至りましたが、広美さんは、職人であればモノづくりに専念できる、資金繰りなどの心配をしなくていいなどの「先代にとってのメリットを伝えることが大切」と話してくれました。
天明年間の創業から、時代の流れに応じて柔軟に変化し続けてきた『天明堂』。これからも、伝統を守りつつ、新しいことも柔軟に取り入れながら、さらなる進化を続けていくことでしょう。
文・寺脇あゆ子