武家屋敷の門構と石垣、歴史香る城下町。そんな風情ある町並みが残る日南市飫肥。宮崎県のなかでも屈指の観光スポットです。
そんな城下町の通りからひとつ入った通りにある焼肉屋「幸三」。上質な宮崎牛を薄くカットした「炙り焼肉」などが人気の、飫肥に1件しかない焼肉店です。
店主の坂本幸三さんは宮崎の有名精肉店で長年精肉を扱っていた目利きのプロ。2018年に後継者がおらず廃業危機だった焼肉店「牛太郎」を承継しました。
「神様の思し召し」だと思った運命の申し出
宮崎ではおなじみの「焼肉のタレ」で有名なスーパーで10年働いていた坂本さん。長年精肉を扱っており肉の扱いには自信のある坂本さんでしたが、焼肉屋の承継話は降って湧いたような出来事でした。高齢により閉店を考えていた当時のオーナーから、突然承継の話を持ちかけられたのです。
坂本さん「たまたま牛太郎に飲みに来たら、突然オーナーに“店継いでみらんね?”と言われたんです。僕がスーパーで精肉をやっていることを知っていたんですね。実はちょうど同じ頃、僕が勤務している店舗が閉じることが決まっていたんです。せっかく肉のことも覚えてこれからどうしようかなと考えていたところだったので、タイミングの良さに驚きました。
スーパーでの経験から精肉のことはよく知っている。仕入れや盛り付けなど、お客さんに提供する肉に関しては自信がありました。そして僕は飫肥生まれの飫肥育ち。こうして飫肥でご縁をいただいたことは、神様の思し召しだと思いました」
「俺のために借金させてほしい」
前オーナーからの申し出に運命を感じた坂本さん。新たな挑戦をしたいという想いを、家族も受け入れてくれました。
坂本さん「妻に“今から借金しないといけないんだけど今度は俺のために借金させてほしい”と相談をしました。妻が“本当にやりたいの?”って言うので“やりたい”と言うと背中を押してくれて」
じゅんこさん「いやいや事後承諾でしたよ(笑)。男は楽天的ですよねぇ。大丈夫やが、なんとかなるっちゃがって言って(笑)
何の因縁かはわからないですけど、10年前にも“俺は焼肉屋がしたい”って言ってたんですよ。でもその頃は肉の知識もなかったし子どもも手が離れておらず現実的な話ではありませんでした。それが今になって、店主さんが声をかけてくださった。なるべくしてなったのかなと思いました」
奥様の強力なバックアップを得て、夫婦二人三脚ではじまった初めての経営。ある程度機材は以前のものを使用し、床や壁などの内装は息子さんたちとDIYしました。
店名に名前が入れば「嘘がつけない」
坂本さん「地元の同級生が6,7人来てくれて、DIYや片付を一気に手伝ってくれました。換気口にレンガを貼ってくれたりね。友達のおかげです。以前の職場や消防団の活動、兄弟のつながり、皆さんに応援していただいてオープンまでこぎつけました。のつながりは宝ですね」
店名は「牛太郎」から「幸三」へと変更。こうして2018年10月14日に「幸三」がオープンしました。
坂本さん「最初は店の名前も変えないつもりだったんですよ。でも先代も“変えんかいよ”と言ってくれていて、友人たちにも変えたほうがいいと言われました。はじめは変えたくなかったので、飲みながら喧嘩で押し問答を繰り返しましたね(笑)
でも名前が前のままだったら雇われオーナーのように思われるし、ちゃんと責任をとる意味でも名前を変えることにしました。自分の『幸三』という名前をだせば嘘がつけないですわ。幸三っていう名前にすれば自信もつくし、幸せも入ってるからいいかなって」
初めての接客や掃除にあくせくした初期
こうして始まった「幸三」の運営。2018年9月まで「牛太郎」が運営していたため、オープンまでの半月でノウハウを引き継ぎました。初めての経営は苦労の連続だったといいます。
坂本さん「肉の方の切り方や盛り付けは、元々知識があったので全く問題なかったです。そういう技術面よりも、出し方や片付けかた、接客のほうが覚えるのに時間がかかりましたね。僕も初めての商売だからおどおどなるんですよ。満席になったら対応が間に合わなくていっぱいいっぱいでした。」
じゅんこさん「やるまで分からなかったけど、焼肉屋さんの焼き台は油もすごい飛ぶので、もう鉄板洗いとお掃除のループ。100均でもなんでも色々なお掃除シートを試して最善策を追究しました。最初は夜中2時3時まで掃除したりもしていましたね。素人でそういう掃除をしたことがなかったので、本当に大変でした」
汁物などのレシピはオリジナルに変更。元々あるものを足したり引いたりしながら今も改良を続けています。
じゅんこさん「なるべく地元の野菜を使うようにしていて、ハウスをやってる生産者の友達が分けてくれることもあります。コロナで営業自粛している間に、自分たちで野菜を育てたりもしました。2年経ってようやく精神的な余裕ができてきたかなと思います」
「飫肥に焼肉屋があってよかった」の言葉が嬉しい
承継してから2年半。「牛太郎」からの常連もいれば、「幸三」になってからの新規客も。「幸三」は次第に坂本さんの色に染まってきています。
坂本さん「焼肉屋が飫肥に一軒しかないんですよ。だから“飫肥に焼肉屋があってよかった”って言われると、継いでよかったという気持ちになります。2年半やれてきたのは、みんなに応援してもらっているおかげ。商売は正直にマジメにしておかないと、嘘ついたらだめなんですよ。肉の10gだってごまかさない。信頼して来てくれるお客様を裏切らない。それがうちのこだわりですね。
コロナ禍で飫肥の街も真っ暗になった時期もありました。でも人は食べないと生きていけませんから。僕はやっぱり飫肥の街が好きなんですよ。食で飫肥のまちを元気にしたい。これからも飫肥のためにできることに全力を尽くしたいです」
55歳で事業承継という形で夢を掴んだ坂本さん。愛する飫肥を盛り上げるため、これからも「まじめに正直に」美味しいお肉を提供し続けます!
文・齋藤めぐみ 写真・川添楓