事業承継ストーリー

家業「ムクヤホーム」を軌道に乗せ、3代目は次なる地平を目指す

28西武新宿線の武蔵関駅から歩いて5分ほど。東京・練馬区の静かな住宅街に無垢材による家づくりを手掛ける「ムクヤホーム」はあります。創業は1969年。大工でもあった初代は駅前の商店街に暮らす人たちにとって馴染みの顔で、店舗や家屋の設計・施工をするだけでなく、よく畳や障子の張り替えなども行っていました。

現在、「おじいちゃん」が創業した同社を営むのは3代目の粟津佑介さん。先代の父から事業を承継したのは2016年、28歳のときでした。粟津さんは、もともと家業を継ぐ意識はそれほど強くなかったといいます。

実際、大学卒業後は大手インテリアメーカーへ。6年勤めたのちにITベンチャー企業に転職し、しっかりと“自分の道”を歩んでいました。その歩みの根底にあるのは「いつかは起業したい」という思い。それでも28歳で実家に戻ります。きっかけは先代が体調を崩されたことでした。

承継を決断した、先代の「お前しかいない」という言葉

おじいちゃん子で、子供の頃にはよく現場に連れていってもらうなど、日々、建材の匂いを嗅ぎ、大工たちの姿を目にしていた粟津さん。しかし「お前はお前の好きなことをやれ」と育てられたこともあり、その道に進もうとは思っていなかったと言います。

粟津さん「あまり継ごうと考えたことはありませんでした。学生時代はスポーツに打ち込み、大手企業に就職するなど、安定した生活を送れていたこともあると思います。ただ、20代を折り返した頃でしょうか。父は50代後半で後継者がいない状況。なんとなく、家族からの戻ってきて欲しいオーラを感じるようになりました。どこかで選択を迫られるのかな。そのような印象をどこかで抱きながら、でも今すぐではないだろうと思い過ごしていました」

当時は結婚をして、子供が生まれたばかり。仕事は安定し、住宅手当や家族手当が支給されたことで給料は上がりました。喜ぶべきところのように思いますが、むしろ粟津さんは危機感を覚えたといいます。

粟津さん「自分の道は自分で作る。親の敷いたレールに乗りたくない。どこかでそのような思いがありました。だから会社の居心地の良さに、このままだと“やめられなくなる”と感じたんです。一方で、親に継げとも言われたくない。そこで起業しようと思い、ベンチャーのIT企業に転職しました」

数千人の社員がいる会社を6年つとめ、社長を含めわずか3名のベンチャ―企業へ。広告営業として3年ほど勤務したら起業しよう。そう考え半年を過ぎたころ、お母さんから「お父さんの体調が良くない。悪いけれど、聞いてほしい話がある」という連絡が入りました。

粟津さん「父はステージの高い癌でした。病室で会うと、『悪いけれどお前しかいない。継いでくれないか』と言われたんです。2人だけで話すのは生まれて初めてだったかもしれません。しかも丁寧に頭を下げてお願いしてくれました。父の息子に対する最初で最後のお願いだと感じましたし、それまでろくに親孝行をしてこなかったこの頼みは無下にできない。二つ返事で『継ぐよ』と答えました」

借金1億。怒涛に過ぎた承継後の2年で思い至ったこと

先代のお父さんとは「1年くらいの時間をかけて事業を引き継いでいこう」と話していました。しかし物事は思いの通りに運ばず、会社を辞めて7月に実家に戻ると、お父さんは9月に逝去。引き継ぎのない状態で、3代目による「ムクヤホーム」はスタートを切ることになりました。

粟津さん「引き継ぎはなし。程なく1億円ほどの借入があることが判明しました。担当の税理士さんからは相続放棄を勧められる始末です。それでも父との約束を守りたい。そう思いつつ、何から手をつけて良いかわからない状態にあったんです。その頃は本当に孤独でしたね。唯一相談したのは10歳ほど年上の親戚。僕のように工務店を継いでいた人で、『ひとまず請求書を処理しておけば潰れないから大丈夫』とアドバイスをくれました。とても救われた言葉なのですが、そのような単純なことにも気づけない状況に、あの頃はいました」

初めての経営で分からないことばかり。家づくりも素人です。途方に暮れる日が続くなか、粟津さんは親戚の言葉のおかげで前向きになれたと言います。およそ100万円あった月々の返済にも精力的に取り組み、幸いにも先代の契約した案件があったことでキャッシュフローは滞りませんでした。そもそも1億円は事業の借入金。今後の可能性にかけ、信頼して金融機関が投資してくれたものです。

