「学生時代に何度も食べたあの味。ひとくち食べれば、あの頃の気持ちまでよみがえる」
多くの早稲田大学生にとって、そんな思い出の味になっているのが、カレーの名店「メーヤウ」です。激辛の中に旨味がぎゅっと凝縮されたカレーは、多くのファンに愛されています。
しかし、2007年に突如として閉店。再オープンは難しいと思われたメーヤウでしたが、新たな地で「早稲田メーヤウ」として見事復活を遂げました。先代店長から味を受け継ぎ、運営会社代表に就任したのは高師雅一さん。学生の頃からメーヤウを愛し続けてきたファンのひとりです。
平日は別の会社でプロダクトマネージャーとして働く高師さん。仕事をしながら先代の元に通い続け、ついに事業承継が実現しました。今回は、メーヤウを愛する人たちの力でお店の復活に繋がったストーリーに迫ります。
生活の一部だったメーヤウのカレー
高師さんは2007年に早稲田大学に入学。まもなくメーヤウのカレーと出会い、そこから10年以上、数にして1000皿以上を食べ続けてきました。
高師さん「サークルの先輩に『おごってやるよ高師』と連れていかれて食べたのが初めての出会いでした。見た目はあんまり辛くないんですよ。なので普通のカレーを食べる気持ちで食べたら激辛!『ハメられた…』って思いました(笑)早稲田の学生にとっては通過儀礼みたいな感じだったんですよね。そこからハマって通うようになったんです」
高師さん「社会人になっても、週に1回は絶対に食べに行っていました。平日に溜まった疲れを、土曜日の午前中にメーヤウを食べることで解消して、自分のバランスを整える感じ。メーヤウのカレーはめちゃくちゃ汗をかくんですよ。頭皮から汗が吹き出るくらいで、それがたまらない。完全にルーティンになっちゃってました」
生活の一部と言っていいほどメーヤウを愛し、カレーと共に過ごしてきた高師さん。ところが、突然その日々は終わりを迎えます。
突然の予期せぬ別れ。メーヤウの閉店秘話
2017年、衝撃のメーヤウ閉店。リニューアルのために一時閉店したきり、なんとそのまま完全にお店がなくなってしまったのです。
高師さん「はっきり閉店しますと言われていたら、悔いのないよう通い詰めていたと思います。1,2ヶ月したらまたオープンすると思っていたので、それもできず、心にぽっかり穴があいたような気持ちでしたね。似たような味を探してカレー屋さんを巡ったけれど、あの味は見つからなかった」
高師さん「一度だけ、キッチンカーで復活する日があったんです。オープンの2時間前に着いたのに既に行列で、もしかしたら食べられないかもって言われたくらい、全国から人が集まっていました。並んでいる時に、常連さんと店長の高橋さんの会話が聞こえて、『なんで潰れちゃったんですか』という質問に、高橋さんは『後継者がいなくて』と答えていました。
有名な企業からお店を譲渡してくれないかという話があって、それで一時閉店したみたいなのですが、その企業が不祥事を起こして契約前日に音信不通になってしまったそうなんです。結果、メーヤウは負債を抱えて、後継者もいなくて、高橋さんの心はぽっきりと折れてしまったと知りました。『もう誰も信じられない。メーヤウは終わり』だとおっしゃってました。
それなら僕が復活させたいと思ったんですが、キッチンカーの現場では勇気が出なくて言えず、後からTwitterで連絡してみたんです。そしたら、『復活はしない予定です』と短い文章ではっきりと断られてしまいました。高橋さんの意志は強かったです。本当に、メーヤウは終わってしまうんだなと思いました」
奇跡のような電話が、復活への道を開く
しかし、思いもよらぬ出来事が起こります。ある日、高師さんのスマホにFacetimeで着信があり、画面には高橋さんが映っていたのです。
高師さん「お互いに電話番号を知らなかったのに、なぜか繋がったんです。高橋さんからかかってきたはずなんですが、高橋さんは僕からかかってきたと言っていて。不思議ですよね(笑)でもそれがきっかけでまた話せる時間ができました。
