事業承継ストーリー

はじめて買った地酒の美味さに魅せられ馴染みの酒屋を承継。お酒を通じてお店のファンをつくる

福岡市と北九州市のちょうど中ほど、山々に囲まれ、かつては炭鉱の町として栄えた福岡県直方市。直方駅の北側に位置する須崎商店街のすぐ近くに、街でも数少ない酒屋「もんじ酒店」はあります。今、店先に立っているのは先代の頃から取引先としてしばしばお店に足を運んでいたという中川裕司さんです。もともとお酒好きだっただけでもなく、先代から声をかけられたことで徐々にお酒の世界に魅せられたそう。

近く、店舗は別の場所に移転予定で、新しい場所では広くて古いお屋敷を使って新しい試みを始める予定だという中川さん。なぜ酒屋を継ぐことにしたのか、その経緯について伺いました。

中川さん「もんじ酒店では九州のお酒を中心に取り揃えていて、中でも日本酒に力を入れています。業務用の卸売が7割、残りの3割が店頭販売と個人への配達ですね。実家が歩いてすぐそこにあって、父の手伝いでお店にはたまに来ていたんです」

業務用の販売が中心の酒屋では、卸先に行った際は注文されたお酒を届けると同時に、空になった一升瓶やビール瓶を持ち帰ることも仕事の一つです。中川さんのお父様は、それらを酒屋から買い、各酒蔵やメーカーに納める「瓶商」の仕事をされていました。もんじ酒店は、中川さんがお父様の会社でその仕事を手伝っていた頃のお客さんで、瓶の買取に来た際に、先代の門司(もんじ)さんから声をかけられたそう。

酒屋のイメージが変わった。髙い酒が売っている店ではなく、美味い酒が買える店

もんじ酒店の店主、中川裕司さん

中川さん「2018年の夏頃、仕事でもんじ酒店にいった際、先代の門司さんから唐突に『跡継ぎがいないから、あなたやってくださらない?』と言われました。それまではそんな素振りは全く無かったのでびっくりしましたね。

先代には息子さんがいたんですが、継いですぐにお亡くなりになっていて、その後も門司さんがアルバイトの方と一緒にお店を切り盛りされていました。80歳ほどの高齢でしたが話し方には品があって、お酒は飲まないけれど知識は相当のものだったみたいです。

後を継がないかと言われたとき、自分に酒屋が務まるとは思わなかったので、その後も何度か言われたときも受け流していました。私自身、実は長い間お酒を酒屋で買ったことがなくて、正直、町の酒屋でお酒を買う理由がよく分かっていなかったんです。

ただ、興味がなかった訳でもありませんでした。学生時代に私がこの辺りでアルバイトをしていた時、お店にお酒を卸してくださっていたのでときどき顔を合わせていて近い存在でしたし、私の父と先代の息子さんは同級生だったので昔から顔なじみの間柄でした、跡継ぎの話をされる少し前には、業者として立ち寄ったもんじ酒店で付き合いと勢いに任せて試しに「参乃越州」という日本酒を買ったことがありました。

飲んでみると、それまでスーパーなどで買っていたお酒とは比べ物にならないほど美味しくて、徐々に自分の中でお酒に対する興味が広がっていたんです。跡継ぎの話をされたのはその矢先のことでした」

それまで知らなかったお酒の世界。一歩を踏み出していた頃の先代の一言で、少しずつ日々訪れる酒屋に対する目線も変わっていったといいます。

中川さん「取引先や普段の生活でも、酒屋を見ていると繁盛しているところやそうでない所があることが分かったりして、やり方によっては自分にもできる、面白いかもしれないと思うようになりました。

後を継ぐにあたって門司さんはもちろん、妻にも相談しました。決算書を見せてもらうと黒字でしたが、余計な経費を削ればもう少し利益が出ることも分かり、2019年の2月にもんじ酒店を継ぐことになりました」

当時、門司さんは入院されていたそうですが、承継の意思を伝えると心から喜んでくれたそうです。門司さんの体調が回復すれば、しばらくの間は一緒に仕事をして学ばせてもらう予定でしたが、跡継ぎが見つかって安心されたのか、5月に逝去されました。

仕事自体は、もともと働かれていた3人のアルバイトの方から教わり、今は中川さんとお母様の2人でお店を切り盛りされています。アルバイトの方々は父親よりも年上で、仕事をリタイアして半分暇つぶしで働かれていたそうで、孫や子どもの世代にあたる中川さんが後を継ぐとなれば応援もしてくれたといいます。中川さんが継ぐ以前から3人とも辞める予定だったそうですが、無理を言って1年間だけ教えに来て頂き、今でもときどき買い物に来てくれるそうです。

