酒好きの聖地、赤羽。乾杯の声が響く駅前から少し離れた住宅地に、70年以上の長きにわたり地域で愛されてきた酒屋があります。その名も「三益酒店」。全国の地酒にこだわった品揃えが魅力で、併設された角打ちスペースは日々多くのお客さんで賑わいます。
店を切り盛りするのは、3代目店主の東海林美保(しょうじみほ)さんと妹2人の三益三姉妹。今では三姉妹の明るい声が響く三益酒店ですが、ここが彼女たちの居場所になるまでの道のりは、相当に険しいものだったといいます。店主の東海林さんに、事業承継の物語を伺いました。
「個性的な親父の店」だった三益酒店
三益酒店の創業は1950年。酒類販売の免許があれば、同じ地域で競合が店を始めることはなく、酒屋が守られていた時代だったといいます。しかし、二代目である父・孝生さんの時代に、酒屋を取り巻く環境は一変しました。
東海林さん「規制が緩和されてお酒がどこでも手に入るようになったんです。ディスカウントストアとか、コンビニとか、スーパーとか…。町の酒屋が生き残るには厳しい環境でした。悩んだ父が注目したのが、“地酒”。大量生産のお酒ではなくて、一般的な問屋さんには置いていないお酒に注目するようになったんです。」
「そんな時、父が旅行先で出会ったのが〆張鶴です。父は大学時代、部活の飲み会でたくさん飲まされた経験があって、若い頃は“お酒は味わうもの”という感覚が薄かったんですね。けれど、〆張鶴に出会って、そんなお酒観が変わるほど感動して。仕入れをしたいと新潟の宮尾酒造さんに電話しました。でも、丁重に断られてしまった。地酒の世界は、心が通じ合わないと卸せない世界だったんです。そこから父は地酒の世界に腰を据えようと決心して、苦労して仕入れ先を開拓していきました。努力の甲斐あって、だんだん地酒の店として知られるようになり、父を目当てに通うお客さんも増えていったんです。」
「いつかは継ぐ」を「今」に変えた、妹からのSOS
苦労しながら店を切り盛りする父の姿を見て育った東海林さん。「いつかは店を継ぐんだろう」という気持ちを持ちながらも、大学を出て会社員として働き始めます。そんなある日、次女・由美さんから電話がありました。
東海林さん「その頃は、体調を崩した母の代わりに、次女が父と二人で店をやっていたんです。でも父と話が合わなくて、かなりまいっていた。きつかったのは精神面だけじゃなくて、経営的にも、これまで経理の全てを担っていた母が抜けた店は厳しい状態でした。“お姉ちゃんはいつか戻ってくるって言うけど、その時にはもう店はないかもしれない”と言われて。当時の私は、職場の先輩のキラキラした姿を見て、自分もこのまま会社員のキャリアをしばらく歩むだろうと思っていました。けれど、次女のSOSを受けて、“いつか継ぐ”だった気持ちが“今帰ろう”という決意に変わったんです」
戻ってきた店には、居場所がなかった
東海林さん「戻ってきたら、店はぐちゃぐちゃで。接客スタイルも、企業ではありえないようなことがここでは当たり前だったんです。だから父に、直してほしいところを伝えてみた。でも父からは“生意気なことを言うな”と言われちゃう。うちは株式会社だから、父は上司で私たち姉妹は部下のはずですが、父からするとどうしても“家族”なんですよね。 “俺は今までこうやってきたんだから、そんなに言う程お前がすごいなら余所へいけ”とまで言われて。家のために戻ってきたのに…。喧嘩が絶えない苦しい日々が続きました。
父からは常々、“自分の居場所は自分で作れ”って言われていて。でも店に入った当時は20代だったから、お客さんのほうがお酒に詳しいんですよね。説明しても“知ってるよ!”ってことが多くて。父からお客さんの前で怒られることもあって、立場がなかった。耐えきれずに倉庫で泣いていたら、隣で次女も泣いてるんですよ。二人で、どうやったら私たちの話を聞いてくれる人に出会えるかな、居場所を作れるかなと考える毎日でした。」