最初はやっぱり『復活はしません』って切られそうになったんですけど、キッチンカーの現場で声を掛けられなかった後悔とか、メーヤウへの気持ちがわーっと湧いてきて、気付いたら『一度でいいので会ってください』と言っていました。この通話が切れたらメーヤウは本当になくなってしまうと思ったんです」
それから何度も高橋さんのもとへ訪れた高師さん。会社でフルタイムで働きつつ、合間をぬってプレゼン資料を作り、提案を続けました。お店をたたむ意志が強かった高橋さんでしたが、「ここまでする人はいなかった」と熱意に少しずつ心を動かされ、ついに事業承継が決まったのです。
時にはぶつかりながらの復活準備。ファンからの支援で実現
やっとの想いで繋がった復活への道。新たな工夫もどんどん取り入れていきました。
高師さん「昔とは時代も違うし、場所が変わってお客さんの層も変化していますから、新たな環境で続けていくための工夫をいろいろ考えました。ファンが継いだのにまた潰れてしまったら悲しいじゃないですか。キャッシュレス決済を可能にしたり、レトルト開発、価格改定もしました。
先代の高橋さんとは、新しいやり方について議論になることもよくありましたね。ずっと続けてきたやり方がありますから、高橋さんとしてはそれを変えることに対して”効率的かもしれないけど、お客さんは喜ぶのか”といった心配はたくさんあったと思います。これまでのメーヤウと高橋さんへのリスペクトは忘れず、残す部分と変える部分を時間をかけて考えていきました」
居抜き店舗の改装費用やレトルト開発費用は、それぞれクラウドファンディングで支援を募りました。改装費用は312人の支援で420万円以上が集まり、レトルト開発費用は409人の支援で190万円近くが集まりました。
高師さん「早稲田大学の周辺には昔から、安くておいしくてボリューミーな”ワセメシ”がたくさんあります。その代表格だったメーヤウがなくなって、思い出の味がなくなってしまったOBの方もいたと思います。支援も多くいただきましたし、感謝の言葉もたくさんいただきました。
僕は平日は会社で働いていますし、店長の高岡さんも他のお仕事と両立しながらなので、お店を開けられる日は限られているんです。それでも売上が安定しているのは、レトルトを開発して通信販売できたのが大きいですね。早稲田OBをはじめとする、高橋さんが作ってきた全国のファンの皆さんのおかげです」
場所が変わっても、早稲田の学生に届けていきたい
早稲田大学から少し離れた場所に移り、価格も少しリッチになった早稲田メーヤウ。今のお客さんは社会人の方が多いといいます。
高師さん「最近では大学生協とコラボして、学食での提供を始めました。母校には感謝の気持ちがあるので、今の学生さんにもメーヤウを知ってもらって、食べてもらえると嬉しいです。いずれは学生さんにもやさしい価格のメニューを作りたいですし、生協食堂での提供のように場所の工夫も続けていきたいですね」
高師さん「お店を継ごうと思ったきっかけは”自分がメーヤウカレーを食べたい”だったけれど、今はいろんな人に食べてもらいたいと思っています。何回か食べるとハマっていく種類のカレーとは違って、メーヤウは初めて食べた瞬間に好き嫌いがハッキリ分かれるんですよ。
好きな人は、僕のようにライフスタイルの一部になるくらいハマっちゃう。そんな人が増えたら嬉しい。だからまずは一口食べてもらいたいんです。経営のことを考えると、味についてもいろいろ思ったりはしますよ、『大衆受けするように辛さを抑えた方がいいんじゃないか』とかですね(笑)でも、それではメーヤウが好きな自分と相容れなくなる。経営者の自分と、メーヤウファンの自分のバランスは難しいですけど、味だけは変わらず守っていきたいですね」
早稲田の学生の思い出の味、メーヤウ。現役生たちの胃袋もぐっと掴んで、きっとまた次の世代へと繋がっていくことでしょう。
文・紡もえ