事業承継ストーリー

伝統に一手間加え新たな価値を創る。家業を継いで人生を豊かに楽しむ3代目の挑戦

水産物を活かした魅力的な企画で全国から注目を集める「株式会社下園薩男商店(しもぞのさつおしょうてん)」。日本有数の丸干し産地、鹿児島県阿久根市でウルメイワシ丸干しの加工販売を中心に82年の歴史を紡いできました。

3代目を継いだのは先代の息子である下園正博さん。下園さんは水産業の既成概念にとらわれず、丸干しのオイル漬け「旅する丸干し」の開発や複合施設「イワシビル」オープンなど新しいことに次々とチャレンジし、様々なメディアに取り上げられています。

「近い将来、干物は売れなくなるかもしれない」という危機感を持ちながらも、学生時代に家業を継ぐことを決意した下園さん。その背景にあったのは「自分にしかできないことやるのが楽しい」という気づきでした。

家業を継いだら人生が楽しくなるのではないか

株式会社下園薩男商店・3代目の下園正博さん

「継ぐな」と先代に言われ育った下園さん。家業を継ぐつもりはなく、IT業界が伸びだした頃には「自分も会社を作ってお金持ちになりたい」と考えます。しかし大学生活を送るなかで、そんな現状をふとつまらないと思うようになったと言います。

下園さん「じゃあ自分は何をしていくのが楽しいんだろう?と考えた時に『自分にしかできないことをやるっていうのが楽しいんじゃないか?』と思い始めました。自分にしかできないことを探していくうちに、自分は丸干し屋の長男だというところに行き着いたんです。

父は自分の代でこの事業は辞めると言っていましたが、祖父は自分に継いでくれと言ってくれていました。やっぱり自分が家業を継ぐべきなんじゃないか、そうすれば自分にしかできないことができて、人生が楽しくなるんじゃないか。大学2年生になると、そんな風に意識して過ごすようになりました」

苦手分野で苦労し、得意分野で楽しむスタイルに行き着いた

最終的には家業を継ぐつもりで、まず進んだのは好きだったITの道でした。がむしゃらに働き、2年目には同期の中でもトップクラスの受注金額の仕事量をこなすようになるものの、「水産業で一回働いた方がいい」と考え流通も学べる商社に転職します。

下園さん「就職支援相談では、ゆくゆくは実家に帰るっと言っちゃダメですとアドバイスされたので、面接で『鹿児島出身で下園って言ったら、下園薩男商店って知ってるか?』って聞かれても隠していました」

水産業を経験するために転職を決意した下園さん。転職直後は新しい仕事に苦労したと話します。

下園さん「最初、魚の営業は簡単だって思っていたんですよ。ネットで安いところの情報を調べて、高いところを探して売ればいいくらいに思っていて。でもいざ入ってみると、情報は調べても全然出てこないんです。たとえば北海道産の何かだったら、現地で実際に漁っている人と仲良くなって電話で教えてもらわないと、情報がでてこないとか。

自分は接待とかが苦手なタイプだったので、そういう営業は全然できなくて。会社での成績が振るわず、胃潰瘍で入院したり本当にきつかったです」

転職して3年目、「担当もいないから」と任された取引先が転機になります。

下園さん「大手量販店の惣菜売場を担当することになって、スーパーのお惣菜のメニュー開発をして資料を作ると、すごく評価してもらえました。お寿司のトレーって真っ黒だったんですよ。それを赤と黒と金色のド派手なトレーにして10巻298円でという商品を作ったんです。それがすごくヒットして売り上げも増えて、社内で営業成績2位になって、利益率は1位になりました。

その時に変わっていったというか、自分の苦手な分野で勝負していくよりも、得意分野の方がやりやすいし楽しいと感じたんです。自分のスタイルを大事にやっていかないといけないなと気づいてから、だいぶ良くなりました。本当は2年で辞めて帰ろうと思っていたんですが、5年かかりました」

Uターン後、危機感でつのる怒り。辞めていく社員たち

商社でも結果を出して、満を持して鹿児島に帰った下園さん。肩書きなしの一般社員として下園薩男商店に入社します。

下園さん「引き継ぎとかは一切なかったんです。経営のことは一切教えてくれないというか、教え方がわからないというか。丸干しをどうにかしないといけない、下園薩男商店をどうにかしないといけないという思いが一番強かったですね」