粟津さんは、事業のあり方を見直し、現場に足を運んで良い家を見極める目を養い、問い合わせがあれば受注できるように力を注ぎました。そうして先代の案件がひと段落つく頃には自身の案件が増加。結果、年商3億円を達成した年もあり、それは先代の時代のおよそ3倍という数字でした。

粟津さん「ただその数字は、僕の目指した方向とは真逆といえるやり方で達成したものでした。簡単にいうならコミットビジネス。そのころ『粟津社長が一番逃げなさそうだと思いました』といったお客様の声をよく聞いたのですが、3億という年商はお客様が僕についてくれた結果なんです。社長が営業すれば仕事は取りやすいもの。でもそれだと僕がいなくなったときに会社は回らなくなります。目指すべきは、お客様が会社につくような組織体制を築くことなんです」

改めて、粟津さんは組織改革に乗り出しました。

目指したのは社長がいなくてもランニングする会社作り

組織改革の軸は3つ。お客様の「ペルソナ※」と会社の「3つの強み」を明確にすること、「企業理念」を社内に浸透させること、でした。

※:自社の商品やサービスを買ってくれる具体的なユーザー像のこと

「ペルソナ」が明確に共有されていれば、社員が「ムクヤホーム」のお客様か否かを判断でき、その判断は「3つの強み」が基準となります。そして「企業理念」、つまり社長の考えが浸透していれば、社長がいなくても物事の判断がなされ、事業がランニングしていく状況につながります。

粟津さん「なぜ弊社のお客様かどうかを判断する必要があるのか。それは僕らのような小さな会社が生き残るうえでのリスクを減らすためです。家は一生の買い物になることが多く、扱う額も小さくありません。少しのトラブルが会社にとって命取りになってしまいます。仕事に向き合うスタンスは、ある意味で医療従事者と同じ。ミスをしないよう丁寧な家づくりを心がけるのはもちろん、弊社が得意とする家づくりとは異なる仕事を受注しないのも、失敗を避ける1つの方法なんです」

「ムクヤホーム」が得意とするのは、無垢材にこだわった家づくりを熟練の職人と共に丁寧に行い、適正価格で提供すること。そして、これらの特徴を求めるお客様と出会える確度を高めるため、問い合わせの窓口となる会社のホームページの仕様と内容を一新。「ムクヤホーム」の特徴を明確に、前面に打ち出すことで、明らかにお客様の声が変わっていったと言います。

粟津さん「それまでの『粟津社長が一番逃げなさそうだと思いました』から、『ムクヤホームさんしか僕たちが求める家づくりにマッチする工務店さんはなかった』という声が多くなりました。人ではなく会社の理念にひかれて連絡をいただけている証しだと思います」

会社を取り巻く状況が、粟津さんの求める形になっていったのです。

承継したから「自分のやりたいこと」を行える状況に

継承して5年が経過した今年、粟津さんの代で2人目となる社員が採用されました。そして現場での仕事は彼らに引き継ぎ、粟津さんは新規事業に取り組んでいます。それはこの2月に立ち上げた「all in house(オールインハウス)」という、栃木県の那須に本社を、そして東京にもオフィスを構える会社です。

粟津さん「3年ほど前から、いつか制限のない状況で理想の家づくりをしたいと思っていました。というのも、都内での家づくりは土地が高いことから家屋にかけるお金は削減されがちで、都市計画法などの制限もある。制約が少なくないんです。いわば那須の会社は僕の理想を叶えるために始めたもの。コンセプトは将来的に移住、もしくは2拠点居住を考えている都内在住者に向けた家づくり。打ち合わせのほとんどを都内で終えられることも特徴にしています」

今後はさらなる多角化も視野にいれていると言います。「ムクヤホーム」の規模は年に12〜13棟を手掛ける現状で十分。さらに経営を安定させるため衣・食・住の各分野で事業を展開したい。そう考えています。

そして承継した家業を軌道に乗せ、改めて気づいたことがあります。

粟津さん「いつか起業して好きなことをしながら食べていきたいと、僕は家業に背を向けていました。そして父の話があり、結局は敷かれたレールに乗るんだなと、何かを諦めたような気持ちでもあったんです。でも今思うと、それは違いました。会社員時代には多くのチャンスに恵まれながら独立できずにいました。何を武器にして自分の人生を切り開いていくのか、その生き方を選べなかったし、絞れなかったんです。それが父の死によって、目の前に1本の道が現れました。そのときに初めて、僕の進む道はこれしかないと、覚悟ができたのだと思います」

お父さんの死によって覚悟が生まれ、家業と真摯に向きあえるようになりました。そして1つのレールをしっかり敷くことで、現在の粟津さんは複数のレールを作れる状況になっています。「好きなことをして食べていきたい」という思いに挑戦するスタート地点に、期せずして立つことができたのです。

文:小山内 隆

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