栃木県小山市に蔵を構える、創業150年の老舗「西堀酒造」は、江戸末期から残る建造物があり、国登録有形文化財にも指定されています。そんな歴史薫る仕込み蔵のなかに、 LEDで赤く染まる“透明タンク”を設置し、近未来的な風景を創り出したのが6代目の西堀哲也さんです。
東京大学の哲学専修科卒で前職はITエンジニア。異色の経歴を持つ西堀さんが、どのようにして伝統的な酒蔵を継ぎ、革新的な挑戦をはじめたのか、お話を伺いました。
“6代目蔵元”という逃れられない宿命
西堀さんは3兄弟のご長男。幼い頃から自然と跡を継ぐのが当たり前だと思って育ちました。祖父や父が毎日、蔵に張り付いて仕事をしているのを肌で感じながらも「酒造り自体は良くわからなかった」と振り返ります。
西堀さん「昔から“蔵は蔵人だけの世界”と言われていて、父(5代目)も40代になってから初めて現場の酒造りを学んでいました。明確に『跡を継いでほしい』という話や『大学で醸造を学べ』とは一度も言われませんでしたね。それもあって、酒蔵だけでは学べない学問や職業を選択してきました」
自身を内省した若き6代目は「酒蔵に生まれたのはどうあがいても逃れられない、宿命。それをポジティブに捉えよう」と考えます。「酒造りは後からでも学べる」と東京大学へ進学し、興味があった哲学の道へと舵を取りました。
IT業界へ就職、エンジニアとしてゼロからの奮闘
東大卒業後は、もっと広い世界を見ようと考えIT業界を選んだ西堀さん。「技術が社会を変えている。その最先端であるITの世界をのぞいてみよう」という好奇心から大手企業に入社し、システムエンジニアとしてゼロから学びを深めていきました。
そんな中、入社して3年目の2016年の秋。西堀さんに転機が訪れます。
西堀酒造で酒造りの現場を担う「蔵人」をしていた幼馴染が、腰を痛めてしまい酒造りを続けるのが難しい状況になってしまいました。10月から3月頃は日本酒づくりの繁忙期。決断を迫られることとなったのです。
西堀さん「『いつかは戻る』と思っていたので、新人の蔵人としてその年の末に家業に入ることを決めました。どうせやるなら酒造りの現場経験からと思っていましたし、酒造りのノウハウを教わるのが運良く幼馴染だったので、スムーズに引き継ぎができましたね」
入社5年で成し遂げた無数の改革
西堀さんが戻ってきてから、およそ5年。既存事業の見直しや新規事業開発の要となり、驚くような改革に次々と挑戦します。そのひとつが、酒造りのデジタル化。現場で酒造りの製造技術を学ぶ中で問いにぶつかります。
「酒造りは、発酵温度の管理など24時間体制で繊細に見守る必要がある体力的にハードな仕事。数ヶ月も張り詰めていると必ず心身ともにピークが来る。どうにかして単純作業だけでも負担軽減できないか?機械化できるルーチンワークをIoTの力で自動化させよう!」と、前職システムエンジニアでならではの回答を導き出し、西堀さん自らの手でシステム構築を成功させます。
西堀さん「夜中にもろみの温度調整のためだけに仕事場へ毎回足を運び、タンクを巡回する単純な作業がある一方で、機械やプログラムでは完結できない、人間の経験と感覚が必須の作業があります。
本来やるべき作業、つまり“人間の力による美味しい酒造り”に神経を集中させ、注力するためにもIo T化は必要なことでした。醸造データを残せるのも利点です」
ほかにも、社内帳簿の電子化にも着手。昔からのレガシーシステムを単なるペーパーレス化で終わらせず、スクリプト言語による自動化でシステム開発をするまで飛躍させたのが西堀さんのすごいところ。「開発しがいがあると面白いですね。前職で培ったプログラム感覚を常に持ち続けていたいです」と、システム開発の話でより一層目を輝かせます。
革新的で面白い挑戦を続ける哲也さんをお父様はどう感じていたのでしょうか?
柔軟で自由な気質は先代譲り
実は、常識や前例に捉われない柔軟さ、面白いもの好きは先代であるお父様譲りなのだとか。遡ること平成7年。先代は仕込み蔵を改造し、アンテナショップをスタートさせました。
今でこそ当たり前の酒造直売所も、その当時の業界常識では逆風そのもの。先々代であるお祖父様をはじめ、多くの反対を押し切り進めた経緯があったそうです。
「そんな先代だからこそ、ワケのわからないことを許してくれて恵まれていると思います」と温かい表情を浮かべる西堀さん。
西堀さん「変遷する時代のなかで、マクロ的な視点で時代の流れを見ていないと企業として存続できません。先の読めないVUCA時代、長期的に見れば、企業体として可能性や選択肢は多い方が強いですよね。
勝手に、このマイルストーンしかダメだと決めつけず、小さくても新たなことをやっていると色々な可能性が見えてくるんです。とはいえ、試行錯誤で手探り状態なので、常に締切を抱えてパンクしている状態ではありますが(笑)」
赤く染まるクリアタンク、ひらめきは水族館から!?