家業に帰ってきた当初は、社員の方との関係性で苦労したと言います。

下園さん「いろんな社員さんと一緒に仕事をするんですけど、仕事に対するスピード感が全く違うので、毎回カリカリしていました。それで喧嘩じゃないけど、よく怒ったりしてたんですよね。それでやめてしまった人たちもいます」

チームとして働くことに課題を感じていた下園さん。そんな中、ある商品の開発から「共感」にヒントを見出します。

偶然の出会いで気がついた、人を動かす「共感」の力

イワシを開かずに、そのまま乾燥させた丸干しを、世界の国々をイメージしたオイルにつけた「旅する丸干し」。品質の高さから2014年には天皇杯を受賞します。

下園さん「東京に居た時から『このままだと丸干しは30年後なくなるかもしれない』『今現在丸干しを知らない人にどうやったら食べてもらえるか』をずっと考えていました。この考えがきっかけで生まれたのが『旅する丸干し』です。苦味が少なく、食べやすいウルメイワシの丸干しを、世界の国々の味をイメージしたオイルに漬けた逸品です。まるで日本の丸干しが世界を歩いているよう…というイメージから、『旅する丸干し』と名付けました。

それから『旅する丸干し』を開発して販売する直前に、イタリアンのシェフを経験した同じ高校出身で同学年の方がたまたま面接に来てくれました。そして商品にも共感してくれて。それで、うちの会社はこういうのを目指してますという見せ方をもっとちゃんとやれば、いろんな人が入社してくれるかもと気づきました」

同時期に参加した鹿児島県庁のセミナーも、下園さんがチームについて考えるきっかけになりました。

下園さん「ちょうどその時、『旅する丸干し』をブラッシュアップするセミナーを鹿児島県庁が開いてくれて、そこで知り合った方の紹介で中小企業家同友会に入りました。経営や社員のためにどうするかを勉強して、だいぶ変わったように思います。

仕事としては成り立っているけど働く人がいないという時代にこれからなっていくはずなので、若い子たちがここでこういうことしたいって思うような会社にしたいと改めて感じました。だから若手でやりたい人がいたら、任せてやってもらうようにしています。それが新規事業だったり、ジビエソーセージや『パーティータイム』というクラフトコーラ作りもそうなんです」

別の業態にも挑戦!無茶振りから始まった複合施設の運営

業界の未来を見据えて、下園さんは新しい業態への挑戦も仕掛けています。

下園さん「若い人が丸干しを手に取ってくれないと、20〜30年先には残らなくなってしまいます。減少幅を緩やかにしていきながら、別の業態も伸ばしていかないといけない。だからこそ、いろいろなことをやっています。別業態での新しい取り組みの1つが『イワシビル』です。

イワシビルは下園薩男商店のショップ、ほっと一息つけるカフェ、その地域らしさをイメージしたホステルがある3階建ての複合施設です。『いつかお店を持たなければ』と感じていた時に、父がビルを買い『お前が何するか考えろ』と無茶ぶりを受けたことがきっかけで、始めました。今では売上の10%くらいが海外輸出で、イワシビルの運営も10%くらいに伸びてきたんです。

まずはコンセプトを自分の中で考えて、A4用紙3枚くらいにまとめました。それをプランナーや設計士、施工会社とすり合わせ、毎月1回話し合いをして作っていきました。大変な部分もありましたが、自分のやりたいアイデアを形にできるので、楽しかったという想いのほうが強かったです」

もし主力事業がなくなっても生き残るには?得意分野で楽しくたくらむ

自然に頼る部分も多いため、下園さんは最悪の自体も想定しながら事業を進めています。

下園さん「2年前には魚がほとんど獲れなくて、7割くらいの商品が欠品したこともあったんです。その直後にコロナ渦がきたので、すごくきつかった。全く獲れない可能性もゼロではないし、いずれそうなるだろうなと思っていたのが急に来たので、準備しておかないと。帰ってきて10年経ちますけど、そのスピードが遅かったなと少し後悔しています。もしも来年全く獲れなかったら、というのを頭に入れて動かないといけないなって思っています」

主力事業が直面する数々の逆境を、楽しく乗り越えていく下園さん。次はどんなことを仕掛けていくのか、楽しみです。

文:板村成道

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