毎週金曜日の間借りバーで、姉妹に光が当たる
苦しい日々の中、休日に入った飲食店での出会いをきっかけに、風向きが変わりはじめます。
東海林さん「平日の昼から渋いお酒を飲んでたら、オーナーさんが“若いのによくそんなお酒知ってるね”って話しかけてくれて、家が酒屋だって話したんです。酒屋ってお客さんが飲んでるときの顔が見えないから、反応が見られる飲食店って素敵ですよねって話もして。そしたら “じゃあ、やる?”って。毎週金曜日に、そこでバーを開けることになったんです。ママチャリのかごに一升瓶3本、後ろにも3本載せて、2駅先のバーまで通いました。そんな風に地道な活動を続けて三益酒店のブログで発信していたら、“個性的な親父の酒屋”から“姉妹が頑張っている酒屋”にお客さんのイメージが変わっていったんです」
その後、震災をきっかけに改装し、三益酒店に立ち飲みスペースが誕生。ホテルで調理師をしていた三女・美香さんも加わり、三姉妹が営む角打ちがどんどん賑わっていきました。
父がつないだ蔵との絆を、買い手につないでいく
晴れて居場所を手に入れた東海林さん。正式に代替わりし、三代目として父・孝生さんからバトンを受けとります。
東海林さん「承継して苦労したのは売り先の開拓でした。父は努力して仕入れ先を開拓してきたけれど、仕入れの契約をするってことは、蔵からしたら手塩にかけて育てた娘を嫁に出すような大きなことなんですよ。売れなかったからってそう簡単に離婚はできない。でも酒屋としては、現実的に売り上げがなかったら仕入れられない。コンスタントに買ってもらうことを考えた時に、売り先の飲食店の開拓が急務でした。姉妹で飛び込み営業もしましたが、最初は信用がないから相手にしてもらえなくて。今も頑張り続けているんですが、信用してもらうのには苦労しましたね。託してもらったお酒の良さを伝えながら、これからも信用をつないでいきたいと思います」
お酒の楽しさを次の世代にも伝えたい
現在はYouTubeやSNSでの発信にも力をいれ、お酒の楽しさを伝えている三姉妹。
東海林さん「コロナで角打ちができなくなってオンライン角打ちをやったのをきっかけに、“三益倶楽部”というのができました。三姉妹が選んだお酒を定期便でお届けして、zoom上で皆で飲むイベントをやるんです。今まで出会えなかった地方のお客さんとも出会えて、お客さん同士も仲良くなって、三益俱楽部の中で楽しいつながりができています。最近会員カードも作りました。グッズを作るのが好きで(笑)ロゴを作ったのを皮切りに、ユニフォーム、帽子とどんどん増えていきました。会員カードのイラストは、スタッフさんのお友達が描いてくれています。うちはご縁を大事に、心に残る酒屋を目指しているので、グッズ作成にも縁ある方に関わっていただいています。常連さんからも好評ですよ。」
「今後は、三益酒店を大人も子供も楽しめる場所にしていきたい。今は若者のお酒離れが進んでいますよね。メディアではお酒で失敗してしまった人の話なども取り上げられて、ネガティブなイメージがある人も多いと思う。でも本来はお酒って、人の誕生を祝ったり、亡くなった人を偲ぶ場にあったりする神聖なものなんです。お酒はダメなものではなくて、楽しいものなんだって伝えていきたい。そんな思いで、子供でも口にできる発酵食品の提供や、子供食堂を行っています。目の前が小学校なんですけど、街歩きにうちを使ってもらっていて、子供たちから“大人になったらここのお酒を飲みたい”って手紙をもらうことがあるんです。そう思ってもらえる場所であり続けたいですね」
ゆくゆくは赤羽駅前にはなれを作って、お酒の良さを発信していきたいと語った東海林さん。三姉妹の明るいエネルギーは、酒好きの町を照らし続けてくれることでしょう。
文・紡もえ