取引先と顧客へ、新店主としての想いを伝える。地酒に特化した酒屋へ

中川さん「継いだ当初は営業活動そっちのけで、まずは今ある業務を確実にこなせるように努力しました。あとは、取引先や他の酒屋との関係性づくりも大切でしたね。老舗とはいえ、私が承継したタイミングで、商品を仕入れている酒蔵には電話でご挨拶して、将来的にどういう酒屋にしていきたいかといった私自身の考えをお話しました。周辺の卸先も古くから長い付き合いがあるお店が多く、全ての取引先が継続してくれたので、私も日々の業務を覚えることに集中することができました。

酒屋の1人として、北九州の門司にある田村本店さんで年に2回ある勉強会にも参加しています。分からないことはその場ですぐに聞けますし、仕入れたい銘柄を紹介してもらうことでスムーズに新規の取引先を増やすこともできます。今はコロナで行けていませんが、仕入先の酒造さんが勉強会を開いてくれることもありますね」

承継後、もんじ酒店の商品棚からは、スーパーやディスカウントストアなどで買える商品は取り除きました。もともと力を入れていた日本酒の中でも、品質管理が大変で、特定の酒屋でしか買うことができない生酒の品揃えを増やし、顧客の管理、ワインの取り扱いなど新しい取り組みも積極的にされています。

地域の酒屋ならではの醍醐味。店頭でのコミュニケーションとコラボレーション

中川さん「地域の酒屋は、小規模だからこそお客さんとの距離が近いので日々のコミュニケーションを通して学びながら思いついたことはすぐに実践できることが面白いですね。今はコロナの影響もあってできていませんが、以前は取引先のお店とコラボしてお酒と食事を一緒に楽しめる角打ちのイベントなどを開催していました。

最近では店頭に訪れるお客さんにも若い人が増えています。お酒が飲める年齢になり、少しニッチな銘柄を飲んでみたくて訪ねてくる人や、お父さんやおじいちゃんへのプレゼント用に買いに来る人もいます。中には昔からのなじみ客やお酒好きの通なお客さんで私よりも遥かに知識が豊富な方もいるので、その時は正直に勉強中であることを伝えて、逆に教えてもらうこともしばしばです。

もんじ酒店ではお酒のオンライン販売はしていません。これからも店頭での販売を通して、お客さんとのコミュニケーションという地域の酒屋ならではの醍醐味を楽しみながら、徐々に仕事の幅を広げていきたいという中川さん。近々お店を移転して新しい取り組みを始めるということで、最後にもんじ酒店の今後の目標をお聞きしました。

販売から製造へ。酒屋の枠を超えた新しい挑戦としてのクラフトビール

中川さん「今度、宮若市の龍徳というここから西へ車で5分ほどの場所にお店を移転するんです。お店は今よりも広くなるので、日本酒や焼酎、最近新しく始めたワインのラインナップを拡大して、一部屋まるごと温度と湿度管理ができる本格的なセラーにしようと考えています。これからはただお酒を売っているだけではなかなか新しい客層を開拓しづらいので、ノンアルコールのジュースやお菓子、お酒に合うおつまみなどをセレクトすることで、より多くの方に来店して頂けるようなお店にしていきたいですね。

新店舗になっても名前は変えずに「もんじ酒店」のままですが、敷地はおよそ600坪で井戸もあるので、新しくクラフトビールの製造と販売も始めようと思っています。細かい事業の進め方はこれから色々と決めていく必要がありますが、もんじ酒店の承継を通して新しいことへのチャレンジを楽しいと感じられるようになったので、少しずつ、自分のペースで形にしていければと思います。

お店の前には美しい庭園があって、周辺は自然に囲まれた静かな場所です。今はコロナの影響で来店して頂く機会もかなり減りましたが、いずれはお酒だけでなく、お店自体にもファンが付くようにしていきたいと思います。いずれは顧客情報をもとにお客さんの好みに合わせてお酒をお勧めしたり、以前のように定期的なイベントを開催したいですね」

事業承継は老舗の看板を守るだけでなく、アイデアや資金力、人脈といった環境が整っていることが大きな魅力だと中川さんは振り返ります。クラフトビールの製造も、老舗が持つ既存の顧客や取引先という土台があってこその挑戦。地域の酒屋が街のハブ、交流の拠点になる未来が楽しみです。

文・清水淳史

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