事業承継ストーリー

「関東圏の銭湯を盛り上げたい」。銭湯を愛する若者が「喜楽湯」を承継

首都圏の「本当に住みたい街ランキング」で、2連覇を果たした埼玉・川口。住み心地の良さで人気を集める川口に、若者が集う銭湯、喜楽湯(きらくゆ)があります。

「昔から銭湯が好きだった」という現店主の中橋悠祐さんが、経営を引き継いだのは2016年4月のこと。家族経営が多いという銭湯業界に入ったきっかけについて、中橋さんにお話しをうかがいました。

銭湯に関わる仕事がしたいという想いが繫いだ、人との出会い

小さい頃から父親に連れられて、よく銭湯に行っていたという京都出身の中橋さん。就活のタイミングで、自分が好きなことで向いていそうな業種は何かと考えた時に、真っ先に銭湯を思いついたといいます。

中橋さん「自分の好きなことを考えた時に、小さい時から通っている昔ながらの銭湯を思い出しました。銭湯はどんな町にもあるし、空間を利用する今だからこその使い方があるのではないかとぼんやりと思ったんです。

当時は関東圏にこだわっていたわけではなかったんですが、2012年に上京するタイミングがあって、東京の阿佐ケ谷に住むことになりました。JR中央線には昔ながらの銭湯がたくさんあって、下町っぽい雰囲気が好きです」

その後東京で銭湯に関わることのできる仕事を探していた中橋さんは、銭湯業界の活性化を目的としたWEBメディア「東京銭湯」と出会います。

中橋さん「京都も東京も銭湯はありますが、昔ながらの銭湯に通う若者は少ないと当時から思っていました。銭湯に関わる何かしらの仕事がしたい、銭湯をもっと盛り上げたいと思って、いろいろな人にその話をしていたら、行きつけのバーの店主が『東京銭湯』の主宰の日野さんを紹介してくれました」

そうして銭湯業界の活性化を目指していた日野さんと出会い、中橋さんはWEBメディアの立ち上げに参加。2015年に「東京銭湯」ができてからは、銭湯にあまり馴染みのない若年層をターゲットに、東京を中心とした銭湯情報を配信していました。

毎日必死だった引き継ぎ期間

敷地内の裏にある釜で、薪を使って湯を沸かしている

そんな中橋さんのもとに、喜楽湯の番頭への誘いが舞い込みました。もともと1950年代から家族経営で続けてきたという3代目のオーナーが、日野さんに相談をしたことがきっかけでした。

中橋さん「当時のオーナーは、荒川区の銭湯『梅の湯』も経営していて、喜楽湯の番頭を任していた方が辞められたタイミングでした。それを機に喜楽湯の経営を『東京銭湯』に継承していただきました」

梅の湯が改装工事をしている1カ月の間、中橋さんは当時のオーナーに銭湯のいろはをたたき込まれたといいます。

中橋さん「番頭を任されたのは僕のほかに、今は銭湯『十條湯』を運営している湊研雄と2人のみ。研雄は銭湯でアルバイトをした経験があったのですが、僕は全くの初心者で、始めの頃は毎日必死でした。

未経験だったものの、『銭湯に関わる何かしらの仕事ができる』という部分にパッションがあり、勢いで番頭に名乗り出ました」

二人三脚で銭湯経営をスタート

喜楽湯を引き継いだ当初の中橋さんと湊さん(写真提供=喜楽湯)

知り合ってすぐに意気投合したという中橋さんと湊さんは、1カ月の引き継ぎ期間を終え、2016年4月に喜楽湯の新しいスタートを切りました。

喜楽湯は1950年代から運営されており、今でも井戸水を使用し、薪で湯を沸かすというスタイルを一貫。家の解体などで出た廃材を業者から譲り受け、それらを自分たちで電動ノコギリなどを使って薪にしています。

