
潮騒の宿 鳴海(なるみ)は、伊豆大島の北部にあたる岡田地区にある民宿です。ダイビングスポットとしても人気の野田浜も近く、気軽に島のアクティビティを楽しめます。2022年1月に施設を全面リニューアルした「潮騒の宿 鳴海」は、昔から釣り宿として長く愛されてきました。
現在のオーナーである杉山貴彦(すぎやまたかひこ)さんは、10年ほど前に先代からこの宿を引き継ぎました。コロナ禍を乗り越えた「潮騒の宿 鳴海」は、今や大島になくてはならない存在としてあり続けています。
今回は、杉山さんが離島の宿を継いだ経緯や今後の展望について伺いました。
大好きな釣りが事業承継のきっかけに
オーナーの杉山さんは現在41歳。静岡県出身で、大の釣り好きです。学生の頃から打ち込んだ釣りが、伊豆諸島・大島の宿事業を継承するきっかけだったと話します。良い釣り場を探していた時、たまたま手に取った雑誌に書いてあったのが大島だったのだと言います。
家からの交通の便もよく、釣り時間を気にせず楽しむことができるという大島に興味をもった杉山さん。その大島特集に掲載されていたのが、「鳴海荘(現在の潮騒の宿 鳴海)」だったそうです。電話に出た先代が「気になるなら来てみればいい」と言ってくれたことで、杉山さんは大島に行くことを決めました。
杉山さん「行ってみると、当時の『鳴海荘』は昔ながらの古い民泊で、部屋に鍵とかはもちろん無く、壁一枚隔てた向こうに人がいて一つ屋根の下でみんなで寝るような場所でした。来ているお客さんは50代、60代の方が多くて、その中に一人10代の若者がいるのでみんな僕を『孫くらいの奴が来たぞ』と可愛がってくれて。その雰囲気がとても気に入って、大島に通うようになりました」
宿泊施設での業務経験を生かして民泊の継承を決断
大学時代に地元の「するが健康ランド」という入浴宿泊施設でアルバイトをしていた杉山さん。そのまま就職し、その後10年間同じ会社で勤めながら接客業や飲食業について学んだと話します。そんな時、「鳴海荘」の先代が事業承継を考えているという話を聞いたそうです。
杉山さん「先代も70歳になり、事業を継ぐことを考えていました。しかし、なかなか交渉が上手くいかず、結局話がなくなってしまったそうです。そんな時、僕に声をかけてくれて。釣りがしたいという気持ちがあったのと、入浴宿泊施設で働いていたこともあって、宿泊業をやってみたいという気持ちが湧きました。
でも、働き始めたばかりの僕にはノウハウもない。大学もせっかく卒業させてもらったのに、釣りがしたいというよこしまな気持ちを家族に許してもらえないだろうなぁと。周りの人からも認められて、自分にも自信をもってからやってみたいと先代に伝えると、『じゃあまってるわ』と言ってくれて。軽い感じで約束をしました」
その後、杉山さんは結婚。子どもも授かり、仕事でも事務部門担当、飲食部署の責任者、課長と昇進し、経験も積んでいきました。もともと経験を積んだ後に辞めるつもりだった杉山さんは、管理職になるための研修や勉強の機会を設けてもらうことに申し訳なさを感じ、「次のステップへ行くタイミングだ」と退職を決意します。そして、「鳴海荘」の引継ぎを真剣に考え始めたと言います。
杉山さん「当時は、正直、釣りをしたくてしょうがない気持ちがありました。子どもができて、金銭面でも時間的な面でも、簡単に一人で釣りにいきたいと言えなくて。じゃあどうしたら打破できるか考えたんです。あ、住めばいいんだって(笑) そして、僕の人格が形成された、楽しみが詰まった『鳴海荘』を無くすことがありえなかった。僕が若かったのもあり、他のお客さんたちも『杉山さんが継ぐなら応援する』と後押ししてくれたこともあって、継ぐことを決めました」
大島での宿業を引き継ぐことを決めた杉山さんでしたが、最初は周りの人や家族からかなり反対されていたそうです。
杉山さん「当時は、近隣で土砂崩れがあり、大勢の人が亡くなった後だったので、危険なのではないかと心配されていました。僕の周りでは伊豆諸島の知名度も低く、離島なんて、とんでもないところにいくと思われていました。家族にも、そこで生活ができるとは思われていなかったですね。夢みたいなこと言ってんじゃないよと。子どももいたし、教育のこととかもあるし、ふざけたこというなと言われて、会社も家族も説得するのに一年くらい時間がかかりました」
