日本の三代秘境と言われる宮崎県椎葉村。深い渓谷の一角で一年間麦味噌に漬け込んだ「ねむらせ豆腐」は、長年椎葉の方々に愛されてきた伝統的保存食です。近年では椎葉のみならず全国からも大人気。全国放送の人気番組で紹介されお取り寄せの注文が殺到するなど、ますます注目を集めています。
「ねむらせ豆腐」を作っていたのは、椎葉地場産品開発株式会社の中瀬玲菜さん。そして2020年5月、椎葉で「平家キャビア」を手掛ける新進気鋭の実業家、鈴木宏明さんが事業を承継しました。
ダメ元で 「僕に引き継がせてください」
中瀬さんが眠らせ豆腐を作り始めたのは2013年。先代の社長だったご主人が催事の途中で倒れ急逝され、その遺志を継いで社長に就任しました。それから7年、必死に勉強し商品を世に送り出してきたという中瀬さんですが、建物の老朽化と従業員の高齢化が進み、事業をたたむことを決意しました。
中瀬さん「まさかと思いました。昨年から事業承継の選択肢も考えてはいたんですけど、無理だろうと諦めて独断で廃業という形で進めていました。でも、ねむらせ豆腐を途絶えさせたくないという気持ちはもちろんあったし、鈴木さんなら主人の思いも引き継いでくれるだろうと思い、いいよって即答しました」
作業工程は頭ではなく手で覚える
こうして運命的なタイミングで承継が決まり、スムーズに手続きも進み、鈴木さんが「ねむらせ豆腐」の味を引き継ぐことになりました。年内までは中瀬さん達が会社に残り、作り方のノウハウ等を直々に伝授しています。
鈴木さん「実務は主に妻が担っています。みなさんとても親切に教えてくれるので、妻も楽しく覚えていますよ。自分でやってみて分かったのですが、豆腐を昆布で巻いた後に、布が解けないようにしっかり結ぶ作業が一番大変です。これはもう職人技なので、頭で覚えるよりは何度も経験して手で覚えていかないと難しいです」
これまでは豆腐を眠らせたあとの味噌は廃棄していましたが、その味噌の中にチョウザメを入れて味噌漬けにするなど、鈴木さん自身の事業展開にも幅が広がりました。これまで課題だった保存場所は、鈴木さんの実家の会社で使っていなかった倉庫を利用しました。お互いの強みを活かし、どんどん可能性が広がっています。
ねむらせ豆腐ってそんなにおしゃれな商品だったんだ
平家キャビアや眠らせ豆腐などの食材を通して、椎葉をもっとおもしろくしたい、椎葉の綺麗な水や自然の魅力を全国に伝えたいと語る鈴木さん。でも実は、昔は椎葉のことが好きではなかったと言います。
鈴木さん「田舎生まれ田舎育ちなので、やっぱり外に出たかったですね。実際関東に出てみて、Uターンで帰ってきた頃は第一次産業もあまり好きではなくて。でもチョウザメを育てていくうちにだんだんチョウザメのことが好きになり、そのおかげで椎葉のことがどんどん好きになり、そうすると椎葉の他のものにも興味が出て好きになっていった。楽しいことって環境は関係なくて、自分次第なんだということを学びました。
そんなとき、宮崎市内で若い女の子たちがねむらせ豆腐を大量買いしているのを見たんです。ねむらせ豆腐ってそんなにおしゃれな商品だったんだって初めて気づいて、地元の商品のいいところをもっとみてみようって思いました。僕がキャビアを売りに行っても、椎葉ってねむらせ豆腐があるよねって言われることもよくあって。
そういうタイミングでの承継だったから、僕が携わる前から愛されてきた商品を、今度は僕が引き継げるというのが嬉しいです。単純に大好きな椎葉の昔ながらの商品をもっと広めたいという気持ちが今は強いですね。」
「継いでくれてありがとう」と言われることが嬉しい
ねむらせ豆腐を継いでみて、思わぬ喜びもあったと言います。
鈴木さん「SNSでねむらせ豆腐を継ぎますって投稿したときとても反応があって、たくさんの方に“継いでくれてありがとう”って言われたんです。僕が“買ってくれてありがとう”なら分かるけど、継いだことをありがとうと言われるとは思ってもいませんでした。それだけねむらせ豆腐がたくさんのファンに愛されてきて、無くして欲しくない商品だったんだなと実感しました。
ねむらせ豆腐も平家キャビアも、椎葉で楽しいことがしたいという気持ちが一番にあります。キャビアができました、ねむらせ豆腐も引き継ぎました、そういうおもしろいコンテンツを椎葉に増やしていけたら、自然とおもしろい村になって人が集まるのかなと。椎葉で楽しいことを作れば、都会に行く必要性がないなって今は思っています」
「僕が楽しい村を作る」と本当に楽しそうに話してくれた鈴木さん。これから鈴木さんがどのように、ねむらせ豆腐をはじめとした椎葉の魅力的なコンテンツで私たちを楽しませてくれるのか、期待がかかります!
文・齋藤めぐみ 写真・佐藤翔平