既成概念に囚われない親子が世に送り出したお酒は前代未聞、メディアでも取り上げられ話題になります。
それは、5代目が透明のクリアタンクを醸造に採用し、6代目が進化させL E Dで照射するという試みでした。
西堀さん「透明タンクの発想は、水族館の水槽にいるクラゲがヒントなんです。これまでは上部からしか確認できなかったもろみの様子を透明タンクにすることで、あらゆる角度から見て操作できる。新しい酒造りの形だと思いました」
圧巻の透明タンクは、醸造機器メーカーではなく水槽メーカーに特注で製作を依頼。仕込みを始めてみると、もろみが対流していることを発見します。
従来、もろみを攪拌(かくはん)する作業である櫂入れ(かいいれ)は定期的に行うのがセオリー。しかし、自然発酵に逆らわず、もろみの動向を外部から見守りながら温度管理と櫂入れをした西堀さん。その結果、櫂入れの回数を少なくすることで雑味がなくなり、やさしく優雅な味わいのお酒が誕生したのです。
ここからが、野心家6代目の真骨頂。
西堀さん「野菜に赤色のLEDの光を当てると成長速度が増して、青色のLEDだと栄養価が変わります。調べてみると、特定の波長の光を当てることにより麹菌や酵母菌の増殖が抑制・促進されるという研究結果が見つかりました。
酒造りは常に目に見えない微生物とともに醸しています。ならば、同じ生物である以上、光に反応していてもおかしくはないのではないか?」
西堀さんは、既存の透明タンクを活かして、光を使った酒造りをスタートさせます。世界初の試みに注目が集まり、クラウドファンディングで支援も受けました。試験醸造を実施した結果、赤、青、緑と光によって味わいが変わり、想像を超える成果へとつながっていきます。
※透明タンク、光を使った酒造りは、どちらも特許取得済
尽きることない探究心が生む、日本酒ベースの蒸留酒
しかし、どんなに新しい日本酒造りに取り組んでも、酒蔵業界は右肩下がりの産業。日本全体での日本酒の生産量はピーク時の4分の1以下に。日本で消費されるお酒の割合は、明治時代は99%近くが日本酒でしたが、直近はわずか6%以下にまで落ち込み、“国酒とは何か?”を考える時期が到来していると言います。その数字が意味するのは、日本で飲まれるお酒が多様化してきたということ。
また、農閑期の季節雇用を前提とした従来型の杜氏制度は、業界内でも年々減少しており、働き方改革も相まって、通年雇用の社員造りが増えつつあります。
西堀さん「コロナ禍も到来し、酒造メーカーとしてのあり方を改めて考えました。時代に即した“日本の酒造り”をいかにしていくか。社員造りが一般的になりつつある今、確かに日本酒も四季醸造は論理的に可能ですが、強制的な冷房など、どうしても無理矢理感があります。『寒造り』が基本の日本酒と呼応した、二毛作としての『夏場の酒造り』はできないか。日本酒というルーツを土台とした、独自性がある酒造りはできないか。このような問題意識の中、昨年から本格的な蒸留酒事業に着手しました。
世界で最も難しいとされる日本酒造りの酒造技術は、多様な酒類製造に応用することが可能だと信じています。」
西堀さんは、元精米所で長年使用していなかった“ガラクタ置き場”を、補助金事業などを活用してお洒落な蒸留所へと昇華させます。世界中で争奪戦となっているウイスキー樽をディスプレイし、造作カウンターを設置した空間は、まるでバーのような佇まいです。
現在は、先行発売されたウォッカに引き続き、ウィスキーの製造に着手している真っ只中だといいます。
西堀さん「日本酒蔵ならではの蒸留酒を造るため、発酵にはあえて清酒酵母を使用しています。それにあわせた改造型の蒸留器も選定しました。特に、清酒酵母でのモルトウイスキーは世界的にも類を見ない試みです。案の定最初は失敗しましたが…。試行錯誤しながらやっと手応えを感じ始めています!」と、生き生きと語る西堀さんからワクワク感が伝わってきます。
日本の酒造文化を世界へ、そして未来へ
最後に、「これから力を入れていきたいことは何ですか?」という問いを西堀さんに投げかけてみました。
西堀さん「海外輸出ですね。昔は引き合いがあっても言語や手間の問題などで断ってきたみたいなのですが、長期的にはそれじゃダメだろうと2018年頃から、私もゼロから本格的に始めました。
今では、台湾、アメリカなど8カ国に輸出していますが、日本酒メーカーとしてはまだまだ後発です。現在は、日本酒とリキュールがメインですが、新たに始めたウィスキーなどの蒸留酒も加えて、より一層、世界に向けて日本の酒造文化を伝えていければと思っています。もちろん、世界で通用する酒造りに注力するのは言うまでもありません。和酒・洋酒問わず、酒造りはアウフヘーベンに満ちています。酒造りは可能性の宝庫です」
6代目の野心と探究心は尽きることがありません。
「簡単すぎる人生に、生きる価値はない」
哲学の祖、ソクラテスの言葉が西堀さんの座右の銘です。「伝承技術として守るべきものを守り、同時に現代と呼応して新たな物事に挑み続けていきたい」と意気込む西堀さん。
“止むに止まれずやっている”正解のない困難な道でも、“酒造りを楽しむ”好奇心と情熱で、嗜好品であるお酒をより一層豊かなものへ進化させています。
いのちに近い場所で心を震わせながら、微生物たちと共に西堀さんが創り出すお酒。それは、哲学、IT、LED、清酒酵母…。未知なる挑戦に歩んでいく度に、より味わい深く醸されていくようです。
これからも驚きと感動を与え続けてくれる西堀酒造発の“お酒の可能性”に、世界中から注目が集まることでしょう。
文・湯之上仁美