一年間かけて、説得し、信頼を築いた杉山さんは10年前に「鳴海荘」を引き継ぎました。
コロナ禍での低迷から時代に合った宿へ
杉山さんが事業を継承して、しばらくが経ちました。釣り人の高齢化によって、磯釣りに特化した宿経営の難しさを感じていたそうです。さらに子どもも大きくなり、建物の老朽化が激しいことと、襖一枚隔てただけの部屋のつくりのせいで娘二人のプライベート空間がないことを心配した杉山さん。
さらに、新規顧客を呼び込むには、施設の古さが足を引っ張ると感じ、今から5年前に、新しく建て替えることを決断しました。ところが、事業計画が完成したちょうどその時、コロナが襲い掛かってきたのだと話します。
杉山さん「先代からの担当者さんと事業計画をたてて、よしこれからという時に、コロナがやってきてしまいました。コロナ禍の状態で半年が経った頃、止めていた建て替えについて、今スタートさせないと初めの見積ではできないと連絡をもらいました。ウッドショックや半導体が手に入らない影響で資材が値上がり、やるなら今だと。そのころの宿泊業界って、どこももうどうにもならないという感じで……。やらなくてもだめ、やってもだめなら、やってみたいと思い、なんとか着工にこぎつけました」
個人の大工さんにお願いし、更地にしてから完成まで一年がかかったそうです。2022年、やっと完成した宿でしたが、やはり最初は客足が伸びなかったと振り返ります。
「コロナが収まってなかったし、完成したのがレジャーシーズン前で4ヶ月くらいお客様が全く来ない状況が続きました。本当に悩みましたね。実家に帰った時に、母親に十円禿できてるよと言われて。それくらい追い込まれていました。今考えると、新しければお客さんも来てくれるだろうという目録が甘かったです。
上手く宣伝ができていなかったですし、良くも悪くも”釣り人の宿”というイメージが定着してしまっていて、民宿という言葉が古臭いマイナスなイメージの方向に働いてしまったんだと思います。でも、夏くらいから、来てくださったお客様を通して、昔の古い宿タイプじゃないんだねと評判が広がっていったんです」
当時、釣り人用に3~4人で一部屋を使うプランを立てていた杉山さんでしたが、コロナの後、一人で一部屋をビジネス用途で予約するお客さんが増えていることに気が付きました。そこから、食事なしで安くなるプランや連泊すると安く泊まれるプランを作り、どんどんと客足を伸ばしていったのだと言います。当初イメージしていた”釣り人の宿”とは、違うものになってはいるが、今は上手くやれて満足できていると感じているそうです。
「島にとって価値のある場所に」今後の展望
コロナ禍を乗り越え、現在の宿業が軌道に乗ってきたと話す杉山さん。今後はまた新しい宿もやりたいと考えているそうです。
「今後はこの島の人にとっても、あって良かったと思ってもらえる場所を提供できたらと思っています。この島にはまだまだいろんなものが足りていなくて、そこが良さでもあるんですけど、来てくれるお客さんや、住んでる人が便利だと思うものを作れるのは、外からきた人間だからこそできることだと思うんですよ。残した方がいいもの、新しくした方が良いもの。その見極めは大切にしながら、ですけどね。例えば、人が減ってきてる現状もあるので、働く場所とかが提供できたらいいなと思っています」
最後に大島の良いところを教えてくれました。
「大島は、伊豆諸島の他の島に比べたら利便性が高いです。そして、何といっても海が綺麗。一緒に引っ越してきた嫁が、『あの波の青さを見たことがない』と言うくらい。夜になると本当に真っ暗な暗闇で、家からでも満点の星空が見えます。
本島とは時間の流れ方がちがうところが魅力ですね。お店も少ないし、良くも悪くも昔の日本という感じ。不便なところは山ほどあるけど、それに勝るものがたくさんあります。子どもが少ないので、先生が手厚く付いてくれるところや、田舎特有の濃くて密なコミュニケーションがあって、みんなが助けてくれるところも魅力です。来てすぐの一年くらいは、娯楽が少ないせいで本当に帰りたかったのですが、住めば都、ですね。
今は、こっちの生活に慣れて、本島は非日常。過疎地とか田舎に行くと、お金も使わないし好きな人には良いと思います。大島、いい場所ですよ」
自分の「大好き」が、未来に繋がった事業承継。島の発展を担う「潮騒の宿 鳴海」と素晴らしい自然を堪能するため、伊豆諸島・大島に足を運んでみてはいかがでしょうか。