中橋さん「当時は2人とも住み込みで毎日働いていました。接客や掃除だけでなく、薪の準備や釜の管理など、お客さんとして銭湯を利用していた時には知ることもなかった裏の仕事がたくさんありました。月曜日は定休日にしていましたが、唯一の休みも銀行に行くなど、やらなければならないことが山積みでした」

売り上げは思うように伸びず、休みもなかなか取れずで銭湯経営を始めてからは大変なことも多かったが、湊さんと二人三脚で楽しく乗り越えていけたという中橋さん。自分たちならではの銭湯作りを意識したといいます。

中橋さん「お客さんが打ち解けるように、接客を丁寧にすることを心がけました。若者にもっと銭湯の良さを知ってもらいたいという想いが根底にあるので、空気感を若返らせようと内装や飲み物を変えたり、イベントを企画したり、SNSで発信したり、グッズを販売したり……。『お、なんか面白いことをしている銭湯があるぞ』と思ってもらえるような仕掛けを打ち出していきました」

男湯にはマンガを置いたり、女湯にはスキンケア用品を充実させたりと、休憩スペースも工夫した

地域を巻き込んで楽しさを伝えた

スタートした当時は、親族ではない若手が銭湯を引き継ぐケースが珍しかったことと、銭湯が徐々にメディアで取り上げられることが多くなり、噂が噂を呼び、10代20代が集まるようになった喜楽湯。スタートから1年を過ぎた頃にはアルバイトも加わり、銭湯に関心を抱く若者が増えていったといいます。

中橋さん「イベントやSNS、グッズ販売など、新しい挑戦をして興味を持ってもらうだけでなく、面識がないご近所さんにも常に挨拶をして“地域と関わること”を意識していました。そうすることで、地元の方を巻き込んでまた新しいイベントができたり、テレビや雑誌で取り上げてもらったり、自分たちが楽しんで銭湯を盛り上げていたら、おのずと知ってもらえるようになりました」

2017年9月には共に喜楽湯を盛り上げてくれている看板猫タタミくんも加わった

2020年に自らが代表になり心機一転

順調に売り上げを伸ばしていた喜楽湯でしたが、2020年はコロナウイルスの影響で客足が減って厳しい状況が続きました。人気の無料サウナも第1回目の緊急事態宣言中は自粛することに。

加えてコロナ禍になる前から、東京銭湯が喜楽湯の経営から離れることが決まっており、2020年10月からは中橋さんが「わきみち社」に社名を変え、喜楽湯の経営をスタートしました。

中橋さん「コロナ禍で売り上げが低迷しているタイミングで引き継いで、とにかくやるしかない!と、イベントを打ち出しまりました。クラフトビール店やお粥屋、ハンバーガー屋とコラボするイベントや親子ヨガや親子風呂などの親子イベントもやりました。そしたら売り上げも回復できたし、お客さんの層もより若くなった。

遠出を避け、ステイホームが叫ばれるいま、もっと地域に根ざした日常使いできる銭湯になればと思っています。じわじわ地域にとけこんで、日常の延長線上にある非日常を体感してもらいたいです」

イラストレーターとコラボレーションしたTシャツやタオルなどのグッズを展開

そんな中橋さんの今後の目標は、関東圏でさらに店舗を展開していくことだといいます。

中橋さん「信頼できる地元の若者に、喜楽湯の運営を任せていきたいと思っています。地域の人とコミュニケーションをとりながら、町を盛り上げていくような存在になっていけばいいなと。会社としては店舗拡大しつつ、どんどん若い世代に引き継いでいきたい。やっぱり中央線が好きなので、中央線近辺の銭湯をいつか扱いたいと思っています」

銭湯に馴染みの薄い若い世代に、各地域を活気づけてほしいと期待を寄せる中橋さん。関東圏に住む若者たちが、どのように町の銭湯を盛り上げてくれるのか、これからが楽しみです。

喜楽湯 HP

文・久保田亜希

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